オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

東京・文京区 護国寺墓地 有名人の墓《総集編》

2022年02月15日 | 東京
新型コロナウイルス騒動で私も活動自粛中です。どこかに行きたいという気持ちを必死で抑えています。
ここのところほぼ電車に乗ってはいない。行動は徒歩圏内に限定です。
取材をしてないので掲載する写真がありません。といって当ブログを休眠するわけにも行かない。
そこで過去の活動を振り返り護国寺墓地の有名人の墓をハイライトというか総集編として掲載しました。
【あ行】
財界人、政治家・池田成彬の墓。日本銀行総裁、三井財閥の総帥
石川六郎の墓。鹿島守之助の娘婿。鹿島の社長・会長、経団連常任理事、日商会頭を務めた大物財界人です。鹿島守之助の墓は文京区本駒込、吉祥寺です。
宇都宮徳蔵の墓。横浜の港湾運輸会社・宇徳の創設者です。
梅謙次郎の墓。東京帝国大学法科大学学長、法政大学初代総理です。
浦部武夫の墓。1960年代の東京都議会黒い霧事件のときの副議長です。贈賄罪で有罪判決、執行猶予付きでした。浦部武夫像
明治の元勲、早稲田大学の創始者・大隈重信の墓
大倉財閥の創始者・大倉喜八郎の墓。ホテルオークラ、大成建設は大倉財閥の流れを汲む会社です。大倉彦一郎の墓。喜八郎の外孫です。
大倉発身の墓。喜八郎の姉の娘の養子。大倉組(現大成建設)役員、大倉商事(破産)役員、月島機械会長
大橋佐平・新太郎の墓。大橋佐平は博文館という出版社を創業。佐平の子・新太郎のときには日本最大の出版社に成長し、出版取次、広告、印刷業にも進出、巨大な出版コンツェルンを形成した。戦後は解体され、現在は博文館新社が出版事業の一部を継承しています。博文館の博文は伊藤博文に由来するそうです。博文館の印刷部門は現在の共同印刷で、印刷大手の一角です。
「空手バカ一代」大山倍達の墓
小笠原三九郎の墓。台湾銀行に勤務、のちに政治家になり商工大臣を務めた。
銀座コージーコーナーの創業者、小川啓三・幸子夫妻の墓

【か行】
高森家、梶原一騎の墓。「巨人の星」「柔道一直線」「あしたのジョー」「赤き血のイレブン」「空手バカ一代」の原作者です。墓誌。梶原一騎の本名は高森朝樹。梶原は高森朝雄というペンネームも用いました。
川崎嘉信の墓。近衛師団所属の陸軍大尉。戦後は誠文堂新光社、川崎ビルディングの社長を務める。誠文堂新光社は「子供の科学」「天文ガイド」「無線と実験」「ブレーン」などの雑誌、書籍を発行する出版社です。川村喜十郎の墓。大日本インキ化学工業(現在のDIC)の創業者。川村が収集した美術コレクションはDIC川村美術館(千葉県佐倉市)で公開されています。
明治の官僚・清岡公張の墓
清岡正明の墓
建築家ジョサイア・コンドルの墓鹿鳴館、ニコライ堂(原設計のみ)、三菱一号館・二号館、岩崎邸(台東区)、岩崎家廟(世田谷区)、島津邸(品川区)、古河邸(北区)などを設計。

【さ行】
公家出身、明治の元勲・三条実美記念碑三条実美の墓
島津家の墓島津久誠・達久の名前があります。
下田歌子の墓。歌人、実践学園創始者。
大修館書店の創業者・鈴木一平の墓。鈴木一平は諸橋轍次の「大漢和辞典」監修・編集を支援し、大修館書店から出版されました。

【た行】
高橋義雄(箒庵)の墓。高橋は水戸の出身で慶應義塾で学び、福沢諭吉の時事新報の記者となり、その後は実業界に転じて、三井銀行、三越の発展に貢献した。王子製紙を最後に経済界から身を引き、茶人として茶道の発展に務めました。茶道つながりで松平不昧の墓の分墓を行ったのも箒庵です。護国寺と三井財閥との関係は高橋から始まったのかもしれません。護国寺には益田孝、池田成彬、団琢磨など三井の重鎮の墓があります。本堂前の20基の石灯籠は高橋義雄(箒庵)が寄進しました。高橋箒庵は護国寺の檀徒総代でした。
團家の墓。血盟団事件で暗殺された三井財閥の総帥・團琢磨と、琢磨の孫、作曲家、エッセイスト、「パイプのけむり」の團伊玖磨の墓です。
伊達宗敦の墓。幕末の四賢侯の一人・伊達宗城の次男(五男?)。仙台伊達藩主・伊達慶邦の養子となる。戊辰戦争で仙台藩は奥羽列藩同盟に参加したため慶邦と宗敦は謹慎、官位剥奪、宗敦は伊達家嫡子を廃嫡となり、慶邦の四男・宗基が当主となる。宗敦は宗基の次の仙台藩知事に就任。男爵、貴族院議員。小説「夕陽と拳銃」(檀一雄)で描かれた伊達順之助は宗敦の六男。
明治の政治家・田中光顕の墓。小田原の別荘は現在は小田原文学館となっています。動物カメラマン・田中光常は光顕の孫。カムチャッカで熊に襲われて死亡した星野道夫は光常の弟子です。
土肥原賢二の墓。陸軍軍人、満州で土肥原機関をつくり諜報活動を主導。陸軍士官学校校長。極東軍事裁判A級戦犯として絞首刑。
富井政章の墓。京都法政学校(現立命館大学)初代校長
富田鉄之助の墓。仙台藩出身、日本銀行2代総裁。
鳥尾家の墓。明治の陸軍軍人、政治家・鳥尾小弥太の子・孫の墓です。

【な行】
中村天風の墓。頭山満の玄洋社に所属、陸軍諜報員として満州で活躍、戦後は思想家、実業家として活動。天風会館は護国寺仁王門のすぐそばにあります。
盛岡藩南部家の墓南部利剛・明子の墓。利剛は盛岡藩14代藩主。南部利祥の墓。利祥は利恭の長男。陸軍中尉、日露戦争で戦死。戦前盛岡城跡に利祥の銅像がありましたが、金属供出でなくなり、現在は台座だけが残っています。南部利恭の墓。利恭は盛岡藩15代藩主で、のちの白石藩主南部利功・利道・季子の墓
気象学者・野中到の墓。富士山頂に気象観測所を設置しました。
講談社の創業者・野間清治の墓野間清治の右に息子、2代社長・恒の墓野間清治の妻・佐衛の墓
野村吉三郎の墓。海軍軍人、日米開戦時の駐米日本大使です。

【は行】
中国哲学者、服部宇之吉の墓<
政治家・鳩山邦夫の墓墓誌
明治の官僚、政治家・平田東助の墓二荒家の墓二荒芳之の墓。北白川宮能久の五男、二荒家を創設、伯爵。

【ま行】

益田孝の墓。三井物産創業者の一人、初代の社長。今日の三井物産を築いた最大の功労者です。中外物価新聞(日本経済新聞の前身)の創業者の一人でもあります。茶人としての名前は鈍翁、こっちのほうが有名かもしれません。白崎秀雄 「鈍翁・益田孝」〈上・下〉 (中公文庫)益田孝像
益田家の墓誌
松江藩主松平不昧(治郷)の墓
松村謙三の墓。日中国交正常化に尽力した政治家です。
水田三喜男の墓。戦後の政治家。大蔵大臣、通産大臣など経済系閣僚を務めた。城西大学創立者。
武藤信義の墓。陸軍元帥、関東軍司令官。五一五事件のときは教育総監。「陸軍」の文字だけ見えます。陸軍大臣・荒木貞夫の揮毫

【や行】
安田家、安田善次郎の墓。安田善次郎は大磯の別邸にて暗殺されました。その実行犯・朝日平吾の墓は護国寺から徒歩5分ほどの西信寺にあります。日本大学名誉総長・法学博士、山岡萬之助の墓
明治の元勲、陸軍元帥・山縣有朋の墓
公爵山縣家の墓
明治の政治家、日本大学の創設者・山田顕義の墓台湾出身の実業家、李合珠の墓。東京大飯店(新宿区)の創業者。キャバレーや音楽喫茶ラ・セーヌなども経営、日本中華連合総会の会長も務めました。池袋プラザイン(豊島区)は現在も李家の所有です。墓誌銘には中華民国総統・蒋中正(介石)、その息子の蒋経国、民主化を進めた李登輝、3人の名前があります。
護国寺歴代大僧正の墓

音羽陸軍埋葬地の英霊の塔日清・日露戦争からアジア太平洋戦争までの近衛師団ほか在京部隊の戦死者の英霊を祀っています。個々の墓を見ると旅順港とか満州事変の文字を確認できます。

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