職人という仕事は人ができないことの「代行業」だと思っている。
お鮨を食べたい人が、つくるより、
お店に行く方がいいと思うからそれが仕事になる。
鮨業界の今はどうなんだろうなぁ、供給過多な気がする。
回転すしも、大衆店も高級店もどこにでもある。
その中で「どうやって選ばれるか」ということを、
考えないといけない。
「回転すし」しか食べたことない人もいるし。
日帰りで札幌の鮨屋にお鮨を食べに行く人もいる。
「鮨」自体は、カレーと焼肉、とんかつくらい、
みんなに愛されている食べ物だと思う。
その中でも、新しいお店もできるし、
閉店するお店もたくさんある。
その中で、どうやって生き残っていくのか。
鮨職人が少ない場所に行くのか。
あえて需要が多い場所で勝負するのか。
高くするのか、安くするのか。
ワインで勝負するのか、日本酒で勝負するのか。
それとも他の鮨職人にすらできない何かを身につけるのか。
「働き方」を変えるのか。
基本は「味の追求」それしかない。
でも、それは、鮨職人はみんながしていることだ。
それだけで成功しないことは、閉店した
沢山のお店を見ればあきらかだ。
これから、選ぶ道は無数に広がっている。
今の僕は、気仙沼の3年間での経験が
他の鮨職人では体験していないことだったから、
今はなんとなく、ウケているし、
そこで出会ったお客さんが来てくれている。
でも、例えばどこかでお店を開いたとしても、
それが「ふつうの鮨屋」だったら、
すぐに飽きられるんだろうな。とも思う。
最近、自分が職人として活躍するのは、
50~70歳くらいがいいなとぼんやりと思っている。
そこで自分が活躍できる職人になるためには
・「一流の鮨職人」の人でさえ「したくてもできない経験」を積むこと。
・今から、それまでの過程を楽しんでくれる人と一緒に成長すること。
が、できたら楽しいなと思う。
その時に「鮨職人」の技術が求められる社会かどうかはわからない。
クジラ漁みたいに、漁業自体が悪とか、環境汚染で生魚食べれません。
みたいな話になっている可能性だってあるから、、、、。
日経ビジネスにこんな記事が流れてました。
(記事よりスクリーンショット)
はっきりいって、のんきに鮨握ってる場合じゃないくらい魚ないんですね。
かといって解決策は養殖しかないとも限らなくて、
養殖魚の餌は、海からとる魚を砕いてペレットにしたものも使っているから、
そもそも資源の枯渇につながってるんじゃね?例えばさ、エビの養殖場つくるのに、
その場所の生態系も壊してるし、餌取るのにも、生態系破壊してんじゃね??
という話もあります。↑↑(The four fish we're overeating -- and what to eat instead | Paul Greenberg;4分くらいから)
そもそも、日経ビジネスの記事で語られていることは、
「食料供給量が足りなくなる」という話で。
「天然か養殖か、回転すしか、高級店か」という贅沢な話ではなく、
「栄養源として食っていかなきゃいけない」という話なので、
そこまでの食料危機になれば鮨屋のスタイルは今と同じようにはいかないでしょう。
でも、きっと、最上級の贅沢品としての鮨はなくならない。
自分がそこに、情熱を見いだせるか。そこまでになれるのか。
そういうことになってくるだろうな。
こういう話をすると、何にも考えずに、ただ純粋に
「おいしい!!」と思って鮨が食べられなくなるんだけど。
2017年の今、こういう現状の中で生きていながら、
いろんな鮨職人はこの現状を知ってかしらずか、それぞれの道を進んでいるんだねー。
(僕は鮨職人の友だちがひとりもいないので、他の職人がどう思っているかわからないですが、、)
まぁ、今やるべきことはちゃんとやる。
それが将来、「必要とされない仕事」になる可能性があったとしても。
「やりたいからやる」という姿勢で、やろうと思います。
お鮨を食べたい人が、つくるより、
お店に行く方がいいと思うからそれが仕事になる。
鮨業界の今はどうなんだろうなぁ、供給過多な気がする。
回転すしも、大衆店も高級店もどこにでもある。
その中で「どうやって選ばれるか」ということを、
考えないといけない。
「回転すし」しか食べたことない人もいるし。
日帰りで札幌の鮨屋にお鮨を食べに行く人もいる。
「鮨」自体は、カレーと焼肉、とんかつくらい、
みんなに愛されている食べ物だと思う。
その中でも、新しいお店もできるし、
閉店するお店もたくさんある。
その中で、どうやって生き残っていくのか。
鮨職人が少ない場所に行くのか。
あえて需要が多い場所で勝負するのか。
高くするのか、安くするのか。
ワインで勝負するのか、日本酒で勝負するのか。
それとも他の鮨職人にすらできない何かを身につけるのか。
「働き方」を変えるのか。
基本は「味の追求」それしかない。
でも、それは、鮨職人はみんながしていることだ。
それだけで成功しないことは、閉店した
沢山のお店を見ればあきらかだ。
これから、選ぶ道は無数に広がっている。
今の僕は、気仙沼の3年間での経験が
他の鮨職人では体験していないことだったから、
今はなんとなく、ウケているし、
そこで出会ったお客さんが来てくれている。
でも、例えばどこかでお店を開いたとしても、
それが「ふつうの鮨屋」だったら、
すぐに飽きられるんだろうな。とも思う。
最近、自分が職人として活躍するのは、
50~70歳くらいがいいなとぼんやりと思っている。
そこで自分が活躍できる職人になるためには
・「一流の鮨職人」の人でさえ「したくてもできない経験」を積むこと。
・今から、それまでの過程を楽しんでくれる人と一緒に成長すること。
が、できたら楽しいなと思う。
その時に「鮨職人」の技術が求められる社会かどうかはわからない。
クジラ漁みたいに、漁業自体が悪とか、環境汚染で生魚食べれません。
みたいな話になっている可能性だってあるから、、、、。
日経ビジネスにこんな記事が流れてました。
(記事よりスクリーンショット)
はっきりいって、のんきに鮨握ってる場合じゃないくらい魚ないんですね。
かといって解決策は養殖しかないとも限らなくて、
養殖魚の餌は、海からとる魚を砕いてペレットにしたものも使っているから、
そもそも資源の枯渇につながってるんじゃね?例えばさ、エビの養殖場つくるのに、
その場所の生態系も壊してるし、餌取るのにも、生態系破壊してんじゃね??
という話もあります。↑↑(The four fish we're overeating -- and what to eat instead | Paul Greenberg;4分くらいから)
そもそも、日経ビジネスの記事で語られていることは、
「食料供給量が足りなくなる」という話で。
「天然か養殖か、回転すしか、高級店か」という贅沢な話ではなく、
「栄養源として食っていかなきゃいけない」という話なので、
そこまでの食料危機になれば鮨屋のスタイルは今と同じようにはいかないでしょう。
でも、きっと、最上級の贅沢品としての鮨はなくならない。
自分がそこに、情熱を見いだせるか。そこまでになれるのか。
そういうことになってくるだろうな。
こういう話をすると、何にも考えずに、ただ純粋に
「おいしい!!」と思って鮨が食べられなくなるんだけど。
2017年の今、こういう現状の中で生きていながら、
いろんな鮨職人はこの現状を知ってかしらずか、それぞれの道を進んでいるんだねー。
(僕は鮨職人の友だちがひとりもいないので、他の職人がどう思っているかわからないですが、、)
まぁ、今やるべきことはちゃんとやる。
それが将来、「必要とされない仕事」になる可能性があったとしても。
「やりたいからやる」という姿勢で、やろうと思います。