![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/7b/01567deae3323631113b23008fbbfeed.jpg)
< 1.ルジャ広場から聖ヴラホ教会を望む >
今日は、いよいよ内部を紹介します。
小さな城砦都市ですが、すっかり中世にタイムスリップしたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b6/e26515b9ff88b021f10089b6d2f49221.jpg)
< 2.私達の観光ルート >
凡例:
黄色線は城壁の散策ルートです。
青線は今回紹介する散策ルートで、アルファベットは写真の撮影地点を示しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/7b/01567deae3323631113b23008fbbfeed.jpg)
< 3.ピレ門を抜けた所1 >
正面はメイン通りのプラツァ通りです。
昔、ここは海峡で左(山)にスラブ人、右(海)にラテン人が住んでいたが、12世紀以に埋め立てられた。
右手にオノフリオの大噴水が見える。
左手に救世主教会とフランシスコ修道院の鐘楼が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/13/4b7d173c07d40c4a0c231f58b55cee3c.jpg)
< 4.ピレ門を抜けた所2 >
B: 救世主教会。左に高い城壁が見える。
C: オノフリオの大噴水。
このダルマチア地方一帯は水が貴重で、ワインよりも高かった。
そこで15世紀に12km離れた山側から水を引きこの水道施設を造った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9a/438a5eebd452c7a5545dcec629c69f54.jpg)
< 5.フランシスコ会修道院 >
D: 回廊の中庭側。この回廊は14世紀のロマネスク様式です。
E: 回廊の壁側。壁画は聖フランチェスコの生涯が描かれている。
F: 中庭。
この回廊に面して、700年も続く薬局があり、見学しました。
現存するヨーロッパで三番目に古い薬局であり、如何にドゥブロブニクが福祉の先進都市だったかがわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/24/511477b80ea141b3bf728c46c0bc6b5f.jpg)
< 6. プラツァ通り >
G: 東方向にルジャ広場の鐘楼を望む。
H: 西方向にフランシスコ会修道院の鐘楼を望む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/6c/c6aa1f47625d097c1ff288d55bae0284.jpg)
< 7.ルジャ広場 1 >
I: 鐘楼。
鐘楼の左にある門を抜けると旧港に出ます。
J: スポンザ宮殿。
ここは16世紀に建てられた税関で、12世紀からの貴重な文書が保管されている。
著名な歴史家ブローデルはここの資料にヒントを得て「地中海」を書いたと言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/85/ff38eee54443c9eca2a749b6bd1a2b3d.jpg)
< 8.ルジャ広場 2 >
K: ローラント像と聖ヴラホ教会。
中央の騎士像が、ヨーロッパ都市の自由と独立を象徴するローラント像です。
右腕の肘から手首の長さが、商取引の長さの基準とされていた。
正面の聖人ブラホを祭る教会は1667年の大地震と火災で損傷し、18世紀にバロック様式で再建された。
この地は度々、地震に見舞われ、この大地震で5000名以上が死亡した。
多くの建物は再建されたが、城壁はわずかな被害にとどまった。
L: 西方向にプラツァ通りを望む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/60/24a336f7fd2613c235662d935e9c41b8.jpg)
< 9.大聖堂 >
N: 外観。
右側O: 内部。
中央の絵は盛期ルネサンスの巨匠ティツィアーノの「聖母被昇天」です。
彼はベネチア派の代表的画家で、スペインのプラド美術館にもたくさん絵があります。
トレドのグレコは若い頃、ベネチアで絵を学んでいました。
この大聖堂は最初ロマネスク様式であったが、大地震後、バロック様式で再建された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c5/198ba54307a762c3207052bdd7141399.jpg)
< 10.大聖堂の前から >
P: 大聖堂前からルジャ広場を望む。
Q: 旧総督邸。
ここは総督が住んだ邸宅で、ドゥブロブニクを中心とするラグーサ共和国の行政府が置かれ、政治の中枢だった。
ここは、さすがに観光客が多く、中国系や韓国の団体客もいました。
ここはアドリア海クルーズの無くてはならない寄港地です。
次回に続きます。
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