地下鐵博物館の特別展「懐かしの営団地下鉄Sマーク展」を觀る。
東京郊外で幼少~少年期を過ごした私にとって、両親に連れられて東京都心へのお出かけはこの上ない特別行事であり、その時に乗る營團地下鐵、驛と車体に掲げられた“S”の紋章は、そんな私の特別行事感を盛り上げてくれる象徴でもあった。
このSマークの登場は昭和二十八年(1953年)、「安全(SECURITY)」「正確(SAFETY)」「迅速(SPEED)」の三つの頭文字Sを象徴したもので、のちに「サービス(SA-BISU)」も加はり「4S」となる。
(※營團地下鐵末期に上野の本社に掲げられてゐた紋章の實物 展示物のみ撮影可)
このSは初めは徽章として宣傳廣告などに限定的に用ゐられたのち、昭和三十五年(1960年)三月一日に正式な社紋となり、翌三十六年三月に日比谷線が開通した際、
(※案内チラシより)
相互乗り入れを予定してゐた東武伊勢崎線、東急東横線の車両と區別するため、初めて車体にも取り付けられる。
私の特別行事を盛り上げてくれたSマークも、平成十六年(2004年)に改組されて“東京メトロ”へと社名変更した際に“М”マークとなり、なんかツマラナイ紋になったなぁ……、とガッカリした記憶がある。
(※現在の東京メトロ本社と“M”の紋章)
しかし、須田町界隈のマンホールに往年のSマークがまだ遺ってゐるとのことで、さっそく見物いたさばやと存じ候。
神田須田町二丁目、“ふれあい通り”にて、懐かしいあなたとふれあふ。
そして同地、靖國通りと中央線の高架が立体交差する足許に、かつての正式社名「帝都高速度交通営団」ときっちり刻まれたマンホールに逢ふ。
この東京メトロのかつての正式社名など、今日に地下鐵博物館で鐵道模型運転會を見て樂しんでいたチビッコたちは、當然知るはずもない。
斯うしたちょっとした鐵道歴史探訪を樂しんでゐるうち、同じく神田須田町二丁目の中央線高架脇に、鐵道の保線作業員たちを稱へる石碑があることに氣が付く。
移動中の電車内で、安心して居眠りが出来るのも、安心してスマホをいじってゐられるのも、電車が安定して線路を走行してゐるからであり、それを日々支へてゐるのは──
さうだ、としばし厳粛な氣持ちになる。