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ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

クズに田舎は生きづらい

2016-07-19 22:55:50 | 唐桑日記
買い物帰りに仮設(震災後、土地の盛り土が終わってなくて、いまだに仮設のお店が気仙沼には沢山ある)でやっている食堂に行った。
どこにでもあるような普通の食堂。
A,B,Cと3種類の日替わり定食や冷やし中華、野菜炒めとかがメニューの食堂。

何食べようか、決めるのが面倒な時にたまーに行く。
今日はA定食のチキンカツカレー700円を食べた。
ちょうどお昼休みの時間ですべての席にお客さんがいた。
数えると17名くらい。

全員建設関係の仕事をしている人たちだった。
ニッカポッカや、作業着を着ていたので、まわりの
盛り土や、集団移転住宅を建てているのだろう。

テーブルには灰皿が置いているし、
料理が届いても誰も写真はとらないし、
お昼だから食べないと。っていう雰囲気で
17人いてもすごく静かだった。
全員男性だった。

そうやって周りを眺めている間に料理が届いた。
家庭で食べるジャガイモごろごろのカレーライスに、
薄めのもも肉の衣がちょっと焦げそうな感じのチキンカツ。
ご飯は1合くらいあった。

ガテン系の人むけの定食屋なんだとわかった。
量が多くて、値段もそこそこで、野菜もそこそこ食べらる。
気仙沼の民宿も建築関係の何ヶ月も部屋が埋まって、忙しいところも多いと聞く。
(つなかんはほとんど観光のお客さん)

「この人たちが全部の仕事を終えて帰ると、
このお店はお客さんいなくなるんじゃないか?自分ならどうするのだろうか。」
とか色々考えた。まぁその考えたことは今度書くとして、
僕は、このお店で見かけた人たちを見てるのが楽しかったという話を。

つなかんには来ない客層のお客さん。
普段の交友関係もそういう人と出会わないので、
外国に来たくらい、全く違うコミュニティの人たちと一緒の空間を過ごした。

自分の仕事では全く関わらない人がいる場所。
そういう場所が好きだ。


東京の鶯谷という場所の寿司屋で7年働いていた時。
鶯谷は知る人ぞ知るラブホテル街で、出張風俗いわゆるデリヘルのメッカだった。
「熟女、人妻」と「デブ専」「韓デリ(韓国の女の子と遊ぶ)」
この3種類のデリヘルに特化した街だった。
それが、働いていた最後の1年くらいは若い素人が売りのお店が増えて来て、
(歩いている人を見ていればわかる。)
街も7年たつと変わるんだなと実感した。


寿司屋には風俗店の経営者も来たし、風俗目当てに遊びにきた男、
精力剤が収入源(2000円くらいするユンケルとか、媚薬とか)の薬局屋も来た。
同伴のカップル(風俗店だけど、ロングと呼ばれる長時間コースを頼むとデートができる。
風俗嬢とデートして、お寿司を食べに来る人たちがいるのも驚いた。)もいたし、
完全に男だけど、女装しているお客さんもいた。
ド太い声で「優しく握ってね❤️」と言われて、鳥肌が立つってこういうことかと知った。
しかもその人は、ハゲている太った男とデート中で、
おそらく、それもプレイ時間の一部のような雰囲気だった。

その女装した人が、ある日、別の女装した人を連れて来て、
カウンター越しに話が聞こえてきたら、どうやら面接をしているようだった。
いきなり「お前、この仕事ほんとにやりたいのか?なめてんだろ!!」
キレて男口調になったのは、結構面白かった。

「お兄さん遊んでいかない?」と声をかけられて、
ホテルに入ったら、その娘が男で、でもお金もったいないし悔しいから
そのままプレイを続けたお客さんがいて、友達にめっちゃいじられてた。

勤めて5年経ったくらいに、近くのビジネスホテルが、
中国人バスツアーの受け入れをするようになって。
「ヌードルプリーズ!!」とか4人で1人前の握りを頼もうとされた。
慌てて「一人この中から一人前頼んでください。そばはありません。食べ物持ち込み禁止です。」と
写真つきの中国語の張り紙を外に貼った。


とにかくカオスだった。



鴬谷の隣の駅、上野はゲイカルチャーとバイクカルチャーが入り混じったような場所がある。
旧車バイクの修理屋の横に4階建のビルで、すべての店がスナックのテナントビルがあって。
全部の階に4坪くらいの店が5件入ってるんだけど、すべてのお店が
ゲイバーだと知ったのは、その中の一つの店に出前に行った時だった。
つまり、20軒のゲイバーがひとつのビルにあって、それが2〜3棟その区画にある。

ハッテン場という、ゲイの出会いの場があるのも知った。
ゲイバーとは違って、行為目的の出会いの場で、
ベッドもあるらしい。入ったことがないので、どういう間取りで
どういう仕組みなのかはわからないが、そういう場所がある。
ネットもない時代から、いろんな場所から、そこに人が集まってきていたらしい。


鴬谷の駅前には24時間やっている居酒屋があって、
深夜3時まで営業していた店にいた僕は、
終わってから近くの飲食店仲間と、そのお店によく飲みに行ってた。

香水、モツ煮、ローション、石鹸、ビール、日本酒、汗、油、魚。
その日によって、いろんな匂いがする場所だった。


おいしいから飲む酒ではなく、酔うために飲む酒。
おいしいから食べるのではなく、お腹を満たすために食べる飯。
そういう場所を提供する店も町の機能として必要なんだともう。


そして、鴬谷の居酒屋に集まっていた、世の中でいわゆる
マイノリティとか変態とか、クズとかカテゴライズされる人たちが
生きやすいのは田舎ではなく圧倒的に東京だ。

例えば首輪をはめて鎖に繋がられて引っ張られている男がいても、
その人は東京なら生きていけるだろう。
鴬谷にはそれがプレイの一部のお店があって、たまにそういう人が歩いていた。
30分電車に乗れば全く知らない人がいて、犯罪意外のだいたいのことには無関心な町。
でも、気仙沼でそれをやったら、たとえ覆面をしていたとしても、
噂になって職場にばれて、居場所がなり、生きていけなくなるのが想像出来る。
そもそも、首輪を引っ張ってくれる女王様がいない。

そして、そういうマイノリティや変態な人たちも呼ばれる人たちも
まだ見習いの時に「親方、こいつに俺が食べる寿司握らせてあげてよ。
今、他にお客さんいないからいいでしょ?」と僕を育ててくれた。
最後の2年は店長を任されていたので、そこで新しく出会ったお客さんも、
僕のお寿司を楽しみに来てくれていた。

都市と田舎を比べて「田舎の方がいい」とは思わないし、比べるものではない。
それぞれで得られる体験、環境、人の役割、つまり、機能が全然違う。
別の生き物だと考えた方がいい。
そして、どっちの役割も知っておいた方がいい。
都市の飲食店は田舎で生産してくれる人が必要だし、
田舎の生産者は、沢山人がいる都市の飲食店が必要で。
都市で働く飲食店は田舎の生産者のことを知るべきだし、
田舎の生産者は都会の飲食店のことを知るべきだ。


とにかく、この2年で料理人としても、
生産者のそばで素晴らしい経験をしていることは間違いない。
そして、もっと自分にできることがあるはずだと、
田舎にも都会にもあるふつうの食堂で考えたのだった。



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