ラジオ放送で、喜多流「融」を聴く。
視覺的に、源融の靈が月下の邸宅跡で優雅に舞ふ後場へ樂しみの目が行きがちな能だが、曲の舞臺である“六條河原院”跡の廢墟で、謎の潮汲み老人が古への豪遊ぶりを旅僧に語ってひとりしみじみとする前場の謠ひから、觀客がそれぞれにその情景を頭に描けるかどうかに、この優美幽玄な能の本當の味はひがあるやうに思ふ。
(※京都市下京區都市町にある六條河原院跡の碑)
シテの源融は平安時代前期に實在した嵯峨天皇の第十二皇子で、帝位を望んだが時勢がそれを許さず、政界での榮華を諦めたのちはその鬱屈を晴らすかのやうに遊樂へ榮華を求め、そしてそれを極めてみせた賜姓源氏の貴族である。
そんな人生を象徴した廣大な邸宅は、本人が没すると相續人もなく、今度は榮耀榮華とは何かを象徴するかの如く、荒れるに任せてすっかり廢墟となる。
今回の放送でも解説者がチラッと口にしてゐたが、シテの靈は源融本人と云ふより、廢墟となった旧六條河原院そのものの“精靈”なのではないか──
そんなことを、或る演能會で「融」が上演されるのに先立ち、研究者らしき若い人がさう解説、と云ふか個人的見解を述べてゐるのを見たことがある。
正直なところ私にはあまりピンと来なかったが、しかしさういふ解釈も可能なところに、能樂が魅せるフトコロの廣さがあるのだらう。