オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

【アーカイブ】思い出に残る駅《北海道編》

2020年05月02日 | 「思い出の駅」特集
★稚内駅(2017年5月撮影)

鉄道最北端JR稚内駅。私が初めて稚内にきた時はカニ族で賑わっていました。当時の稚内駅は2011年4月に廃止されて、新しい駅になりました。新しい駅舎はさいはて感がなく、まるでつまらない駅舎です。
1970年ころ駅前にジャズ喫茶があったのを覚えています。駅周辺の風景も一変し、まるで別世界です。


最北端の線路記念碑。先日、ロシアからシベリヤ鉄道と北海道の鉄道を間宮海峡、サハリン、宗谷海峡経由で結ぶ夢のような話がありました。本当に夢のような話です。物流の面、観光面、どう考えても採算性は難しい。もし本気で考えられるならば宗谷本線が単線というのはどうかと思う。天北線が残っていれば、宗谷線と天北線で複線運転するという計画も成り立ちます。鉄道ファンの一人としては期待しないことはないが、まあ夢の話です。
数年前に能登の輪島へ行った時、旧輪島駅のホームに次の駅は「シベリヤ」という案内板がありました。稚内駅の次の駅は「サハリン」とか「コルサコフ」と表示すると楽しいのでは。

稚内駅内部

本物・現役の最北端の線路

改札口

稚内駅の時刻表。発車列車は特急3本、各駅停車4本。寂しかぎりです。

新駅舎の模型。つまらない複合商業施設的な駅舎になってしまいました。


彫刻カネポッポ


2階はなんとシネコンです。

稚内観光協会。やはり稚内です。ロシア・サハリンとの交流が大きなテーマです。

★旭川駅(2007年7月撮影)

学生時代に姿見池・旭岳・黒岳・愛山渓と、大雪山を縦走しました。その時以来約40年ぶりに大雪山に挑戦するため旭川に来ました。その時は旭岳も黒岳もロープウェーはまだなかった。登山口から大きなリュックを背負って必死で登りました。今回は旭川に宿泊し、ロープウェーを使って旭岳と黒岳にそれぞれ日帰りで挑戦しました。

★上川駅(2007年7月撮影)
黒岳登山のために訪れました。

★留萌駅(2017年11月撮影)
留萌駅。留萌~増毛間が廃止となったので現在留萌線の終着駅です。留萌駅は初めて訪問しました。実は車で来たので留萌線は未体験のままです。廃線になるまでに乗車できるかどうか微妙です。
1両編成の気動車
改札口
C11すずらんのプレート。私は気動車の急行すずらんは何度か乗った記憶はあります。C11の急行に乗ったかどうかは覚えていません。C62の急行ニセコには何度も乗りました。高倉健は何度も北海道を舞台にした映画に主演をしています。「ジャコ萬と鉄」、「網走番外地」シリーズ、「幸せの黄色いハンカチ」、「ぽっぽや」、「駅~ STATION」など。私は中学の時、さっぽろ雪まつり会場のステージで高倉健を見ました。「人生劇場」「飢餓海峡」「宮本武蔵」の前、江利チエミと結婚していたころだと思います。

★旧増毛駅(2017年11月撮影)
増毛駅。2016年12月に留萌線の留萌~増毛間は廃線となりました。留萌線の線路はまだ残っています。記念施設とするため現在整備工事中です。旧駅舎の奥に増毛灯台が見えます。沿岸バスのバス停駅前の旧富田屋旅館。1933年(昭和8年)建築の木造3階建てです。駅前の商店街
旧多田商店。同じく1933年築で現在は観光案内所となっています。映画「駅~STATION」の舞台となりました。

★新十津川駅(2013年9月撮影)
札沼線の終着駅、新十津川駅です。札沼線は北海道医療大学駅まではわりと本数は多いが、医療大学駅以北は激減します。日帰りで札幌・新十津川を完乗するには朝の1本しか選択肢はありません。私は初めて新十津川まで来ました。
札沼線はもともとは札幌~石狩沼田間の運行でしたが、1972年に新十津川~石狩沼田間は廃止となり、新十津川が終着駅になりました。2020年4月に北海道医療大学~新十津川間は廃止となりました。札幌から石狩川の東岸を北上し旭川と結ぶのが函館本線、西岸を北上し石狩沼田で留萌線とつながるのが札沼線でした。

★夕張駅(2008年6月撮影)

石炭博物館を見に夕張に来ました。札幌からバスできましたが、帰りは夕張から夕張線、石勝線、千歳線を乗り継ぎ札幌に戻りました。夕張~新夕張間の夕張線は2019年に廃止されました。




★小樽駅(2013年11月撮影)
小樽駅。小樽駅は上野駅、両国駅、神戸駅、上諏訪駅と似ていますね。
小樽駅の内部天窓の多数のランプ。小樽は北一硝子のランプが有名です。駅の商店街
ガラスアートギャラリー
石狩啄木は小樽の新聞社に短期間勤務しました。小樽に裕次郎記念館があった時は確か小樽駅に裕次郎の立て看板がありました。

★余市駅(2013年11月撮影)

ニッカウイスキーの余市工場を訪問しました。ニッカといえば余市、余市といえばニッカです。札幌オリンピック金メダリストの笠谷幸生は余市出身で現役時代はニッカの所属でした。

★大沼駅(2012年7月)

私の小・中学校時代、大沼公園は最高の観光地でした。灯篭流し、駒ケ岳登山、遠足、同級生とと何度も訪れました。中学時代は大沼でボートを漕ぐのが楽しみでしたね。現在の駅舎は1983年に改築されたものです。私が小学校時代はこの駅は大沼という駅名でした。一つ函館寄りの駅が軍川(いくさがわ)駅。1964年に軍川駅が大沼駅となり、大沼駅は現在の大沼公園駅となりました。

★函館駅(2014年3月撮影)

連絡船のイメージの函館駅の新駅舎

駅舎側面

旧新橋停車場鉄道歴史展示室で北海道新幹線開通記念「海を航る」展が開催されました。

懐かしい函館駅の旧駅舎の写真です。2003年に連絡船のイメージの新駅舎が完成しました。私は小学校から中学2年まで函館で過ごしました。函館駅といえばこの駅舎です。駅舎に向かって左手に連絡船乗り場があり(現在の摩周丸の場所)、その対面の岸壁にホテル船の景福丸が係留されていました。
この写真はタクシーの車種から判断すると1960年前後と思われます。函館駅前から見た函館山函館駅内、函館山と函館港の絵


★江差駅(2014年3月撮影)
江差駅。私にとって3回目の江差駅です。1回目は函館の小学校の時、夏休みに奥尻島で仕事をする親父に連れられて江差に来ました。江差~奥尻間の漁船のような小さな連絡船は地獄でした。数日欠航した後の出港だったので波は高く、ゲーゲーでした。2回目は2012年の夏、レンタカーで函館・大沼・江差・松前を周遊したときです。3回目のこの時は江差線とのお別れの旅でした。
改札口
上り方面の線路車止め


★木古内駅(2014年3月撮影)
木古内(きこない)駅。江差から木古内に戻り、これから青函トンネル初体験です。木古内はかつては松前へ行く松前線と江差へ行く江差線の分岐点でしたが、松前線は1988年に廃止。江差線も2014年に廃止されました。現在は北海道新幹線が新函館北斗まで開業し、北海道での最初の新幹線駅が木古内駅です。
北海道の鉄道は次々と廃止されていきます。江差線、札沼線、夕張線は廃止となり、次は多分、留萌線です。その次は根室本線の滝川・新得間、富良野線、日高本線‥。JR北海道としては電化区間と貨物列車幹線以外はすべて廃止したいというのが本心だと思います。

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