迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊──品川區の旧中原街道

2020-10-20 21:29:00 | 古道探訪
さぁ秋になった──昨年までならば、地図を広げて旧街道探訪の計画を立てる、さういふ季節だった。

しかし、今年はこれまでのやうな大掛かりな旅行は、するべきにあらず。

よって、近場で手っ取り早く済ませることで渇を癒さんと、東京都品川區荏原に一部が残る旧中原街道を訪ねばやと、存じ候。



東急“目蒲線”の武蔵小山驛より武蔵小山商店街を抜け、現・中原街道の都道2号線に突き当たって左折した先で左へ分岐してゐる道が、江戸時代に東海道の脇往還(裏道)として整備された旧中原街道の一部。



ここから約1km先の西五反田六丁目まで、ほぼそのまま道筋が残ってゐるわけだが、この分岐点から数百メートルの區間は都市計画道路の敷設のため、近年に失はれる運命にあるらしい。



たしかに、その區間の沿道にはすでに立ち退きが済んで新道用地となってゐる場所もあるが、



まだ頑張ってゐると思しきところもあり、



都市計画には付き物の、長期戰な様相を呈してゐる。

また沿道には古井戸も残ってゐて、



かうしたかつての地元民の生活の“にほひ”も、「公共の利益」のもとにかき消されんとしてゐる。


さて、新道敷設予定区間を過ぎると、右手には古くから往来を見守ってゐる石像群、





荏原二丁目、一丁目と過ぎて、



さらに交差点を過ぎて西五反田六丁目に入り、かつての桐ヶ谷坂を下り始めたところで、



首都高に覆はれた都道2号線に行き當たって旧道は消滅。

しかし地図を見ると、ややズレてはゐるが、向かうに旧道の名残と思へなくもない細道が續ひており、傍の横断歩道を迂回してそちらに行ってみる。



ビルの谷間の細道は、左に曲った先でTOCの建物に行く手を塞がれ、



今度こそおしまい。


せっかく五反田まで出たので、



かつて大手不動産企業が詐欺師にまんまと大金を掠め盗られた、あのお粗末な事件の舞台となった物件を、一見せばやと存じ候。




昭和な、と云ふより、異様な雰囲気を漂はせてゐた旧・「海喜館」なる旅館は今春に取り壊され、



塀の内側はいまや草原となってゐる。




トウキョウは、今は昔が速過ぎる。

ああ。







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