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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

美濃・古城の旅 日本三大山城、六段壁石垣がそそり立つ岩村城

2017年04月05日 | 愛知・岐阜
岩村川の上町橋を過ぎるといよいよ岩村城跡です。

太鼓櫓が見えてきます。


太鼓櫓


藩主邸跡

歴史資料館

岩村城の模型

藩主邸跡から見る城下町


鉄砲停め

藩校知新館

右端の建物が知新館正門


楷の木

成瀬桜桃子句碑



儒学者佐藤一斎像

佐藤一斎の三学戒



銅像公園


衆議院議員・実業家浅見与一右衛門像





教育者・歌人の下田歌子誕生地

下田歌子顕彰碑



下田歌子勉学所

下田歌子像

植物学者三村学像

岩村偉人十傑とは佐藤一斎、下田歌子、三好学の三偉人に加えて加藤景廉(岩村城の築城者)、希菴玄密(戦国時代の僧侶)、岩村御前おつや(女城主)、橋本祐三郎(農村民生を担当した岩村藩士)、林述斎(江戸時代の儒学者、佐藤一斎の師、鳥居耀蔵の父)、浅見与一右衛門(衆院議員・事業家)、大島健一(陸軍中将、大東文化学院総長、第2次大戦開戦時のドイツ大使大島浩の実父)。

藤坂

初門




一の門


一の門付近の石垣

休憩所


畳橋



追手門・三重櫓



井戸

霧ケ井

八幡神社

八幡宮跡

霧ケ城神社

菱櫓・俄坂



そそり立つ六段壁。江戸時代後期に上部の石垣の崩落防止のために下部に石垣を増設した結果六段構造になりました。






長局埋門

本丸

昇竜井戸


歴代将士慰霊碑




歴史方位盤






埋門



崩落寸前の石垣

温故の井


「女城主」は岩村酒造の登録商標です。




岩村駅に戻りました。これから終着駅・明知駅に向かいます。
岩村城の遠山氏は分家の明知城遠山氏、苗木城遠山氏と合わせて「三遠山」と呼ばれます。
信長の五男は女城主おつやに育てられたましたが、岩村城は武田の武将秋山信友に攻められて落城、おつやは信友の妻となり、五男は武田の人質となって甲府で育てられました。
この五男はのちに織田方へ戻され、本能寺の変では信長嫡男信忠とともに討ち死にします。

美濃・古城の旅 伝統的建造物群保存地区、女城主の岩村城下町

2017年04月04日 | 愛知・岐阜

ホテル・ルートイン恵那。大浴場があるのはうれしいです。


国鉄明知線(現明知鉄道)で使用されたSL、C1274

古屋慶隆像。戦前の衆議院議員。国鉄明知線の開業に尽力した人物です。

浅見与一右衛門顕彰碑。岩村の庄屋の生まれで、私財を投入し岩村~大井(現恵那)に岩村電気軌道を開設。全国で15番目の電気鉄道です。

津島神社


大井宿広場




現在の中山道


旅籠信濃屋。木造3階建て、現在も営業中です。

恵那駅

駅前ロータリー

明知鉄道恵那駅




駅舎内

駅ホーム

明知鉄道の電車内


岩村駅に到着

岩村三偉人




駅前食堂


三偉人とは三好学、下田歌子、佐藤一斎です。三好学は植物学者、東京帝国大学教授。桜と菖蒲の研究者として有名で、小石川植物園の園長も務めました。下田歌子は明治の歌人・教育者。女子教育に尽力し実践学園の創設しました。佐藤一斎は岩村藩出身の儒学者です。


鴨長明祠


岩村城下町は伝統的建築物保存地区に指定されています。

巖邑天満宮

岩村はカステラが名物です。



下町枡形。城下の通りをクランク状に曲げて通しています。

高札場




信用金庫


勝川家。「もう一人の女城主」展を開催


岩村城は鎌倉時代に遠山氏が築城、代々遠山氏の城でした。織田信長は政略結婚で岩村城主の遠山景任のもとへ信長の叔母のつやを輿入れさせ、景任が若くして病死すると自身の五男を後継者として送り込み、つやを後見人とした。実質つやが遠山家を差配したため、女城主と言われました。

岩村城の模型



勝川家の内部




旧十六銀行岩村支店、現在は観光案内所となっています。




木村邸


カステラの松浦軒本店




常夜燈



岩村川の上町橋














尾張・古城の旅 信長が初めて縄張りをして築城した小牧城

2017年04月04日 | 愛知・岐阜
2泊3日の予定で尾張・美濃攻略の旅に出ました。

名鉄・小牧駅。最初の目標は尾張・小牧城です。

駅前の名古屋コーチン銅像

観光案内所



小牧城は駅から徒歩で30分ほどです。

西源寺

西林寺の望楼

玉林寺

小牧神明社

小牧山

小牧山の東側を流れる合瀬川



小牧史跡公園入口


空堀




信長居館跡



小牧中学校跡




かつては城山の麓に市役所がありました。

現在、市役所は国道の向こう側に新築移転しました。



大手道。織田信長にとって清洲城は父・信秀から引き継いだものであり、岐阜城は斎藤道三の城でした。小牧城は信長が初めて自ら縄張りをして築城をした平山城です。大手道から山頂近くまでまっすぐ大手道が伸びる安土城で完成する信長の築城術がこの小牧城でも見られます。



尾張徳川家9代徳川宗睦墓碑




小牧山稲荷神社









石垣の裏込石



転落石。石垣は古くなると自然に崩壊します。小牧山城は石垣の城としては初期の城だったので、石積みの技術は高くはなく、崩壊しやすかったのでしょう。







模擬天守の小牧市歴史館


最上階

眺望

徳川義親銅像。尾張徳川家第19代当主。越前福井藩主・松平春嶽の五男。













土塁の断面

城郭風の不思議なビル



小牧市民会館

南欧風の建物。売り物件です。



メナード美術館。改装工事中です。

超モダンなJAの建物

西林寺の門











桶狭間の戦い 豊明市「古戦場伝説地」と名古屋市「古戦場公園」

2017年03月25日 | 愛知・岐阜

桶狭間古戦場へいくため名鉄線・中京競馬場前駅にきました。

中京競馬場前駅南口。競馬場は北口です。競馬開催日ですが乗降客は少ないと感じました。



桶狭間古戦場は駅から5分と、非常に近い。


道案内は非常に親切です。



古戦場伝説地のすぐ近くの医療法人静心会BIG K。静心会は精神医療・リハビリを展開し、BIG Kは第2代理事長藤田啓介を記念してつくられたデイケアと脳神経オーダーメード医療研究の複合施設です。藤田啓介がつくった学校法人が藤田学園で、藤田保健衛生大学、同大学病院、坂文種報徳會病院、七栗記念病院などを運営しています。
私はかつて豊明市沓掛町田楽ヶ窪の藤田保健衛生大学のキャンパスを訪問したことがありますが、広い台地上に広がり、桶狭間のイメージにピッタリの感じでした。

桶狭間病院藤田こころケアセンター

桶狭間古戦場の石碑

石碑は昭和16年の設置です。





弔古碑



今川義元の墓


七石表1号碑。明和8年(1771年)に建てられた7つの石碑の1つで「今川義元戦死所」と書かれています。

3号碑。士隊将塚

4号碑。士隊将塚

5号碑。士隊将塚

6号碑。士隊将塚

7号碑。士隊将塚


香川景樹歌碑



今川義元の仏式の墓。万延元年(1860)に建立


徳本行者の名号



高徳院


高徳院境内の今川義元本陣跡

裏面です。今川義元直系19代芹沢二郎により建立


タブの木


十三仏巡り

本堂



今川義元の重臣松井宗信の墓。明治9年建立

2号碑。松井宗信の墓



永代供養納骨堂。桶狭間の戦いとも今川氏とも無関係の現代の施設です。


お化け地蔵


古戦場伝説地

伝説地ではボランティアガイドの人がいろいろ説明をしてくれます。私が事前に調べたところでは古戦場には信長と義元の銅像があると思っていました。ガイドの人はそのことは一切触れません。周辺地図にも記載がありません。なんか不可解な、消化不良の気持ちで帰りの電車に乗りました。
車中で落ち着いてスマホで調べたら、豊明市の古戦場伝説地のほかに名古屋市緑区に古戦場公園があることがわかりました。緑区の公園にはたしかに2体の銅像があります。2つの場所の距離は2kmほど、十分に歩ける距離です。
きちんと事前に調べておけば、もう少し突っ込んでガイドの人に聞いていれば古戦場公園にも行ったのですが、不覚です。
それにしても豊明市の古戦場伝説地の周辺地図に名古屋市緑区の古戦場公園の記載が一切ないのはどうしたものでしょう。豊明市は今川方、名古屋市緑区は織田方で、両市は犬猿の仲なんでしょうか。

1週間後に改めて名鉄・有松駅からバスで、名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園にきました。


今川義元・織田信長像です。


勝者織田信長


敗者今川義元

今川義元戦死の地


桶狭間古戦場保存会の手で2010年(平成22年)につくられました。


桶狭間古戦場のジオラマ。右上方の小高い山が主戦場です。

田楽坪


首洗いの泉


大田錦城詩碑




幕山というバス停から徒歩5分です。


バス停近くの商店


JR東海道線・南大高駅
2回に分けて桶狭間古戦場伝説地と桶狭間古戦場公園を訪ねました。歴史的興味を満足させてくれるのは明らかに伝説地のほうです。公園のほうは銅像とジオラマがウリですが、どちらもしょせん作り物です。歴史的価値はゼロに近い。
桶狭間の戦いは両軍合わせて2~3万の軍勢が激突した大規模な戦いです。戦いの場はかなり広域だったはずです。義元の本陣がどこだったのか、どこで首を取られたのかはいろいろ説があります。
七石表は江戸時代に設置されたものなので、その位置が確かかというと、それほど確実性の高いものでもないようです。
私はこれまで関ヶ原、田原坂、川中島、母成峠などの古戦場を訪ねました。関が原と田原坂はいいですね。歴史の思いに浸ることができます。川中島はただの広っぱでつまらない。母成峠も石碑があるだけです。
今回の桶狭間一帯はすっかり宅地化が進んで当時の面影はまるでない。平地の史跡は残すのが難しいですね。
長篠の戦いの古戦場の長篠城へは行きましたが、設楽原には行ってないので、近々設楽原へ行こうと思っています。

三河・古城の旅 渥美半島、渡辺崋山を輩出した田原藩の田原城

2017年03月04日 | 愛知・岐阜


青春18きっぷで豊橋に来ました。


豊橋鉄道渥美線の新豊橋駅。豊鉄はこの三河線と豊橋市内の東田本線の2路線を営業しています。

豊鉄新豊橋駅の改札口



三河線の電車(菖蒲)

三河線の電車(椿)


三河田原駅に到着しました。


2013年に完成した三河田原駅

駅舎の右側は交流広場です。

公衆便所

駅前ロータリー

あさりせんべいの店

和菓子店

コーヒー店

時計塔

田原城の堀


桜門



桝池

田原城址碑

巴江神社碑


桜門の内側


二ノ丸櫓(文化財収蔵庫)

井戸


田原城は15世紀末に戸田氏によって築城され、16世紀半ばに今川義元によって攻略され、関ヶ原の戦いののちは三宅氏の居城となりました。巴形の入江に面していたことから巴江(はこう)城と言われました。

右側は田原市博物館、左側は文化財収蔵庫

内側から見た桜門

収蔵庫

博物館入口

田原城の模型


田原駅の説明。2013年に完成した新駅舎は安藤忠雄の設計です。


雛人形の展示

崋山神社



渡辺崋山「八勿の訓戒」

崋山会館



手水鉢

巴江神社




招福の石





冨多満瑠神社


護国神社


崋山之碑

民俗資料館


藩校成章館跡の田原中部小学校

「見よや春大地も亨す地蟲さへ」渡辺崋山の立志像

大手通り


報民倉


大手公園

複合商業施設セントファーレ