ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

ともペディア

2017-10-04 14:54:29 | 東京日記
気仙沼の友だち夫婦の家に泊まりました。

奥さんのともちゃんの
教養がすばらしい。



ゲンキ「鏡ってさー、どうやってつくるんだろうね?」

とも「ガラスにピカピカしてるの貼るんだよ」

ゲンキ「いや、そうじゃなくて。産業革命前の鏡の作り方を知りたいんだよねぇ」

とも「それは、銅で作ってたんだよ」

ゲンキ「いやいや、そんな前じゃなくて、産業革命直前の鏡を、知り、、、」

とも「だから、青銅じゃない?」

ゲンキ「あぁ、そうかぁ、、、。じゃあ、最初のころの鏡は、どうやって磨いていたのかなぁ。」

とも「それは、、、トクサじゃないかな。今、とってくるよ」

といって、植物を取ってきた。
「砥草(トクサ)という草で、乾燥させて、昔は爪とぎなどに.使っていたんだよー」と教えてくれた。


そして、夫のゲンキくんは、なぜ「産業革命前の鏡のつくり方」が気になったのだろうか?

僕はそれが知りたい所だけれど、ともちゃんは、気にせず、全ての疑問を打ち返していた。




それから。

僕「そういえば、気仙沼で藍草つくりはじめたねぇ」

という会話から。

海も空も青色なのに、自然界から「青色」
を抽出できることが、どれだけ特殊なことか。

そして、他の草木染めは「草木』を「煮出して」色を出すのに対して、
「藍色」は「藍」を「発酵」させて色をとりだすことを、教えてくれたり。

染めや織りの本もさらっと5冊くらい持っななさたてきてくれた。

そして、藍色って不思議やなぁと思って、藍色がもっと好きになった。

ともちゃんみたいな人が、というか、ともちゃんは、
何かの先生になればいいのにと思った。




そして、昨日、見慣れた風景の中から、トクサを見つけた。
今まで、全く気にしていなかったのに、
いきなり「この草はトクサ」とわかるようになった。

「わかる」こと。
「発見する」こと。
「人と出会う」こと。
その積み重ねで、自分が見ている主観的なこの世界は、
いい方向にも、悪い方向にも、あっという間に変わる。


それは時に自分が望んでいない方向にいくこともあると思う。

例えば「トクサのことなんて知りたくなかったよ」
情報やら出会いは、勝手に飛び込んでくるし。
いったんインプットしたその記憶を、完全に消去することは
自分にとってはすごく難しい。

それでも、いい方向に、明るい方向に変わろうと、
変わろうというか、進もうと思っていると、自然と変わっていく。

何気ない会話の中でも、
今まで引っかからなかったワードが引っかかるようになり、
新たな縁や運命がはじまったりする。


立ち止まりそうな時は、またともぺディアに質問をしに行こうと思います。

ともちゃん、ゲンキくん、どうもありがとう。
中古の電動砥石、順調なことを願っています。


また、きまーす。