オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

常陸・古城の旅 霞ヶ浦南岸、近藤氏の居城だった木原城

2016年05月21日 | 茨城


小幡城からの帰路、霞ヶ浦南岸の木原城に立ち寄りました。





木原城は室町時代後期、土岐氏の重臣・近藤氏が居城とした平山城です。現在は木原城址城山公園として整備されています。


矢倉風展望台





展望台からの眺望。霞ヶ浦を遠望できます。


展望台の上部








常陸・古城の旅 中世の深い堀底道が残る小幡城

2016年05月20日 | 茨城
茨城の古城、小幡城を訪ねました。小幡城は最寄りに駅はなく、鉄道とバスでは攻略は不能です。




小幡城は室町時代に大掾氏が築城したという説と鎌倉時代に小田氏が築城したという2つの説があり、誰がいつ頃築城したか定かではありません。戦国時代には水戸城の江戸氏の支配下にあり、豊臣秀吉の意のもと佐竹氏によって滅亡されました。


駐車場のすぐ前が城の入口で、入口から堀底道が始まっています。堀底道を進んでくる敵軍を守備側は左右両側の土塁の上から攻撃できます。堀底道は迷路のようになっているのが特徴です。










延々と堀底道が続きます。


スダジイの巨木


櫓跡



櫓跡をあとに再び堀底道を進みます。



本丸跡



本丸井戸跡


本丸土塁

本丸土塁の上から堀底道を見下ろす



帰り道も堀底道を歩きます。





小幡城の東北の鬼門に位置する香取神社





神社境内の稲荷神社

八坂神社

八幡神社

香取神社の前から見る小幡城の城山。小幡城は中世の関東の城の特徴をよく残しています。あまり知られていませんが、城ファンには必見の城です。



下総・古城の旅 徳川家康の次男・結城秀康の結城城

2016年04月19日 | 茨城

小山から水戸線で結城に来ました。

結城駅前の市民情報センター

観光案内所

観光物産センター











結城は結城紬が有名です。古い商家、見世蔵がたくさん残っています。

健田須賀神社


まちかどパーク











蔵美館


つむぎの館



明治天皇行在所跡。1907年の陸大演習で結城に大本営が置かれ明治天皇が滞在しました。

駐驛之遺跡





結城小学校

健康増進センターと看護学校


結城城は鬼怒川の支流・田川などの河川に囲まれた平城でした。

結城城跡の北入口。駐車場があります。


あじさい坂



タイムカプセル埋設記念碑


聡敏神社


結城歴史公園





公園からの眺望





公園の西入口。結城氏は鎌倉時代に始まり、室町時代に結城城を築城、結城氏はその後一旦途絶えたが戦国時代に復活。徳川家康の次男・秀康は豊臣秀吉の命で結城家18代当主となりました。秀康は最初は秀吉の養子でしたが、秀吉の実子・鶴松誕生後、関東の結城家の養子に押し出さられました。関ヶ原の戦いでは、小山評定後に西方へ戻る家康に代わり上杉への備えとして関東に残り上杉と対陣。関ヶ原に遅参した三男・秀忠と上杉への備えで功績のあった秀康の関係は複雑ですね。結城秀康は関ヶ原の功績で越前北庄67万石の大大名に出世しましたが。




市役所




つむぎの館・手緒里










結城市と小山市は友好都市です。友好都市は遠方の市と結ぶケースが多いと思います。隣どうしは珍しいのでは。

駅前のスーパーは閉店しました。結城の街歩きは楽しかった。城跡の印象は今一でしたが、蔵造りの商店、見世蔵が数多く残っていて、蔵を中心に据えた町興しを行う町が多い中で、結城は好感度が高かった。


下総国・古城の旅 北条氏が攻略し北関東への拠点とした逆井城

2015年05月22日 | 茨城
茨城県坂東市の逆井城を訪ねました。坂東市は岩井市と猿島郡猿島町が2005年に合併し発足しました。逆井城は旧猿島町にあった城で、15世紀半ばに逆井氏によって築かれ、16世紀半ばに北条氏によって落城し、北条氏は下野・常陸方面攻撃の拠点としていましたが、豊臣秀吉の関東攻略によって北条氏は滅亡し逆井城は廃城となりました。
北側を飯沼、西側を蓮沼に面した台地に築かれた土塁の城です。飯沼、蓮沼は江戸時代に干拓され、城跡の周囲は田園風景が広がっています。
逆井城は別名飯沼城とも言われます。逆井という地名は千葉県柏市にもあります。首都圏では千葉の逆井のほうが知られています。

逆井城を訪ねるには車は必須です。電車ですと最寄り駅はJR東北線の久喜駅または古河駅、関東鉄道の石毛駅ですが、バスはないと思います。大まかに言うと筑波サーキットの近くともいえます。、







復元された二層櫓。戦国時代の関東の城らしく石垣ではなく土塁の城です。



二層櫓の内部

二層櫓から旧蓮沼の方角

南西の井楼櫓



弓矢狭間。弓矢狭間は縦長で、鉄砲狭間は正方形です。


井楼櫓からの眺め



北西部の木橋。この先は沼地でした。




飯沼を埋め立て水路として残された西仁連川。筑波山が見えます。






櫓門

旧飯沼




北東の井楼櫓

二重土塁



城跡公園内はゲートボール場として整備されています。





鐘掘池。沼が近いので水は豊富だったようです。


観音堂

千葉の関宿城から移設された薬医門

茨城県牛堀町にあった大台城から移設された主殿

主殿の庭園

薬医門の内側

逆井城跡公園管理事務所

逆井城の南西側


常陸国・古城の旅 霞ヶ浦の畔に築かれた水城・土浦城

2015年04月05日 | 茨城

茨城県土浦市の土浦城を訪ねました。土浦は何度か来ていますが、駅周辺を少し歩いたことがあるだけです。

亀城公園案内図。土浦城は霞ヶ浦の畔に造られた水城です。洪水の時には亀の甲羅が水に浮いていたように見えたので、別名、亀城と呼ばれました。現在では霞ヶ浦からかなり離れていますが、江戸時代には湖の畔にあったようです。


ちょうど桜が満開の時期でしたが、天気はあいにくで、曇時々小雨でした。


城門の前の霞橋には露店が出店

霞橋付近の濠

東櫓

東櫓内

鯱鉾





東櫓2階

曇天なので桜の色をきれいに撮るのは難しい。

櫓門、別名・太鼓櫓。時を知らせる太鼓がありました。



櫓門の外側

土浦城の城郭図。下の現状図と比べるとかなり規模が大きかったことがわかります。

現在の亀城公園の図


二の丸門


聖徳太子堂



西櫓









櫓門


土浦市立博物館。亀城公園に隣接しています。

「色川三中と幕末の常総」展をやっていました。色川三中は幕末の商人で、家業の醤油醸造業の傍らで国学を学び国学者としても活躍した人物です。


関流火縄銃の展示品。関家は土浦藩代々の砲術家で、西洋流砲術の高島秋帆に対し、和流砲術家として幕末期の国防に寄与しました。関家に伝わる古文書が土浦市立博物館で保存され、土浦藩関流古式砲術演舞会が定期的に亀城公園で開催されます。関流砲術については宇田川武久著「幕末もう一つの鉄砲伝来」(平凡社新書)に詳しく紹介されています。

高瀬舟の模型




土浦駅と亀城公園を結ぶ亀城通りの商店街

亀城通りにあるドイツ・レストラン。城下町ではひときわドイツ国旗のカラーが目立っていました。

天ぷらの「ほたて」。湖のそばなので帆立貝ではなく帆立船から名付けたのでしょうか。

亀城公園と交わる中城商店街。旧水戸街道

うなぎの武蔵屋


散策していて駅の近くで見つけた古本市。かなり規模が大きいです。所沢で開催される「彩の国古本市」も大規模ですが、この古本市は面積では所沢に劣りますが本の数では所沢以上だと思います。古本の山に突入してみたかったのですが、旅の途中なので諦めました。