オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

東武電車の旅 日光杉並木街道と霧降ノ滝

2016年06月27日 | 栃木
日光杉並木街道を歩くため日光へ来ました。

東武鉄道・下今市駅


下今市駅前の商店街


追分地蔵尊

例幣使杉並木街道。例幣使とは朝廷から派遣される勅使のことで、日光例幣使は京都を出発、中山道を通り、群馬・倉賀野から北関東を横断し、鹿沼で日光西街道に合流し日光東照宮へ参拝します。

今市から宇都宮方向へ伸びる杉並木街道

杉の巨木



今市は水が豊かな町です。せせらぎが流れる町中の公園

今市手打ちそばの会

JR今市駅。東武の駅もJRの駅もひっそりしています。今市はかつては今市市でしたが、現在は日光市です。


道の駅日光街道ニコニコ本陣


地元出身の作曲家・船村徹記念館

清開、日光誉を造る酒屋、渡辺佐平商店


水を飲めます。

街角の今市の水


日光名物たまり漬けの店

アイスホッケー・ショップ。日光は旧古河鉱業のアイスホッケー部を引き継いだ日光アイスバックスの本拠地です。私は隠れアイスホッケーマニアです。なんといっても王子・岩倉組の時代からアイスホッケーを見ています。岩倉組のチームはのちに雪印乳業となり、王子製紙・雪印乳業・西武鉄道・国土計画・古河鉱業の5チームでリーグ戦を戦っていました。今は王子製紙・日本製紙・東北フリーブレイズ・日光アイスバックスの4チームに中国・韓国・ロシアサハリンのチームを加えてアジアリーグとして戦っています。
日本の男子アイスホッケーは今や存亡の危機ですね。女子はわりと元気がいいですが。
私はこの店でパックを探したんですが、JIHF(日本アイスホッケー連盟)の普通のパックしかなかった。NHL(北米アイスホッケーリーグ)チームのパックを探しています。

古い診療所

古い商家

滝尾神社

杉並木公園の入口

東武鉄道・上今市駅

朝鮮通信使今市客館跡。朝鮮通信使は日光にも来たんですね。


あじさい園

重連水車。世界の水車を保存展示しています。






からくり水車

水車小屋の内部








直径10メートルの大水車。京都にはかつて直径15メートルの水車が、同じく中国にも直径15メートル、なんとシリアには直径20メートルの巨大水車があったそうです。


今市用水円筒分水井。発電所で発電に利用した水を今市へもってきて、円筒分水井で23の水門に分水し水道用水、農業用水などに利用します。


杉並木公園の報徳庵

旧江連家住宅




住宅内部








戊辰戦争の際の今市の戦いで砲弾を打ち込まれた杉の木。旧幕府軍は日光を拠点しようとしましたが、日光を戦場とすることを断念し会津へと向かう途中、今市で新政府軍と戦闘となりました。今市は例幣使街道で中山道へ、会津西街道で会津へ、奥州街道で大田原へとつながる交通の要衝でした。

日本の道百選の碑



並木太郎という名の巨木。周囲5.35m、樹高38mです。

杉並木街道の約半分は歩行者専用、残りは車道です。





JR日光駅

関東の駅百選認定駅です。

日光の水

駅内部


駅舎2階はかつては一等旅客専用待合室でした。

2階の旧1等待合室、いまはホワイトルームというギャラリーです。

徳川家康の甲冑レプリカ


数年前に日光駅の天井裏から建築当時に納められた看板が発見されました。その看板に日光駅を設計したのは鉄道省の明石虎雄という技師と書かれていました。

改札口

大谷石を使用したホーム。古河鉱業は1989年に古河機械金属に社名を変更しました。古河鉱業は足尾銅山を経営し、足尾・日光一帯を大拠点としていました。足尾鉱毒事件の会社です。足尾町も今は日光市です。

駅事務所

駅前のホテル



団体改札口




駅からバスに乗り霧降の滝へ来ました。霧降の滝は初めてです。


観瀑台



霧降の滝


明治の館

道祖神



バス待ちのため明治の館レストランのバルコニーでしばしコーヒータイム。めずらしくゆったりとした優雅な時間を過ごしました。

ストーブ

東武日光駅


































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