ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

ただ、生きているだけ。

2017-05-09 18:25:53 | 唐桑日記
「次はどこで、何をして、食っていこうか。」
と、無理やり前に進もうとするのは、やめた。

日々の中には、やらなくてもいいけれど、
やったら、絶対後悔しないこと、やってよかったなぁと思うことが結構ある。

料理、ランニング、筋トレ、歩く、お風呂、ストレッチ、読書、英語の勉強とか。

「やるのは、面倒だけれど、やった方がいいこと」が荒川区の6畳の部屋にも、探せば結構溢れている。



東京に帰ってきて、初めて自炊をした。スープ作っただけだけど。久しぶりの実家は味噌も醤油も、どこにあるか、わからなかった。塩は見つけた。冷蔵庫にも、余り物野菜があった。ラー油、キャベツ、ネギ、卵、塩のスープ。

美味しかった。

「一汁一菜でよいという提案」という、土井先生の本を読んでいてよかった。

今、本はこれを読んでいる。


上橋菜穂子以外の小説は村上春樹、中島らも、宮部みゆき、その他、全て、唐桑に置いてきた。

守り人シリーズと、獣の奏者だけは、今、もう一度読まないとだめだと、持ってきた。

ピンチの時に、助けてくれるのは、ひとりの時間と、本。このことは、ほんとに身に沁みている。


鮨を握ったり、電車を運転したり、魚を獲ってきたり、デザインをしたり、企画書を書いたり。というような社会的な機能を果たさずに「生きてるだけでいいんだよ」と言ってくれるのは、家族と、ほんの少しの友人くらいなもんだろう。

むろん、自分自身では、ただ生きてるだけじゃあ、時間がもったいない、とは思っているんだよ。
人に面白いね。と言ってもらえる世界観をつくっていきたいし。
美味しい焼き肉とか、鮨も、食べたいし、ドキドキするような出会いもあればいいなと思っている。それは、6畳の部屋にいては、どれも叶わない。

それでも、今は、前には、進まない。と、決めた。

とにかく、今までやってきたことを振り返ること。やっさんたちと、ちゃんと向き合うこと。そして、自分が受け継いでいきたいこと、やりたいこと。
色々、分析して、はっきりさせることが、まず、自分がやるべきことだと、考えている。



胃がキューっとなりながら、写真整理もしている。

美しいなと思ったり、泣けてきたり、「あのつなかん」には、もうもどれないんだと思ったりしながら、今日も1日が終わりそう。


どこかに進みたいわけでもなく、過去に戻りたいわけでもなく。それでも「あの時、無駄な時間過ごしたなぁ」とならない時間を、今日も過ごせたはずだ。





プカプカ。

2017-05-09 12:34:53 | 唐桑日記


気仙沼から帰る前の日。



やっさんと、たくとにも、お世話になりました。と言ってきた。

たばこさえ置いておけば、帰ってくる気がして。海辺の祠に置いて来た。



なんだろうか。
意味というか、効果というか、化学的な根拠もなにも、そこにあったもんじゃない。
「そんなことしたって、見つからないよ。」といえば、それまでだけれども。
それでも、「自分にできることをしている感。」を感じていたいのか。


東京にいる、やっさんたちのことを知っている人の中にも、やっさんたちは生きていて。
それぞれに、「自分のこと」として関わっていけることがあるのかどうか。を探している。



「実際、そばにいないから、関係ないと思って、自分の仕事に専念している」気持ちとか。
「どう、とらえていいのか、自分なりに答えを探している」時間とか。

きっと来年の今頃には、こんな気持ちも忘れて、日常を過ごしているんだろうな。とか。
いろいろなことを思いながら、引っ越しの荷物が届くのを待っている。

つなかんは、色々な人の気持ちや、物語が、交差する場所だった。