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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

上野国・古城の旅 武田信玄の磯部城と人見氏の人見城

2018年08月21日 | 群馬
群馬県の磯部駅です。磯部駅前
温泉記号発祥の地だそうです。古民家磯部城の城山。磯部駅から東へ約2kmです。
妙義山
信越化学の関連会社の半導体工場
城山公園入口
戦国時代、武田信玄が築城。武田信玄は佐久から碓氷峠を下って北関東に進出しました。碓氷峠の一つ南の内山峠・下仁田経由というルートもあります。城山公園信越化学からの寄贈です。
空堀
双馬出し。馬出しは武田流築城の特徴です。空堀二ノ丸虎口
物見平
櫓台
虚空蔵菩薩二ノ丸跡
本丸跡
田村神社
田村家の墓信越化学工場裏の崖もう一つの信越化学工場。
教会磯部駅の西約2kmの大宮神社。人見城跡です。道を間違えてかなり遠回りをしました。結局磯部城から炎天下を1時間以上歩きました。人見城は南北朝時代に足利方だった人見氏が築きました。空堀笹鳴橋。この先が本丸跡ですが、私は炎天下の行軍で疲労困憊。夏草が繁っているしヤブ蚊も多いようなので突入は断念、撤退しました。ほたる池またも信越化学の工場。信越化学は戦前に日本窒素(現チッソ)と合弁で長野市に本社を置き、直江津に工場を建設してスタート。戦後は塩化ビニル樹脂、半導体ウェハーの世界的なメーカーです。
長野を地盤とする小坂財閥の会社で、創業者の孫・小坂徳三郎は信濃毎日新聞社長、信越化学工業社長を務めたのちに政界入りし田中内閣で大臣を務めました。群馬県の安中に工場を持っているとは知りませんでした。安中といえば東邦亜鉛ですからね。磯部駅前次に安中へ向かいます。

東武電車・桐生の旅 上毛電鉄・西桐生駅、桐生倶楽部、織物記念館

2018年06月19日 | 群馬
JR桐生駅。伊勢崎を早めに切り上げてJR両毛線で桐生に来ました。桐生はJR桐生駅のほかにわたらせ鉄道・桐生駅、東武鉄道・新桐生駅、上毛電鉄・西桐生駅の4駅があります。JRとわ鉄の桐生駅は共通、他の2つは離れています。
観光物産館駅前交番。桐生明治館のデザインを模倣しています。駅前通り宮島庵本店。うどん店の老舗らしいが閉店です。上毛電鉄・西桐生駅。JR桐生駅からは徒歩で5分ほどです。関東の駅百選改札口駅ホーム。私は2012年9月に新前橋から西桐生まで上毛電鉄全線を完乗しました。当ブログは2013年12月にスタートしました。次回上毛電鉄に乗車したときにレポートしたいと思います。駅舎内
駅舎の側面
駅舎の裏側
桐生織物記念館桐生信用金庫第二宮島庵。閉まっています。昭和風の雑居ビル金善ビル桐生倶楽部会館。桐生倶楽部は桐生の産業人・商工業者の社交団体です。1900年に発足した桐生懇話会が前身で、1918年に桐生倶楽部となりました。建物は1919年竣工、スパニッシュコロニアル様式の木造建築物です。国登録文化財です。2階ホール
桐生倶楽部発祥の部屋桐生倶楽部の側面光性寺
織物参考館織物参考館のノコギリ屋根。もとは織物工場です。桐生カトリック教会公民館桐生織物記念館の正面1階の直販コーナージャガード織り機2階

桐生織物協同組合の新館桐生駅の立ち食いそば店。休業中。以前一度食べました。
本町通りの重要伝統的建造物群保存地区は2016年6月当ブログにて紹介しています。桐生市街のページはこちら

東武電車・伊勢崎の旅 伊勢崎城の痕跡、時報鐘楼、いせさき明治館

2018年06月19日 | 群馬
東武・伊勢崎線の終点、伊勢崎にきました。伊勢崎駅はJR両毛線及び東武伊勢崎線が乗り入れ、高架駅となっています。伊勢崎駅南口まるで新幹線の駅みたいに立派な駅舎です。駅前の大型スーパー、ベイシア伊勢崎城跡の発掘調査中です。語洲燈珈琲(ゴストーコーヒー)。店頭で客の注文に応じて焙煎をしてくれます。いせさき織物いせさき明治館。1912年(明治45年)に建築された木造洋風建築。もとは内科医院です。曳き家工法で現在地に移設されました。なんと休館日です。和菓子店かかぁ天下の由来伊勢崎神社神楽殿手水舎和菓子店旧時報鐘楼
武家門通り北小学校。このあたりが伊勢崎藩陣屋跡です。北小学校の正面玄関幼稚園
三宝大荒神の延命寺
同聚院
仁王像
武家門文明の石幢伊勢崎駅駅前のベイシアインフォメーションセンター駅構内の東京福祉大学の広告パネル。東京福祉大学はもともとは群馬県伊勢崎が発祥の専門学校です。東京の池袋に池袋キャンパスがあります。
時報鐘楼の少し西方の図書館の場所が伊勢崎城本丸跡だということを帰京後に知りました。本丸跡に「伊勢崎城趾」の碑があるのかないのか。見逃したのなら誠に残念です。


上州・古城の旅 織田宗家7代の城下町、小幡陣屋

2017年11月29日 | 群馬

道の駅甘楽これから城下町小幡を歩きます。といっても小幡氏の城下ではなく、江戸時代前期に織田信長の次男・信雄は小幡を領地とし、小幡藩の陣屋がありました。楽山園前の御殿通り
楽山園の番所、入場券売り場です。
中門
楽山園は小幡藩邸の大名庭園です。御殿跡
昆明池六間長屋
信長・秀吉の石像。「織田がつき、羽柴がこねし天下餅」です。拾九間長屋楽山園ジオラマ長屋の内部展示長岡今朝吉ギャラリー織田信長の甲冑食い違い郭
松平家大奥
高橋家
高橋家の心字池大手通り
お休み処大手門歴史民俗資料館かかあ天下像。上州名物のかかあ天下とは、亭主関白に対するかかあ殿下という意味ではなく、「うちのかかあは天下一」という自慢話だそうです。知りませんでした。資料館1階2階小幡家の元祖赤備え国峰城絵図
小幡氏系図
織田氏系図
松平氏系図
織田信長織田信雄小幡氏が参戦した三方原の合戦絵図
北条と戦った三増峠合戦の絵図大手門礎石歴史民俗資料館別館内部箪笥階段2階
土木遺産・雄川堰中小路御殿サクラとムクロジ高橋家織田家の墓がある崇福寺位牌堂石造聖観音坐像
織田信雄の墓
織田家七代の墓

私は群馬県の国道18号、碓氷バイパス、国道406号、254号などの道筋はよく知っていますが、ここ小幡の町は知りませんでした。現在の国道とは離れたところにこういう城下町があったとは。












上州・古城の旅 武田二十四将、元祖赤備えの小幡氏の国峰城

2017年11月29日 | 群馬
群馬県甘楽町の国峰城を目指します。

今回は愛車できました。国峰城の入口です。御殿平鳥居
山頂の本丸跡
浅間山
御殿平に戻りました。ここまでは普通車でも来られます。ただし途中ではすれ違いはできません。
国峰城は武田二十四将の小幡昌盛、三増峠の戦い・三方ヶ原の戦いの小幡信貞らの小幡氏が城主でした。信貞は設楽原に墓がありましたが、設楽原で戦死したというのは間違いのようです。
オーロラ特急設楽原古戦場のページ