いろいろありまさーな。
学生の時、東京で友人が戦争の経験を
忘れないようにと、
戦争経験者のおじいちゃんの
話を聞く会や、戦没者の慰霊碑に
よって色々と戦争の話を説明する会を
やっていた。
友だちとしては、仲良かったけれど
僕はその活動には一回だけしか参加しなかった。
その一回がとても疲れたから。
知らない人の個人的な体験を聞いて、
僕は「おじいちゃん大変だったなぁ」
くらいにしか感想が思いつかなかった。
疲れたのは、その会場が
「こういう経験があったことを
忘れないように」とか
「かわいそうだったね」って
空気になっていたからだった。
かわいそうかどうかは、
その人の戦争以外の話を聞かないと
わからない。戦争以外というか
「今」の話をしないとだめだ。
かわいそうだった話は昔で
今は幸せだったらどうやって
幸せになったかを聞いた方が面白い。
戦争が終って幸せに
暮らしたかもしれないし、
そうでなかったかもしれない。
あと「こういう経験した人がいること、
忘れちゃだめだよね。」っていうのも
同じ経験をしていなくて、その人に興味が無い人には
もう全然届かないと思った。
年が離れ過ぎていたし、自分のこととして
考えるには共通点が少なかった。
3月11日のテレビで、
津波の直後の映像が沢山流れていて
その日の戦争経験を聞く会のことを思いだした。
津波の被害の大きさとか、
あんときつらかったよ、とか。
「東北のこと忘れないで」
っていうことを言うけれど、
忘れて欲しくないのはそういう
「あの時こんなにつらい経験をした場所なんだよ」
ということではなく、
「今もここで生きているんだよ。
今はここで楽しんでるよ.」
っていうことだと思う。
せっかく出会えたんだから、
たまには会いにきてねっていう。
いちよさんにも
「震災の時のお話聞かせてください」って
たまにそういう人がわざわざ来てくれるけれど、
「今、何か困ってることある?」
「つなかんはじめてみてどう?」
「最近、面白かったことは?」
「いちよさん、お菓子ばっかり食べてるの?」
とかさー、今のこと聞いた方が面白いから
もったいないなって思ってしまう。
東京に人が集まってるのは
「ここが東京大空襲で焼けたけど、
ここまで復興しました」って
そういう理由集まってるわけでは
なく、行きたい価値があるから行くわけで。
今の東北に面白さがないと
結局あの日の映像を流すしかないんだろうね。
「津波の映像流すなら
こんな面白いことやってるんで、
こっちにしませんか?」って
思ってもらわなきゃいけない。
「震災に負けるな。」
その言葉の意味は
「もう一度立ち上がろう。」
という時期は過ぎて、
「面白いことをしよう。」に
変わっていく。そんな6年目。
学生の時、東京で友人が戦争の経験を
忘れないようにと、
戦争経験者のおじいちゃんの
話を聞く会や、戦没者の慰霊碑に
よって色々と戦争の話を説明する会を
やっていた。
友だちとしては、仲良かったけれど
僕はその活動には一回だけしか参加しなかった。
その一回がとても疲れたから。
知らない人の個人的な体験を聞いて、
僕は「おじいちゃん大変だったなぁ」
くらいにしか感想が思いつかなかった。
疲れたのは、その会場が
「こういう経験があったことを
忘れないように」とか
「かわいそうだったね」って
空気になっていたからだった。
かわいそうかどうかは、
その人の戦争以外の話を聞かないと
わからない。戦争以外というか
「今」の話をしないとだめだ。
かわいそうだった話は昔で
今は幸せだったらどうやって
幸せになったかを聞いた方が面白い。
戦争が終って幸せに
暮らしたかもしれないし、
そうでなかったかもしれない。
あと「こういう経験した人がいること、
忘れちゃだめだよね。」っていうのも
同じ経験をしていなくて、その人に興味が無い人には
もう全然届かないと思った。
年が離れ過ぎていたし、自分のこととして
考えるには共通点が少なかった。
3月11日のテレビで、
津波の直後の映像が沢山流れていて
その日の戦争経験を聞く会のことを思いだした。
津波の被害の大きさとか、
あんときつらかったよ、とか。
「東北のこと忘れないで」
っていうことを言うけれど、
忘れて欲しくないのはそういう
「あの時こんなにつらい経験をした場所なんだよ」
ということではなく、
「今もここで生きているんだよ。
今はここで楽しんでるよ.」
っていうことだと思う。
せっかく出会えたんだから、
たまには会いにきてねっていう。
いちよさんにも
「震災の時のお話聞かせてください」って
たまにそういう人がわざわざ来てくれるけれど、
「今、何か困ってることある?」
「つなかんはじめてみてどう?」
「最近、面白かったことは?」
「いちよさん、お菓子ばっかり食べてるの?」
とかさー、今のこと聞いた方が面白いから
もったいないなって思ってしまう。
東京に人が集まってるのは
「ここが東京大空襲で焼けたけど、
ここまで復興しました」って
そういう理由集まってるわけでは
なく、行きたい価値があるから行くわけで。
今の東北に面白さがないと
結局あの日の映像を流すしかないんだろうね。
「津波の映像流すなら
こんな面白いことやってるんで、
こっちにしませんか?」って
思ってもらわなきゃいけない。
「震災に負けるな。」
その言葉の意味は
「もう一度立ち上がろう。」
という時期は過ぎて、
「面白いことをしよう。」に
変わっていく。そんな6年目。