迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―中山道56 和田峠•東餅屋跡

2010-12-07 19:49:52 | 旧中山道
施行所を出発して約30分後、坂の途中に現れたのが「広沢一里塚」↑。

簡単な絵図入りの道中記以外にあまり情報が無かった古えの旅人たちにとって、いま自分はどれくらいの距離を旅しているのかを知る上で、一里塚がいかに頼もしい存在であったか、私もここまで旅を重ねて、だんだんと実感出来るように。

私の足で、1時間でだいたい4キロ。

一里塚(跡)を見れば、時計を見なくてもだいたいの所要時間が分かるようになってきました。


一里塚を過ぎ、左手にキャンプ場らしきものを見ながら再び坂を上り始めてわずか5分ほどで国道に出、「東餅屋」跡に。



その名の通り、ここにはかつてお餅が名物の茶屋が5軒ありましたが、明治に入って鉄道が開通すると、街道を通行する人が激減したために次々と閉店、現在は土台の石垣を残すのみとなっています。

この茶屋は元治元年(1864年)、京を目指す天狗党水戸浪士を迎え撃つことになった諏訪・松本藩連合軍に、彼らの陣地となるのを防ぐため、峠の諏訪宿側にある「西餅屋」共々焼き払われるという憂き目に遭わされています―そのあたりことは島崎藤村の「夜明け前」に活写されています。

つくづく思うに、本当に戦争の犠牲になるのはいつの世も、何の関わりもない庶民たちです。


さて、古えの旅人たちは和田峠を越える際、付近の茶屋において力餅で腹拵えをしたものだそうで、その力餅を現在も手作りして売っているドライブインが東餅屋跡の前で営業していたので、私も立ち寄って8個入り(\800)を購入。



柔らかいお餅のなかの、甘味と塩気が程よくミックスされたあんこは実に理に叶ったもので、先人の知恵は偉大であるとつくづく思いました。
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