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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

美濃路・古城の旅 岐阜城攻めの拠点、木下藤吉郎の墨俣一夜城

2016年10月20日 | 愛知・岐阜
大垣駅前からバスに乗り、長良川西岸の墨俣城へ向かいました。

墨俣宿渡船場の常夜燈


墨俣は美濃路の一部です。鉄道の東海道線は今は岐阜、大垣、関ヶ原を通っていますが、江戸時代の東海道は熱田から船で桑名へ渡って鈴鹿峠を通っていました。


墨俣城のイメージです。城といえるほどのものではなく、砦というのが正しいでしょう。櫓は井楼です。

戦国時代の砦跡に現在は立派な天守風の建物が建っています。

橋の名は太閤出世橋といいます。

西の揖斐川の方向

東の長良川の堤防

墨俣はもとは「洲の俣」といい、川の流れが二股になっていたようです。

木下藤吉郎秀吉の像。笏を手にもっているので、長浜時代の姿でしょうか?

墨俣一夜城、正式名称は大垣市墨俣歴史資料館です。

地元出身の作家・豊田穰の展示コーナー。氏の代表作は「長良川」です。


長良川の上流、岐阜城の方向

長良川の下流の方角

資料館の最上階




墨俣城碑

馬防柵


長良川の堤防へいく橋



秀吉の歌「日のもとに、またから(唐)国も手に入るる、ゆたかなる世のはるにあふかな」


豊国神社

白鬚神社








墨俣宿の町並み

脇本陣


美濃路・古城の旅 関ヶ原の戦い、西軍の最前線拠点の大垣城

2016年10月20日 | 愛知・岐阜

大垣に来ました。大垣駅の北口

北口駅前はかつてはオーミケンシの工場がありましたが、今はアクアウォーク・アピタという商業施設となっています。オーミケンシの発祥の地は彦根市です。絹紡績の老舗企業です。オーミケンシといえば戦後発生した労働争議(当時は近江絹糸)は有名ですね。三島由紀夫の小説「絹の明察」の題材となりました。近江絹糸のアパレル部門はミカレディです。

南口駅前のモニュメント

南口の駅ビル

大垣城の外堀、水門川


大垣城址碑

メインストリートの商店街の裏手に見える大垣城天守

東門

東門前のレトロなビリヤード場

東門と丑寅櫓


東門前の石垣







大垣城の天守は戦前は国宝に指定されていましたが、空襲で焼失し、天守、戌亥櫓、丑寅櫓が鉄筋コンクリートで復元されています。

大垣城址碑

大垣城天守。大垣城は関ヶ原の決戦では西軍の最前線の拠点となりました。東軍が大垣城を迂回し関ヶ原へと向かったため、西軍主力は大垣城を出て関ヶ原へと向かい大谷吉継らの軍と合流し、東軍との決戦に臨みました。関ヶ原で西軍が敗れると大垣城は東軍の中に孤立し落城しました。




大垣城天守内部

西軍大将の石田三成

石田三成の家臣・島左近。島左近は先日訪れた信貴山城のある平群町の出身です。

天守最上階

関ヶ原の方角

岐阜城の方角

小原鉄心の碑。大垣藩の城代です。


辰巳櫓跡

金森吉次郎像。明治時代の県会議員・国会議員。明治29年(1896年)の揖斐川大洪水の時に陣頭に立って被害拡大を食い止めました。


麋城(びじょう)の滝。麋城は大垣城の別名です。

鉄門跡




西門


戸田氏鉄騎馬像。江戸時代初期から幕末まで大垣藩主は戸田氏でした。氏鉄は初代藩主です。

戌亥櫓

大垣市郷土館

郷土館の門



大垣城の模型。明治期に水門川を除き内堀・外堀は埋め立てられました。戦災で焼失した天守・櫓も惜しいが、内堀はもっと惜しい気がします。


水之手門

戌亥櫓




明治29年(1896年)大洪水の時の水位



丑寅櫓

大手いこ井の泉


東口大手門跡

駅前のメインストリートから見る大垣城天守


レトロな金物店

水門川

駅前通り。戦災後の区画整理で道路は真っ直ぐです。

酒店

ヤマゲンデパート

駅前の噴水


老舗の和菓子店

駅ビル










東海道の旅 豊橋からJR飯田線で豊川へ、いなり寿司が名物の豊川稲荷

2015年08月29日 | 愛知・岐阜
吉田城の見学を終え、まだ多少時間があったので豊川稲荷へ行ってみることにしました。

豊橋から豊川へいくにはJR飯田線と、名鉄・豊川線の2つの行き方があります。私は18きっぷなのでもちろんJRです。豊橋駅の1・2番線はJR飯田線、3番線は名鉄、4番線以降はJR東海道線です。豊橋駅に隣接して豊橋鉄道・新豊橋駅があり、渥美半島の三河田原へと伸びています。豊橋駅は平面のプラットホームで、私の好きな駅の一つです。



JR豊川駅です。


隣接する名鉄・豊川稲荷駅。豊川線の終点です。

駅前ロータリーの狐のモニュメント

豊川稲荷の参道

豊川稲荷の総門。「豐」の文字は重厚でいいですね。中国・簡体字で「豊」は漢数字の「三」に縦棒です。ある時、日本語のできる中国人に「あの字はあんまりだ」と言ったら、「日本の豊も簡略化している」と切り返されました。五十歩百歩か。


山門




寺宝館



大本殿

祈祷受付所

鐘楼堂

総門前のいなり寿司店。いなり寿司は豊川稲荷の名物ですが、発祥の地ということではないようです。いなり寿司の発祥は名古屋説、江戸説など諸説があって、豊川説もあります。

参道入口の甘味処


斉藤金物店。“豪商”という立派な店構えです。

斉藤金物店の裏側の倉庫










東海道・古城の旅 豊川を背水とした吉田城、豊臣の時代に池田輝政が大改築

2015年08月28日 | 愛知・岐阜
青春18きっぷの旅今季7回目は愛知県豊橋市の吉田城を訪ねました。吉田城は豊橋城ともいわれ、豊臣時代に池田輝政が入封し、改築・整備をしましたが、その後の徳川時代には頻繁に城主が交替し城構えが完成することなく幕末を迎え、明治期には陸軍歩兵十八連隊の営舎として使用されました。

豊橋駅に到着。昨年秋に飯田線を旅した時以来です。

駅前から豊橋鉄道の路面電車に乗り豊橋公園へ向かいます。都電を除けば路面電車に乗るのは久しぶりです。長崎以来かも。




豊橋市役所近くの豊橋市公会堂。1931年(昭和6年)建築の洋風建築。設計は中村與資平、静岡市庁舎や静岡銀行本店の設計を手がけた建築家です。

豊橋を守る2羽の大鷲

藩校時習館跡。愛知県立時習館高校として継続しています。
三の丸跡の豊橋市役所

豊橋公園入口


公園入口にある旧陸軍歩兵十八連隊の歩哨舎


明治元年に撮影された吉田城の写真




仙台シダレザクラ

戦災復興記念碑。豊橋は1945年6月に空襲を受け市内の大半が焼失しました。

二の丸口門跡


着到櫓跡


中村道太の碑。吉田藩士として生まれ、明治期には地元で実業家として活躍。





冠木門付近













本丸の周囲の石垣



本丸北西に復元された鉄櫓(くろがねやぐら)。




裏御門付近の石垣

本丸井戸跡







北御多門付近の石垣

北御多門跡から見上げる鉄櫓

豊川。豊川の上流には長篠城があり、下流は三河湾にそそぎます。

武具所跡


鉄櫓の内部は残念ながら非公開です。





腰曲輪付近の石垣

国道1号線の吉田大橋



鉄櫓の北側の堀と石垣


南御多門跡


南御多門の石垣の上に吉田城趾の碑が建っています。

千貫櫓跡

イスノキの巨木

イスノキと鉄櫓

入道櫓跡


歩兵十八連隊の碑

金柑丸跡

弥健神社

神武天皇像。日清戦争の戦勝記念でつくられたようです。

豊城神社

歩兵二百二十九連隊の碑

三の丸会館

歩兵百十八連隊の碑

二の丸御殿跡


評定櫓跡


豊橋市美術博物館。英語では美術館も博物館もmuseumです。

二の丸土塁

豊橋正ハリスト教会。函館の正ハリスト教会が有名ですが、各地に正ハリスト教会があります。

電車で豊橋駅へ戻ります。この路面電車は単線です。

都電は低床式となってバリアフリー化が進んでいますが、豊橋は乗降時にはステップがせり出してきます。
























東海道・古城の旅(7)木曽川沿い、財団法人が所有する国宝犬山城

2014年10月28日 | 愛知・岐阜

岐阜から高山線で鵜沼駅へ向かいました。車窓から岐阜城が見え、沿線には川崎重工の大きな工場があります。川崎重工は川崎市ではなく神戸が本社ですが、岐阜県にも事業所があるんですね。ここら一帯は三菱重工村かと思ってましたが意外です。

JR鵜沼駅から名鉄・新鵜沼駅へ行き、犬山遊園で下車しました。


長良川沿いに犬山城が見えてきます。


針鋼神社

三光稲荷神社

犬山神社

いよいよ国宝・犬山城です。


大手門



犬山城の別名は白帝城。平成16年までは日本で唯一個人所有の城でした。今は財団法人が所有し管理しています。



天守閣からの眺望

天守閣最上階


天守閣へのぼる階段



長良川

長良川に架かる犬山橋。犬山は愛知県、対岸の鵜沼は岐阜県です。

犬山橋の隣は名鉄の鉄橋です。


中部国際空港へゆく名鉄の電車。名鉄も乗りつぶしてみたい。

JR鵜沼駅と名鉄・新鵜沼駅を結ぶ空中歩道。

2泊3日の名城の旅を終えました。犬山城の天守閣はいいですね。文句なしです。
石垣が美しいのは伊賀上野城と松阪城。上野城の天守閣は戦前の再建なので木造です。
長篠城は合戦の舞台となった歴史物語が面白い。
桑名城はロケーションがいいですね。
名古屋城は鉄筋コンクリートで再建するとこうなるという一つのモデルです。
岡崎城は再建モデル小型版です。