マンタマンタに告ぐ

映画・政治経済・日常生活などの観察日記。

東京裁判をやり直そう

2009-08-15 15:37:55 | Weblog
●東京裁判も、いい加減だと思う。詳しい内容までは、知らない。当時の国際法に、「戦争犯罪人処罰法?」なるものが、あったのであろうか。

裁判を進めていくうちに、大国アメリカが勝手に制定したのではないか。後から作られた法律(事後法)だ。インドのパル判事だって、東京裁判を批判している。

東京大空襲だって、アメリカは「軍事施設を攻撃した」とか、言い訳をしている。あれだけ広範囲に、施設があるわけがない。

数年前、核施設があるといって、アメリカはイラクを攻撃した。それと同じだ。アメリカの目的は、CIAなどが偽情報を作り出して、とにかく攻撃することにあるのだ。

東京大空襲のとき、米機が墜落して、捕虜たちが市民の手によって殺害された。上官の命令に従った下っ端の日本人兵士は、裁判にかけられて死刑になった。殺人罪だ。

アメリカ人の通訳にも、問題があったらしい。当時は「捕虜条約」が存在していて、それで死刑判決を受けた。日本の上官は、うまくいい逃れをして生きている。

米兵は、数万人の市民を殺しても死刑にならない。しかし捕虜1人を殺すと、日本人は死刑になる。

日本人の捕虜を殺したら、米兵は死刑になるのか。米兵は、何人裁かれて死刑になった? その手の情報は、全然入ってこない。国防総省は、発表したくないのだ。

東京裁判でも、調書に署名捺印をすれば、二度と覆せないのか。無条件降伏に署名捺印すれば、それも覆せないのか。

それは、法的安定性・法律秩序の維持ではなく、強国アメリカ・大国・勝者の安定性を守るために、やっているのだ。真実の秩序を乱している。

今からでも、東京裁判に対して再審請求できないものであろうか。不名誉なまま処刑された民兵たちは、特に悲劇だ。名誉を回復させて上げたい。

不可侵条約。ソ連は、条約に調印したにもかかわらず、北方領土を攻撃して略奪した。結局、武力と財力に優れているものが、勝つのだ。

大国の脅迫を受けてなした署名捺印などの条約・判決は、無効である。

A級戦犯は、多くの日本兵を出陣させて死に追いやった。彼らも「日本兵」だ。絞首刑にされたというより、責任をとって「戦死」したことにしたい。

つまり、「戦犯」は1人もいないということになる。お国のために、みな戦死したのだ。戦争とは、国と国との戦いである。侵略は、いつの時代にでもある。

「戦争犯罪人処罰法」でも制定しない限り、「戦犯」は存在しないと思う。戦争がないと困るのは、アメリカであろう。戦争があれば、武器の開発ができる。科学技術が進歩する。

宇宙産業も伸びる。武器を売って、外貨を稼ぎ利益を得られる。第二次世界大戦を起こしたのは、ドイツではなく、アメリカがそうなるように仕掛けたのではないか。

この戦争でアメリカは、どれだけの利益を得たのかな。それらの真実を封じ込めるために、アメリカは東京裁判で、裁いているのかもしれない。

A・B・C級等戦犯を裁くのはアメリカではない、「日本国民」だ。






示談・供述調書に必要なのは事実ではなく署名捺印だ

2009-08-15 12:24:32 | Weblog
●交通事故の被害者。2年以上前、供述書・示談書に、署名捺印をしてしまった。お金ももらってしまった。今さらながら、グダグダ嘆いても始まらない。もう、遅い。

「示談書には絶対、署名捺印してはダメよ」とよく聞く。その忠告を無視して、渋々とやってしまった。泣き寝入りしてしまった。

だが一部、納得がいかない箇所がある。正直言って、覆したいと思っている。今も、法律相談や県警相談室に行っても、「無理」と言われる。あきらめなさい、だ。

署名捺印後に、提訴して勝訴したら、示談・供述調書制度などが崩壊してしまうらしい。だったら、崩壊してもいいじゃないか。どうせ、司法・立法・行政はみな腐っているのだ。

示談屋が、法律違反、不当・不適当、いい加減、でたらめなことを提示しても、本人が署名捺印をすれば、「不利益」なことでも承諾したということになる。
示談屋は、自分が提案した内容が100%思い通りになって、気分がよいだろうな。自分の人生は、思い通りにいったためしがない。常に、妄想で終わってしまう。

犯人でもないのに、自白・供述調書に署名捺印をすれば、それで本人は全て真犯人になってしまう。その結果、いつもながら冤罪事件が多発している。

数日間も拷問のような取り調べを受ければ、自暴自棄に陥り、解放されたくて、ついつい署名捺印をしたくもなる。それは、真実でも何でもない。

自白をすれば、警察は裏づけをとる必要がない。遠い現場に行ってまで、時間と労力を要することもない。面倒くさいことは、したがらない。署名捺印が全ての証拠なのだ。

そこに、真実はない。「そうであろう。そうだったかもしれない」という、あいまいさだけが残る。不確定な状態で、署名捺印をしているのだ。

署名捺印さえすれば、公権力で「事実・真実」をもみ消しているのだ。司法に、事実認定は必要ないのだ。その証明書の提出をもって、裁判所も示談屋も全てを判断する。

裁判所などは、「真実」を追究する場所ではない。本人に対して、「承服・署名捺印」を強制・強要させる場所なのだ。公権力による、積極的な「強要罪」だ。

もしかすると、裁判所はバカなのかな。警察は、署名捺印した証明書を提出すれば、裁判所は100%採用すると思っているから、その制度を悪用しているのではないか。警察・
検察庁・弁護士たちは、裁判所を騙しているのだ。

否、利口な裁判所は、それを知っていて判決を下しているかもしれない。面倒臭いから、それ以上の証拠書類に目を通したくない。無実だと分かっていて、犯人に仕立て上げる。

ノリピーの事件も、事実の追及は必要ない。空白の6日間を知る必要はない。さっさと、覚せい剤を服用した罪で、有罪判決を下そうぜ。懲役1年、執行猶予3年かな。

尿検査では、検出されていないはずだ。毛髪検査で検出されれば、有罪に持ち込める。