オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

板橋区赤塚の旅(1) 郷土資料館「板橋と光学vol.3」展を見る

2021年03月17日 | 東京
板橋区下赤塚付近の川越街道赤塚中央通り東上線踏切下赤塚駅ホーム東京大仏通り松月院大仏そば乗蓮寺・東京大仏の入口赤塚植物園入口不動の滝そば店区立板橋美術館休館中です。トンボ池溜池公園郷土資料館特別展「板橋と光学vol.3~いたばし産のカメラたち」を開催中。過去2回の開催は知りませんでした。今回大いに楽しみで、コロナ感染拡大中にもかかわらずやってきました。青銅製の大砲。高島秋帆の大砲のレプリカです。2階会場はじめにトプコンの歴史。1932年に服部時計店(現セイコー)の測量機事業を母体に東京光学機械として設立、1933年に現在地(板橋区蓮沼町)に移転、終戦までは射撃用照準器など軍需品を生産しました。軍需品では陸軍からの発注が多く、陸の東光(東京光学)、海の日光(日本光学)といわれたそうです。戦後は民生品に転換、1957年に一眼レフ・トプコンRを発売、1963年世界初のTTL一眼レフ・トプコンREスーパー発売、現在の一眼レフカメラの測光方式を決定した画期的モデルでした。1980年にカメラ事業から撤退、1989年にトプコンに社名を変更、現在は測量機械、双眼鏡、眼科医療機器を主力事業としています。トプコン一眼レフカメラトプコンのカメラ交換レンズアクセサリートプコンの測量機械トプコン・ミニヨン354✕5判のミニヨンⅡ二眼レフカメラ、プリモフレックス(後列)とミニヨン35X線撮影カメラ世界初のTTL一眼レフカメラ、トプコンREスーパー。TTLとはThrough The Lensの略で、レンズを通過した光の量を計測し露出を決める方式です。それまではレンズを通過しない光を測定する露出計内臓方式でした。トプコンの双眼鏡、砲兵用経緯儀(写真中央)双眼鏡小型双眼鏡アサヒ・ペンタックス・シリーズペンタックの前身、アサヒ・フレックスの紹介記事フレックスⅡBとペンタックスSP。フレックスから進化してペンタプリズムを採用したのがペンタックスです。旭光学が製造した日本初の一眼レフカメラ、アサヒ・フレックス。ファインダーは二眼レフのようにボディの上方向から覗く方式です。ⅡBはクイックリターン式のミラーを採用しました。ペンタックスSP。SPとはTTL測光、スポットマチックに由来します。ペンタックスは1960年に世界初のTTL一眼レフの試作機を発表しましたが、発売はトプコンREスーパーに一歩遅れて世界第2位でした。ペンタックスS2、SV、SPのカタログ「カメラ総合カタログ」のペンタックスのページ。このころ毎年、日本カメラショーが開催され、会場でカメラカタログを配布していました。私はかなりのバックナンバーを持っていましたが、2005年ころ全部処分しました、ネットの時代になると紙のカタログは必要なくなりますね。旭光学本社工場の写真を展示本社工場。旭光学工業は1919年設立、1938年に株式会社化、1952年日本初の35ミリ一眼レフカメラ、アサヒフレックス発売、1957年ペンタックス発売、1960年ペンタックス・スポットマチック発表、1964年ペンタックスSP発売、1975年Kマウントを採用したペンタックスKシリーズを発売、1981年オートフォーカスTTL一眼レフ、ペンタッスME-Fを発売。会社としては2002年にペンタックス株式会社に社名を変更、2006年にHOYAと合併し上場廃止、2011年HOYAは光学機器事業をリコーへ売却、ペンタックスイメージング、さらにリコーの光学機器部門と合体してペンタックスリコーイメージングとなる。前野町の本社工場は現在は更地になっています。ペンタックスのカットモデル「板橋と光学」の展示。カメラは写真左上からアサヒ、トプコン、ウイスタ、コパル。ウイスタカメラアサヒフレックスIとトプコンREスーパー「組み合わせカメラの時代」「多彩な板橋生まれのカメラ」富士光学器械製作所。1916年に巣鴨にて勝間光学機械製作所として設立、1934年に富士光学器械となり、ダイヤネット、ピオネット、ライラなどのカメラや双眼鏡を製造した。ライラフレックス、ライラシックス、ベビーライラ、ピオネットなど瓜生精機。1937年に設立、1953年に初の8ミリ撮影機、シネマックスを発売シネマックスシネマックス8の広告大成光機とウエルミーカメラウエルミーカメラ「光学機器の変遷」古文書を展示「戦後の板橋生まれのカメラ」ペンタックスのカメラ事業部門を継承したリコーイメージングバーレット(小西六写真工業)とミノルタフレックス(千代田光学工業)。小西六の本社は西新宿、千代田光学の本社は兵庫県西宮市でした。小西六はコニカとなり、千代田光学はミノルタ、ミノルタカメラと社名を変更、両社は合併しコニカミノルタとなりました。その後カメラ部門はソニーに移管されました。私は一眼レフはミノルタSR以来ミノルタ党でしたが、ロッコールレンズの関係で一時ソニーαも所有しました。現在はニコン党です。でもサブ機でソニーのRXも使用しています。コニカもミノルタも確か板橋とは無縁だと思います(勘違いだったらごめんなさい)。カメラ部門を手放したコニカミノルタは現在、事務機や医療機器に特化しています。実業団駅伝でも活躍しています。シャッターを生産したコパル。現在は日本電産コパルとして、板橋区で事業継続。小型35ミリカメラ・カロルを生産した八洲通商、パンター引伸機を生産したユニオン光学ユニオン光学のユニオンカメラ、後列はユニオン光学が製造しワルツ商会が販売したワルコンシックスビューティ・フレックスの太陽堂光機と三鈴光学工業パノラマ撮影カメラ・ワイドラックスを製造したバノン商工、常盤台にあったドリスカメラシネマックス、ビューティシックス、ビューティフレックス、セミドリスドリスシックス、ワイドラックス、アルタ35ゼンザブロニカ。1956年に板橋区東新町にブロニカカメラ設立、59年に中判カメラのロングセラー、ゼンザブロニカを発売。62年にゼンザブロニカ工業に社名変更、98年にタムロンに吸収合併され、2005年に中判カメラの事業を停止しました。ゼンザブロニカとは創業者である吉野善三郎、ブローニーフィルム、カメラの3語からの合成語だそうです。すばらしいの一語ですね。最近社名変更をした富士フイルムビジネスイノベーションとは発想のレベルが違いますね。(富士フイルムとゼロックスの合弁企業だった富士ゼロックスは合弁を解消し、新会社として出発姉しました。)艦載用12センチ高角双眼望遠鏡実に勉強になりました。私にとってはTTL一眼レフの初期の時代は実に懐かしいです。トプコンREスーパー、ペンタックスSPに続きニコンF2フォトミック、ニコマートFT、キヤノンFT、ミノルタSR-T101など続々とTTL一眼レフが登場しました。ペトリ、コニカ、オリンパス、リコーも一眼レフを生産していました。TTLは一眼レフの革命でした。次の革命はミノルタα7000のオートフォーカス一眼レフです。「板橋と光学」展の図録は第1回、第2回分は完売ですが、第3回分は現在発売中です。私の記事は間違いがあると思うので正確な事実を知りたい方には図録の購入をおすすめします。通販もやっています。
トプコン本社(板橋区蓮沼町)
ペンタックスの工場跡地(板橋区前野町)日本電産コパルの本社(板橋区志村)。今は日本電産の傘下です。

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