オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

常陸国の旅 水戸光圀が「大日本史」を編纂した西山荘

2018年04月06日 | 茨城
水郡線常陸太田駅。以前乗り鉄で終着駅マニアだったころ一度ここへ来ました。水郡線は水戸と郡山を結ぶ路線ですが、途中の上菅谷から分岐し常陸太田とつながります。今回の目的は西山荘と太田城です。
桃が満開西山荘のレストラン桃源
西山荘の模型枝垂れ桜枝垂れ桜不老池武藤常介の詩碑
不老沢跡。佐々介三郎は助さんのモデルです。ご前田。水戸光圀の稲田です。券売所くぬぎ門跡西山荘通用門(裏門)熊野杉
紅蓮池
通用門
西山荘は水戸光圀が晩年を過ごした隠居所です。光圀は隠居後西山荘で「大日本史」の編纂・筆削を行いました。大日本史の版木は小石川の印刷博物館にあります。
印刷博物館のページはこちら御座の間お胞衣塚這柏槇
心字池突上御門(表門)
洗耳の池
花菖蒲ウメ山荘記碑人見寧詩碑。人見は幕臣の家に生まれ、五稜郭で戦った人見勝五郎です。維新後は政府役人となり茨城県令となりました。常州西山碑
桃源橋
源氏川



常陸国・古城の旅 笠間城と旧八幡台櫓を移設した真浄寺

2018年03月23日 | 茨城
笠間駅です。笠間の町並み大石邸跡。1622~1645年、忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助の主家・浅野家は笠間藩の藩主を務め、内蔵助の曽祖父と祖父の時代には大石家の屋敷がありました。討ち入り装束の大石内蔵助の銅像が立つのはどうかと思いますが。内蔵助自身は笠間に住んだことはないでしょう。笠間日動美術館。昔美術館に隣接してスポーツカーミュージアムがあり、名車コブラが展示されていました。時鐘旧町立美術館
治功神社
笠間城本丸笠間城は鎌倉初期に笠間氏が築城、笠間氏は1590年に滅亡しました。江戸期は浅野氏など諸大名が藩主となり、後期以降は牧野氏が藩主となって幕末まで続きます。天主跡
笠間城は関東では珍しく石垣のある山城です。佐白山山頂の佐志能神社山頂周辺本丸の千歳松
八幡台櫓跡。ここにあった櫓は明治中期に城下の真浄寺に移設されました。八幡台山麓公園近くの営業終了したホテル日動美術館笠間稲荷の門前町
本殿真浄寺
笠間城の旧八幡台櫓を移設した七面堂愛宕神社白凛居は残念ながら休館でした。山下りんの記念館です。りんは1877年(明治10年)に美術学校に入学、ロシア正教会に入信。聖像(イコン)画家を目指してペテルブルグに留学。帰国後は聖像画に励み、ニコライ堂の聖像画は関東大震災で焼失しましたが、各地に多くの聖像画を残しました。山下りんの生涯は「ニコライの塔 大主教ニコライと聖像画家山下りん」(中公文庫)に詳しく書かれています。水戸へ来ましたが雨のため偕楽園は諦めました。




日鉱・日立・日産グループ発祥の地、日立鉱山跡の日鉱記念館

2016年08月05日 | 茨城


助川城から日立駅に戻りました。駅前の発電用蒸気タービン動翼、直径5.4m。日立市らしいモニュメントです。



日立駅


情報交流プラザ

自由通路の側面

野外ステージ

日立シビックセンター

日立風物流

プラネタリウム

図書館



シビックセンター内部。日本建設業連合会BCS賞を受賞、設計は坂倉建築研究所、故坂倉準三が創設した設計事務所です。

平和展を開催中。日立は臨海工場地帯であったため空襲、艦砲射撃で大きな被害を受けました。

B29から投下された大型5トン爆弾。長崎で投下された原爆ファットマンと同じ大きさの通常型爆弾です。原爆の投下実験を行いました。

日立メディカルセンター。病院ではなく健診施設です。日立市は日立総合病院のほかに日鉱記念病院もあり医療施設は充実しています。

駅前のイトーヨーカドー

平和の鐘。日立は戦災で一面廃墟となりました。戦後復興はめざましく日立の企業力もあって道路や公共施設の整備は素晴らしい。

駅前からバスに乗り日鉱記念館にきました。日本鉱業(現JXグループ)が旧日立鉱山の跡地を活かして記念館をつくりました。

栄斜坑



鉱山資料館


資料館内部

銅鉱石

北海道の豊羽鉱山産出の鉱石。札幌市の郊外、定山渓にある鉱山です。日鉱の鉱山だったとは知らなかった。


削岩機のコレクション

削岩機の先端のピットとロッド


巻揚げ機


削孔機。岩盤に発破のための穴をあけます。

蓄電池式の機関車

坑道断面図

電気機関車

久原本部。日立鉱山を開発した久原房之助が陣頭指揮をした事務所兼住居。

「苦心惨憺處」久原の筆です。

塵外堂


日鉱記念館本館。日本建設業連合会BCS賞を受賞。

日本鉱業の社章「日月併輝」。太陽と月の金環食をデザイン化しました。私は蛇の目かと思ってましたが。

日立鉱山の鉱石

久原房之助像


35ミリ映写機。鉱山には映画館や芝居小屋がありました。

本館2階からの眺め

日立鉱山の全景

第一竪坑(左)と第十一竪坑のヤグラ

日立鉱山から3kmほど海側の日立鉱山のシンボル、大煙突(写真上方)と第三煙突(手前)。製錬にともなって発生する亜硫酸ガス煙害対策のため1915年に標高328mの山の上に高さ155mの巨大煙突が建設されました。煙突は1993年に老朽化で倒壊しました。
大雄院地区には現在も操業中の精錬工場があります。日立鉱山は1905年に本格的に操業を開始し、1981年に閉山しました。大雄院の工場は当初から他の鉱山で産出した銅鉱石も買鉱して製錬を行い、1972年に製錬は終了しました。今も電解精錬、金属リサイクル精錬の工場は操業を継続し、大煙突は機能を続けています。
日立製作所は日立鉱山の電機部門が独立した会社です。
久原房之助の後継となって久原鉱業を経営したのは久原の義弟、鮎川義介。鮎川は日本産業(日産)コンツェルンを形成し、旧満州にも進出しました。日立製作所も日産自動車も日立鉱山、日本鉱業をルーツとする同根の会社です。













常陸・古城の旅 尊王攘夷の徳川斉昭がつくった助川海防城

2016年08月04日 | 茨城
JR常磐線・日立駅の助川城を訪ねました。

日立駅の改札口

2011年4月、東日本大震災の直後に完成した新駅舎。デザイン監修は妹島和世、橋上駅と東西自由通路から成る斬新な構造です。自由通路から橋上駅を撮影しました。

自由通路

海岸側のカフェスペース

自由通路の海岸側


駅舎の海岸側から見える太平洋

中央口。駅前広場と自由通路は高低差がないので階段はありません。駅前からバスに乗車、日立総合病院で下車しました。



日立総合病院。日本では数少ない株式会社が経営する病院です。まさに日立の城下町、市全体が「日立」のようなものですね。駅舎も駅前通りも公園も病院もインフラすべてが充実している感があります。

救命救急センター

日立総合病院の裏手の助川城の城山。日立市は旧日立町と旧助川町が1939年に合併し、発足しました。助川城は旧助川町にあった海防城です。


助川城は幕末に尊皇攘夷の急進派、水戸藩主徳川斉昭が海防のためにつくった城です。


助川城址公園の入口


公園の表側には日立市の福祉施設が建っています。


鳩石

養正館跡。水戸藩家老、助川城の館主、山野辺義親がつくった藩士のための教育施設です。

茨城百景の碑






尊皇攘夷の碑

日立の工場群

助川城は天狗党の乱で天狗党に攻められ落城しました。天狗党は筑波山で挙兵し、北関東一帯を行軍、助川城を攻略し、その後は再び北関東を経て信州、美濃を経て越前で降伏しました。水戸藩は、徳川斉昭・徳川慶喜父子の存在、天狗党の乱、戊辰戦争時の内紛など、長州・会津とならび幕末の火薬庫的存在です。



日立市・山辺町友好都市記念植樹。山辺町は山形県南東部にあり、初代館主山野辺義親が山辺町出身であったために友好都市となりました。

本丸館跡



本丸の石垣

太平洋

表門礎石

遠見番所跡



日立市の福祉施設


城山と日立総合病院の駐車場




日立総合病院の玄関付近



★関東・古城の旅 徳川御三家、水戸光圀・斉昭の水戸城へゆく









「若い血潮の予科練の~」茨城県阿見町の予科練平和記念館

2016年05月22日 | 茨城
霞ヶ浦南岸、阿見町の予科練平和記念館に立ち寄りました。予科練とは海軍飛行予科練習生のことで、航空機の搭乗員養成機関としてあまりにも有名です。


記念館は阿見町立の施設で、2010年に開館しました。私は2011年1月にたまたま通りかかり見学しました。





記念館の前庭に展示されている特攻兵器・回天の実物大模型

記念館に隣接する雄翔園・雄翔館の入口。ここからは陸上自衛隊武器学校の敷地です。雄翔園・雄翔館は、1978年に予科練卒業生の生存有志により設立された海原会という財団法人が運営しています。




武器学校内の展示戦車

戦車回収車。破損した戦車を後方へ牽引する特殊車両です。

山本五十六像


雄翔館


雄翔館内部

海軍機だけでなく陸軍機、さらにロッキードP38など米軍機の模型を展示。小型機は1/32、一式陸攻は1/48です。P38の縮尺は不明。

二式大艇

特攻兵器・震洋

特攻兵器・桜花。桜花も海軍機なんですね。

特攻兵器・回天。雄翔館の展示物は特攻兵士の遺書、日記、写真、遺品など特攻関連のものが大部分です。

雄翔園の予科練の碑

予科練「若鷲の歌」の歌碑







零戦二一型の実物大模型。実機ではありません。念のため。昨年開館5周年記念事業として製作されました。


この建物の施工は乃村工藝社、建築設計は吉村靖孝。
平和記念館の館内は撮影禁止です。予科練の入隊から卒業まで、訓練、座学、生活などの様子を紹介。昭和20年6月の米軍B29による空襲での被害の模様や特攻作戦のビデオを上映しています。
写真家・土門拳が撮影した予科練の写真42点を収蔵し展示しています。これは本物、貴重です。
平和記念館は予科練の記録、遺産の展示が中心ですが、ほかに回天、零戦、戦艦大和の1/150模型の展示もあります。
私は予科練にテーマを絞ったほうがいいのではと思いますが、博物館が存在すると、映画の撮影で使用された物、個人が製作した物などが寄贈されるのでしょうね。寄贈を受けて展示をするとテーマが散漫になっていく。回天や戦艦大和は寄贈された物のようです。