オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

新潟の旅 隈研吾が設計した長岡シティホールプラザ・アオーレ長岡

2015年07月25日 | 新潟・富山・石川・福井
市内散策後、アオーレ長岡に戻りました。

この建物の建築デザインは隈研吾です。実は私、隈研吾の建築物が長岡にあることを知らずに長岡にやってきました。建物を見て、総合案内の人に設計者は誰かを質問したところ、隈研吾と教えてくれました。
私は都内や栃木県など隈研吾の建築はけっこう見ています。長崎の美術館の設計も隈研吾でした。私は隈研吾ファンであると自負しています。東京周辺にある建築は調べて積極的に見にいきますが、新潟県は調査不足で、知りませんでした。長岡で隈研吾の建築を見ることができたのはラッキーでした。



屋根付きのスペースは「ナカドマ」、その前の屋根なしのスペースを「マエニワ」といいます

長岡市の歴史を木札に表記しています。まさに隈研吾スタイルです。

この場所は長岡城の二の丸跡で、明治以降は新潟の石油会社・宝田(ほうでん)石油の本社所在地でした。新潟はかつては日本有数の産油県で、長岡近くにも油田がありました。その油田を開発したのが宝田石油です。宝田石油はその後、同じ新潟県の石油会社・日本石油と合併し、現在のJX日鉱日石に至っています。山田又七はその宝田石油の創業者です。日本の石油会社のメインストリームを発見しました。ついでにいうと新潟の有名企業・新潟鉄工所は日本石油から派生した総合機械メーカーです。

市役所の市民窓口。内部も隈研吾スタイルです。

2階から見たナカドマ

2階ラウンジ。市民交流スペースです。

隈研吾スタイルの木板が並んでします。

アリーナ。屋内スケートリンクです。



アオーレ長岡の由来を説明しています。アオーレは「会おうね」という意味の長岡弁「会おうれ」から名付けられました。

アオーレ前のバス停のベンチです。
今回偶然ですがアオーレ長岡を見ることができて幸運でした。長岡城は遺構が残っていないし、河井継之助や山本五十六の記念館はやや期待はずれ。その分をアオーレ長岡が十分以上に補ってくれました。
このアオーレ長岡、豊島区のとしまエコミューゼタウンと同じ隈研吾の設計ですが、いろんな意味で長岡のほうが上ですね。豊島区のほうはエコとミュージアムというコンセプトで建設された物ですが、明らかにコンセプトの消化不良。外装は隈研吾のスタイルですが、外壁に植栽と太陽光パネルと木板を配置し、エコと称しています。全体表面積の1%あるいはそれ未満の面積に太陽光パネルを付設してそんな僅かな面積でそれはエコといえるだろうか。豊島区役所の発電量は最大57kwだそうです。それっぽっちでは使用量の1%にも満たないのでは。
また住民への開放度、開放感という意味でも大差があります。アオーレ長岡のマエニワ、ナカドマは大きく自然光を取り入れて明るく、物理的な開放度も大きく、住民に開かれた空間です。材料は木の板を多用し、オーガニック、有機的です。豊島区役所はその逆で無機的でトーチカのように開口部が小さい建物です。

としまエコミューゼタウンの外観。1~10階は豊島区役所、11~49階はブリリアタワー池袋という分譲型の超高層マンションです。
としまエコミューゼタウンの詳細については私の3月28日のブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/aurora2014/d/20150328

【P.S.】隈研吾事務所のホームページを見ると、実績一覧にアオーレ長岡は載っていますが、としまエコミューゼタウンは載っていません。なぜなのでしょう。豊島区の件は、区から非掲載を要求されたのか、あるいは隈研吾側が不本意な事例なので掲載しないのか、どっちなのでしょう。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿