オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

仙台・山形の旅(1)伊達家筆頭の重臣・片倉家の白石城

2015年10月13日 | 宮城・山形・福島

鉄道の日「秋の乗り放題パス」を利用して奥州の古城を巡る旅に出ました。

白石駅に到着。改札口を出る前に早くも片倉小十郎と真田幸村の横断幕を見つけました。白石城は片倉家の居城として知られていますが、なぜそこに真田幸村なのか。真田幸村の子供・大助は幸村とともに大坂夏の陣で戦死しますが、幸村は夏の陣で激闘をした相手の片倉小十郎重長に大助の妹・弟の阿梅と大八を託します。重長は幕府に隠れて2人を育て、阿梅はのちに重長の正室となり、大八は真田守信と名乗って真田家を再興、現在まで仙台真田家として続きます。そういった秘話があります。でもこんなに大々的に宣伝されては秘話ではなくなります。


白石は「しろいし」と読みます。念のため。

「俺が行かずば誰が行く」片倉小十郎は「鬼小十郎」と言われた仙台伊達家筆頭の重臣で、城持ちの大名格として処遇されました。徳川幕府は一国一城が基本政策です。伊達藩には例外として2城が認められました。

白石駅

駅前の郵便ポストの上に白石城の模型

駅前通り

駅前通りの和菓子店。「城主最中」「白石城」という菓子があります。

「城来路」と書いて「シロクロード」と読みます。


白石城は平山城で、なだらかな上り坂です。

東口門跡


本丸跡外郭石垣。左が初期の野面積み、右が江戸中期の切込接ぎです。

夏の陣400年の旗

歴史探訪ミュージアム




大手一ノ門

大手二ノ門

一ノ門と二ノ門の間の枡形

1995年に再建された天守。今年再建20年目です。

本丸御殿跡。白石城では戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟の各藩代表による会議が行われました。また新政府軍の参謀世良修蔵は福島城下で暗殺されて白石城の近くの陣場山に埋葬されました。世羅の暗殺事件を機に奥州での戊辰戦争の火蓋は切られましたが、同盟は成立しても各藩の足並みはそろっていたわけではなく、仙台藩や米沢藩は戦意は低く迷走、会津藩だけが孤立し会津戦争へと至ります。

本丸御殿の絵図

鐘楼

本丸井戸

本丸跡の広場





天守内部

天守から見た大手門

本丸跡広場

白石の町並み


天守内の展示


片倉小十郎の甲冑

真田幸村の甲冑

片倉小十郎の馬印

本丸の土塀

片倉小十郎景綱頌徳碑。景綱は伊達政宗の近侍となり、政宗とともに小田原に参陣、関ヶ原の戦いの際には東軍として西軍上杉と戦いました。小十郎というのは片倉の当主の通り名で、大坂の陣に出陣したのは景綱の子の小十郎重長です。


大手二ノ門と天守




天守台の野面積み石垣


本丸裏側から見る天守


白石出身の18代横綱・大砲(おおづつ)萬右衛門。明治34年に横綱昇進、身長198cmの巨人力士です。

萬右衛門橋

横綱谷風梶之助と大砲の碑。横綱谷風は2人います。この谷風は2代谷風で、第4代横綱、白石の隣の蔵王の出身、「仙台の谷風」と呼ばれました。初代谷風は讃岐出身で初代横綱、「讃岐の谷風」と呼ばれ、怪力大関の雷電の師匠です。
蛇足ですが巨砲(おおづつ)という力士もいました。横綱大鵬の弟子で、こちらは三重県の出身です。

本丸裏の二ノ丸跡

あまり観光客が通らない場所に白石城の新しい碑がありました。


本丸北の神明社


本丸下の舘堀川



武家屋敷

武家屋敷の内部

武家屋敷の庭

阿梅と大八の墓のある当信寺の門。白石城の東口門を移設したものです。

本堂

写真左が阿梅の墓、右が大八の墓です。

白石の名物・温麺の店


古い商家・寿丸(すまる)屋敷

駅前の和菓子店

駅前通の舗道のタイル。白石市は初めて訪れましたが札幌出身の私は以前から親しく感じていた町です。札幌には白石区という区があります。昔の白石村で、旧白石藩士が開拓した村です。白石以外にも北海道には亘理伊達藩家臣が入植し開拓した伊達市など伊達藩ゆかりの市町村があり、伊達市の隣の登別市には「伊達時代村」という日光江戸村系列のテーマパークがあります。
福島県にも伊達市があり、福島県の伊達市のほうが本家本元ですが、先に市となったのは北海道の伊達市です。全国2番目の同一名称の市です。
















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