ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

魚屋さんのお母さん。

2016-05-17 21:32:46 | 唐桑日記
今日、穴子を買いに行った魚屋さんで
コーヒーをもらいました。

いつもは忙しそうに働いている
魚屋さんのお母さんが今日は歯医者に行くので、
予約の時間まで一緒にお茶をしてました。

お母さんは21歳の時に魚屋さんに嫁いで。
それからずっと魚屋さん。
今は息子さんが切り盛りしているのを
一緒に手伝っています。

「えー、お母さん家娘じゃないんですか!?」

「違う違う、よくそう言われるんだけどねぇ。」

家娘とは自分の実家を手伝っていることを言います。
旦那さんの家業を手伝っている時は
「嫁に入った」と言います。
こういう表現は今までしたことがないので新鮮です。
今日は魚屋さんの始まった頃の話を
キラッキラの笑顔で教えてくれました。

まるで、子どもが「今日ねー、こんなことあったんだよー!」
楽しかった一日を大人に話してる時のような笑顔のようでした。

「私のお母さんの代はね、
最初、駄菓子屋みたいな商売をしててね。
それでお父さんは市場で働いていたの。
でね、ある時お父さんが持って来た
大きなカゴいっぱいのイワシがあったんだよね。
それを売ったらっさ、5分たらずで売れちゃったんだよね。
それでお母さんが「これからは魚屋だ」ってことで魚屋の商売を始めたんだって。」

そのおばあちゃんは「家娘」として仕事していた
自分の商売を駄菓子屋から魚屋さんに変えました。
「お父さんも市場をやめて、一緒に手伝ってたんだよ。
どちらかというと、お母さんが切り盛りしてたって感じだねぇ、、、私から見たら。
そりゃ、仕事の時は男だからお父さんをタテるけど。
私ね、そのお母さんがすっごい好きだったの。」


この辺はいちよさんたちに似ています。
「私が頑張ってるんだから!!
男なんていざとなったら頼れないんだから!」と
いちよさんもよく言っています。
でも「いざ」という時は必ず
旦那のやっさんに相談しています。
だから、魚屋さんのお父さんもお母さんも
すごく働いていたんだと思います。


「最初は、そのお母さんに
「うちの息子と結婚してくれないか」って頼まれたんだから。」

「どういうことですか?」

「結婚した時、私はね、
地元の冷蔵庫関係の会社に勤めていたんだけど、
魚屋だったそのお母さんが、私のことをどうしてだか知ったんだね。
それで、そのお母さんが「うちの息子と結婚して、魚屋に嫁いでくれないか」って。」

「じゃあ旦那さんのこと知らないで結婚したんですか?」

「そうだよ。」

「仕事を見て、この子なら!って思ったんですかね?」

「まぁ、そういうことだろうねぇ。
私もね、そのお母さんに惚れたっていうか。
いろいろ話して、仕事を見て、
ああいう人になりたいって思ったからね。
それで旦那さんとお見合いして結婚したんだよ。
旦那さんは二の次っていうかね、ふふふ。
手伝うようになった時にね、
「うちの魚屋は女でもってるんだから、頑張ってくださいね」
そう言われたのを今でも覚えてる。」

本当に楽しそうに当時の話を教えてくれました。


「私は兄が二人いて、大学に通ったんだけどね、
私は高校出たら働いてくれって
実家の両親に言われたんだよね。
本当は大学に行きたかったんだけど、そういう時代だったから。」


「そうかぁ」

「でも、私、魚屋の仕事をしてきたことに全く後悔はしていないの。
色んな方に出会えるし、なにより楽しいから。」


なんだか、今日はいい話しを聞きました.

「今はもう息子が継いでるけどね。
息子の代で、小売りで魚の発送を始めてね。
調度その時、鰹の発送がすごく当たったんだよね。それでテレビにもよくでたし。
おばあちゃんが始めて、私たちが続けてきたことを、
息子が大きくしてくれたって感じかな。」

なんて話しをしていたら、
お母さんの歯医者の時間になりました。


その息子さんも、この前お茶に誘ってくれて。

「りょうすけー。よかったよ、おまえが楽しそうで。」

「なんでですか?」

「気仙沼つまんねー!なんて思われたら
俺、責任感じちゃうからさー。」

気仙沼はこんな親子がやってる魚屋さんがある街。
気仙沼がもっと好きになった一日でした。

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