昭和二十五年(1950年)七月に青年僧の放火によって炎上する鹿苑寺金閣を目撃した、その弟弟子だった僧の逝去を知る。
(※焼失前の金閣)
戰火を免れて放火で焼失した金閣の運命は、それから數十後に生まれた私にも強い衝撃を與へ、學生時代には三島由紀夫の「金閣寺」を、成人後には市川雷蔵主演で映画化された「炎上」(昭和三十三年 大映)を名画座で観てゐる──そこでは二代目中村鴈治郎が師僧役で名演をのこしてゐる──。
私が初めて金閣を見たのは修學旅行の時で、もちろん再建後のものだが、金箔も鮮やかなそれが池越しに目へ飛び込んできた時の感動は、いまもはっきりと憶えてゐる。
が、私の心はむしろ、そのあとで訪れた銀閣のはうに惹かれ、大阪に住んでゐた時代もヒマさへあれば京都へ出掛けてゐたが、訪ねるのは決まって銀閣だった。
金閣の、金箔を貼り巡らせたその人工(つくりもの)ぶりが、私の気持ちには馴染めなかったのだ。
(※焼失前の金閣)
故人の兄弟子が放火した動機につひて、現在遺されてゐる資料を見る限り、寺院といへども所詮は會社経營と変はらない現實に“心が折れた”挙げ句とも見られる。
三島由紀夫は青年僧にヒネリの効き過ぎた人物像を造形して一流作家の仲間入りを果たしたが、
「ムシャクシャしてやった」──
やうするに現實はそんなところなのである。