ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

気仙沼鮨レポート 10月13日の記録 

2013-10-17 19:25:46 | 気仙沼鮨
陽道さんから写真届いたよ。
3回くらいで。レポートします。



どどんと 斉吉。よく晴れた。風 気持ちいい。




前日入り組がバッテリー故障で。当日、新幹線で来た、
おでん屋の大野さんがまさかの一番のり。
つづいて、東京から車で来た窪田くん、
仙台で陽道さんをピックアップしてくれました。
とりあえず、乾杯。窪田君は友だち来るまで、サイダーで。


陸前高田、神田葡萄園さん。昔からあるみたい。
気仙沼も八瀬という場所で葡萄もワインも作ってるんだって!!


最初食べてくれたのは。斉吉さんの皆様。こちらは専務の和枝さん。

「工場のスタッフ8人、お弁当持って来てるんだけど、
せっかくだから、12時のお昼休みに、少し握ってくれないかしら?」
「わーい、ありがとうございます!!」


さすが、おでん屋の店長!!早々、いろいろお手伝いしてもらいました。
大野「気仙沼にきてニンニク刻んだなんて、きっと忘れないだろうね」
ニンニク刻むたびに、気仙沼思い出せばいいよ。



和枝さんの息子さんお二人。
「へー、今日は、投げ銭かー」
斉吉さん、お気持ちありがとうございました!!


22歳と24歳で家業を手伝うって。自分の人生では
全く想像できないというか。かっこよすぎです。


陽道さんはばっぱの台所の立ち上げのときに、
ほぼ日の仕事できてたんだって!!



筆談



いつもの場所で少し違う景色。


発砲スチロールに氷を詰めて。バッドをはめ込み、さらに氷を。
器を敷いて、即席ネタケースの完成です。あるものでなんでもやります。




和枝さんも。「私も、2貫だけ食べてもいいかしら」



ヒラメ いくら を。醤油は陸前高田の八木澤商店で。濃いです。


あー、もうずっと話しを聞いていたい。
お鮨の話し、サンマのはなし。
10分くらいだったけど。楽しかったなー。
家業を継いだ人として、息子たちに見せる顔にね。
もうグッときちゃった。
それぞれの覚悟、決意、温度、想い、表情。


いつか、斉吉の舞台を彼らが切り盛りするようになって。
悩んだときに、思い出すのは社長と専務の後ろ姿なんだろうな。
志の輔さんの師匠の話しを思い出しました。


お米は気仙沼港のすぐ近く。
4代続く、月立米店で、宮城のササニシキを買いました。
海のそばでも、家はなんとか無事だったみたい。
震災直後はボランティアの人とか、地元の人とか。
とりあえず、お茶を飲んできなって。みんなでお茶してたんだって。
とりあえずお茶。ですよね。コーヒーを頂いた上に
お米も安くしてもらったから、お礼にお鮨を配りに行きました。
そしたらチップを頂いて。こんな風に歳をとりたいです。
また。頼みにいきますから。



飯台だって、家庭用。そこにあるもので。できることをしよう。

和枝さんとは「お鮨は米だと思います」
最後にそんな話しをした。そして、お仕事に戻られました。
斉吉の皆様。忙しい中ありがとうございます。


これから慌ただしくなるので、写真を撮ってもらう
陽道さんにはお先に一通り。


いか とろ、まぐろ(ばち、塩釜130キロ) ひらめ 
さば 煮あわび さんま ほたて 塩うに いくら さんま炙り



船のまち


さかなのまち


窪田パイセン2時間まち、ようやく、来たよ。お疲れっしたぁ!!



のりお君からみた景色。



続きはまた明日。
今日もありがとうございます。
arinomamaki@gmail.com







































写真 斎藤陽道

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