ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

黙祷のサイレン

2016-03-13 22:58:00 | 唐桑日記
3月11、14時46分。
気仙沼では黙祷のために
避難訓練の時に使うような
大きなサイレンが鳴ります。
去年はなんか怖くていやでした。
今年はあのサイレンは必要なんだと思った
出来事がありました。

今年の3月11日。つなかんには、
目の見えない女性が泊まっていました。
サイレンのおかげで彼女が黙祷を捧げられて、
同じ時間を過ごせたんだなと思ったので、
サイレンがあってよかったなと思いました。


「想像してください」
「世の中には不自由な人が
いることを想像してください。」
目の見えない世界。
津波を体験した苦しさ、
足が不自由な生活。

「想像してください。」
何もないところから、
想像することは難しい。

部屋の中で想像する時間があるのならば、
目の見えない友だち、
津波を体験した友だち
足が不自由な友だちをつくりに
動いた方がいい。
友だちならば、
その人が過ごしやすい時間を
つくるためにはどうすればいいか
考えることができる。

僕の通っていた高校は
制服がない高校でした。
授業中でも帽子をかぶっていてもOK。

友だちに病気で髪の毛がない人がいて。
その人はずっとグレーのニット帽を
かぶっていたけれど、周りにも
ニット帽のやつが何人もいたので
全く気になりませんでした。

部屋の中で帽子は取るというのが、
常識だけど、それが無いおかげで
自分らしく生きられる人がいるのならば、
別にかぶっててもいいんじゃないか。


僕の世界をちょっとだけ広げてくれて
ありがとう。

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