ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

東京ゲートブリッジを往く

2022年10月28日 | TOKIOの道と川
2012年の開通から10年。ようやく念願のゲートブリッジ歩きをして来ました。

若洲昇降施設。過去三回ほどこの場所まで来ているのですが、悪天候やコロナでことごとくやっていなくて涙を飲んで帰りました。
この日もかなりの強風だったので心配していましたが無事に営業中でした。

エレベーターで8階へ。小窓から見える橋の姿に興奮が高まります。

到着。いつの間にか冠雪した富士山がくっきり見えます。

階段で9階に上がると小さな展望室。ここからは橋と反対側の江戸川区から千葉方面が見通せます。

タワー自体は三本の支柱で立っています。手すりの上にスマホを出して下向きに撮影しているのですが高所恐怖症気味なので股間の緊張感がハンパない。

いよいよ外へ!

若洲キャンプ場や釣り施設。

手前の下部トラスの先端まで450m。上部トラスの末端まで600m。橋を渡ってあちら側の昇降施設まで1,600m。往復で3,200mの空中散歩です。

手すりが案外低い。私の肋骨の下くらいまでです。せめて脇の下くらいまでの高さがないと怖いのであまり手すりに近づかないで歩きます。

でも眺望はすごい。中央部分に向かうにつれて高度も徐々に上がって行きます。

10分ほどで上部トラス部に着きました。600tを越える巨大なトラスをクレーン船で運んできてえいやと橋脚の上に乗っけたというのが信じられません。

トラスボックス内部は手すりが少し高くなっていて、所々にガラス窓で風景を楽しめるようになっています。

飛行場が近く高さの制限が厳しかったという理由からですが、この橋が吊り橋ではなくトラス橋で作られて本当に良かったと思います。

今歩いている二つのトラスの間は約100m。橋としての最終段階となる中央径間箱桁架設工事は2011年2月27日に行われました。東日本大震災の12日前です。
建造中の橋自体には特に地震被害はなかったそうですが、工事を進めるにあたってその影響を全く受けなかったということもないんだろうな。

見覚えのある船が湾の奥の方から来て橋の手前でUターンしました。東京都が保有する視察船「東京みなと丸」です。
東京湾の役割と現状を広く都民に知らせるための活動として公募した都民を乗せて湾内をクルーズします。私も2年前の12月に乗船しました。

対岸がはっきり見えて来ました。歩き始めたゲートブリッジの東端の住所は若洲ゴルフリンクスがある東京都江東区若洲です。
では今見えている対岸はと言うとこの埋め立て地にまだ住所はないようです。GoogleMapでこの場所を調べても「東京都」としか出て来ません。
「中央防波堤外側埋立地」と言うのが現時点での名称のようです。写真で右に隣接する埋め立て地は「東京都江東区海の森」と地名が出ます。
橋が向かう先の埋め立て地には令和元年に「令和島」と名前が付けられました。なので現在名無しのこの土地も、埋め立てが完了すればきっと新しい名前が付けられるんでしょう。
ちなみに写真中央の水路のように見える部分は海の森水上競技場。東京オリンピックでボート、カヌーの競技が行われた会場です。

名前のない埋め立て地に立つ対岸の昇降施設に着きました。ゲートブリッジで歩いて来られるのはここまで。この先は歩道がありません。
このエレベーターで地上に降りることもできませんので後は来た道を戻るだけです。

若洲からゲートブリッジで来たこの道はこの先の令和島を過ぎると長さ3.1kmの臨海トンネルで東京湾の下を潜ります。

じゃあ帰ろう。ここまで来た人のためにせめて認定スタンプくらい置いておいたら人気出るんじゃないかな。私はそういうの押さないけど。

同じ道を帰るだけなので写真はほとんどありません。これは上部トラスボックスの接合部なんですが、現在でもやっぱり鋲をたくさん打って鉄と鉄を繋ぐんですね。
技術がいろいろ進化してもその点だけは鉄人28号の時代から変わらないことが面白い。

広い空を飛ぶ無数の鳥の群れ。PCだと見えますがスマホでは見えないと思います。

往復3.2kmを歩ききって無事に地上に戻って来ました。二頭の恐竜が向き合っていると例えられるこの橋のデザインはすごく好きです。

ここからは余談です。
ゲートブリッジとはけっこう長い付き合いで、橋の完成前にも新しい橋の見物に来ていました。2010年の11月にRさんと自転車で来た時の写真を少し貼ります。
元祖「ありゃりゃゴルフ」ブログには載せた写真なのですがブログ自体消滅してしまったのでもう見ることができなくなっている写真です。

トラスボックスを橋脚に乗せ終わった所。中央の空白部分、隙間は短く見えますがあれで100mもあります。



12年前なのでモザイクなしで載せちゃおう。防波堤の上でこの子たちも今は大学生くらいになっている計算です。50才だった私も62歳になりました。

東京湾における私のGPS軌跡。マップに「名前のない島」と打ち込みながら山崎まさよしの名曲「名前のない鳥」に似ていると思いました。
それにしても、たまたまゲートブリッジのど真ん中にいるあたりで、たまたま巡視船が目の前に来るって偶然がすごい。持ってるなー。
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