南千住の旅(1) 回向院、小塚原刑場跡、延命院、石浜神社 2021年10月15日 | 東京 つくばエクスプレス南千住駅JR南千住駅南千住駅前に立つ松尾芭蕉像矢立初めの地南千住仲通り回向院吉展地蔵。1963年に起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者、村越吉展ちゃんを慰霊する地蔵仏です。このころは営利誘拐事件がしばしば起きていました。私はこのときは中学生で誘拐されやすい年代ではなかったが、私の弟やいとこたち、親たちにとって「誘拐」という言葉は恐怖そのものだったと思います。事件後、本田靖春の「誘拐」、泉谷しげる主演のテレビドラマ「戦後最大の誘拐事件」ほか多くのメディアでとりあげられました。観臓記念碑。杉田玄白、前野良沢らが人体解剖に立ち会って、その後「解体新書」の翻訳本を発行しました。史跡小塚原回向院田中光顕による水戸藩殉難者慰霊碑相馬大作。南部藩士で津軽藩主の暗殺を首謀し、計画は未遂に終わり相馬は捕縛、処刑された。プロレスの神様といわれたカール・ゴッチの墓。没後10年の2017年7月にアントニオ猪木らによって建立されました。右から腕の喜三郎、高橋お伝、片岡直次郎、鼠小僧の墓。喜三郎は江戸時代の侠客、お伝は「明治の毒婦」と言われた。片岡直次郎は江戸時代の悪党、無頼漢、鼠小僧次郎吉は義賊。4人とも歌舞伎や講談でとりあげられ話題を集めた人物です。 橋本左内の墓。景岳は左内の号です。吉田松陰の墓頼三樹三郎の墓。鴨崖は三樹三郎の号。左内、松蔭、三樹三郎の3人は安政の大獄で捕らえられ小塚原で処刑されました。磯部浅一の墓。二二六事件の青年将校のリーダー格です。磯部の墓の側面中野方蔵の墓。坂下門外の変に加わったとして捕らえられて獄死した佐賀藩士。 回向院には幕末の水戸藩など尊王攘夷運動の殉難者の墓があります。桜田門外の変に加わった関鉄之介と彼の愛人いの、有村次左衛門の墓など。それら尊王志士たちの多くは維新後に復権し評価されることになりました。墓地を巡っていると本当に墓なのか慰霊碑なのか判然としないことがあります。真偽の程は私のような素人にはわかりません。あしからずご了承ください。人形焼の重盛商店延命院首切地蔵題目塔、馬頭観音JR貨物の操車場日光街道、国道4号線泪橋ガスタンク寿老人石浜神社石浜囃子室町時代に武蔵千葉氏による石浜城がありました。真先稲荷と田楽茶屋遷座記念碑徳義行者の碑こま犬神輿庫拝殿寿老人像復活の碑祖神麁香(あらか)神社江戸で初めてつくられたと言われる富士塚富士講富士山遥拝所招来稲荷神社白狐神神楽獅子こま犬亀田鵬斎詩碑。江戸中期の文人、書家、儒学者です。神楽殿隅田川堤防とスカイツリー瑞光橋首都高速千住大橋と東武伊勢崎線鉄橋隅田川に沿って歩き南千住に戻ってきました。 « 谷中根津の旅 谷中銀座、よ... | トップ | 南千住の旅(2) 彰義隊士の墓... »
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