ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

「信頼の貯金箱」に「信頼」は貯金できたのか?

2017-05-10 21:17:36 | 唐桑日記
久しぶりの実家くらし。

母が老けて、小さくなった。
きっと、こうやって、ふたりで、暮らす機会は
そんなに訪れないだろうなと思うと、少し悲しくなっり、
まぁ、このタイミングで帰ってこれてよかったのかなとも、思う。


気仙沼に行く前の10ヶ月くらい、
僕は札幌の鮨屋をやめて、ふらふらと、旅をしていた。
10年間休みなく働いていたので、ある程度の貯金があった。

屋久島、鳥取、東北、あとは、
マレーシア、ブラジル、オーストラリア、ジャマイカ。

初めて、海外にも行った。
突拍子もない、場所の選び方だけれど、
「会いたい人に会いに行く時間」として
その時間をすごしたら、そんな行き先になった。

旅の中で、気仙沼の人と出会い、いちよさんと出会い。
「まじかよ、こんな展開あるの?」と思いながら、働くこととなった。

気仙沼で働けたのは、その前の10年間、
毎日毎日繰り返しながら、身体で覚えた、
料理人としての技術があったからだ。


10年間で貯めた信頼という貯金だ。
今回、また、無職となり、自分にはこの3年間、お金は全く貯まらなかった。

どのくらいかというと、具体的な数字は書かないけれど
見習いで入った鮨屋の初任給より安かった。
今年の1月は、「さすがにこれじゃあ、この先、やっていけないよ」と
給料をあげてもらったばかりだった。

仕事の話をもらったときに。給料の交渉は全くしなかった。
いくらもらえるのか、社会保険はあるのか。ボーナス。休みはあるのか?

そんな話は一切せずにきた。なぜ、そんなことをしたのか。
それは、ここには、お金には変換できない、大切なものがある気がしたからだ。
そして、それはやっぱりあった。そのうちに、書こうと思うけれど、
「自分の生き方」としての軸が明確になったし、単純に、すんごい楽しかった。


それでも、はじめから、ひとつ、決めていたことがある。
もし、お金が必要になったり、このお金じゃ生活、困るよ。ってなった時に
「この金額は欲しい」ということは、ちゃんと言う。
その時に、信頼されていて「この金額でもいて欲しい」と思われていたら、お金はもらえるはずだし、
もらえなかったら「その評価なら、やめるしかないな」ということだけは決めて、気仙沼に来た。


事故があって、「給料このくらい下がるけれど、
そのまま続けて欲しい」という話をいただいて。
「それは無理だよ、去年さんざん、その話はしたよ。
いちよさん。それじゃあ、やっていけないよ」心の中で思った。
事故で悲しんでいることとは、別の文脈の話で、もう無理だった。

いちよさんは、「りょうすけ、早く結婚しなよー!!この人どう?」と
女の子のお客さんが来ると、必ずそんな冗談を言った。
その場は、取り繕って、冗談にしていたけれど、
「この給料じゃあ無理だよw。よくそんなこと言えるなw」
といつも心の中で思っていた。

「給料払えて、赤字にならなければいい」といつも、
言っているけれど、これからも人を雇う気ならば、
ちゃんと、お金のことは考えて欲しいなと思う。


お金とやりがい、を天秤にかけて、僕はやりがいをとった。
料理人としての技術は、この3年間、鈍った部分もあるし、
理解が深まった部分もある。
この3年間、お金ではなく自分に「貯金できたもの」はなんなのか。
つなかんで働いたことで、得られたことに自分で「価値」をつけて、
お金に変換していくしかない。苦手な作業だけれど、
苦手だとか、得意とか言ってもいられない。


こんなことを書くと、
「そんな、つなかんの裏話、聞きたくなかったよ。」と
誰かから得ていた信頼の貯金は減るだろうな。

でも、本気でつなかん続けて行くならば、絶対に、お金のことは考えなくては、ならない。
「絶対、つなかん、再開してね」っていうお客さんの気持ちを汲み取って
再開したところで、傷口が広がるだけかもしれないから。

いちよさんたちも
「やっぱりちゃんと、お金のことを考えよう。」って思ってくれればいい。
逆に、そこをクリアーできるアイデアさえあれば、
つなかんも、いちよさんも、大丈夫だと思う。


今までは、お金のことをまったく考えずにやってきても、
続いていたのは、養殖業のおかげだ。
精神的にも、経済的にも、やっさんが守ってくれていた。
やっさんが守って、許してくれていた、
「究極のお店やさんごっこ」だったつなかんをどうするのか。

今は、それを考えなければいけない。

①「ごっこ」じゃなくても、続いて行くように、ここで稼ぐことを考えるのか。

②それとも誰かが支援してくれて、いちよさんに、
「ごっこ」を続けていいよと言ってくれるのか。

③いっそのこと「ごっこ」のまま、続けて行く方法を考えるのか。



「ごっこ」だからこそ、夢があったし、他ではだせない自由さがあったし。
なにより、お客さんが喜んでくれていた。
だから、決して「ごっこ」だったことが悪いわけではなく。
ただ、今まで通りの「お店やさんごっこ」としては、悲しいけれど、続けられないよ。
ということろに、つなかんがいるということ。
いちよさんも、感じてはいるし、見たくない部分だけれど。
再開したい意思を示しているからには、見なくてはいけない部分でもある。

お金のことはからっきしだめだったけれど、つなかんには、
「信頼の貯金」はめっちゃ貯まっているから、
いちよさんと、つなかんは、きっと大丈夫だと思う。

今は、お金のことをクリアできるアイデアと、管理する人が必要なのかな。
まぁ、あせらずに。

この3年間と、つなかんのことを振り返りつつ、
人のことを心配している場合ではないので、僕は僕の人生を考えていかねば。




本屋でなんとなく手に取った本を読んで、お金のことを考えた。面白い本だった。