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クロアチア・スロベニアを巡って 13: 海洋都市ドゥブロブニク 3

2015年11月28日 | 連載完 クロアチア・スロベニアを巡って

< 1.ルジャ広場から聖ヴラホ教会を望む >


今日は、いよいよ内部を紹介します。
小さな城砦都市ですが、すっかり中世にタイムスリップしたようです。






< 2.私達の観光ルート >
凡例:
黄色線は城壁の散策ルートです。
青線は今回紹介する散策ルートで、アルファベットは写真の撮影地点を示しています。




< 3.ピレ門を抜けた所1 >

正面はメイン通りのプラツァ通りです。
昔、ここは海峡で左(山)にスラブ人、右(海)にラテン人が住んでいたが、12世紀以に埋め立てられた。
右手にオノフリオの大噴水が見える。
左手に救世主教会とフランシスコ修道院の鐘楼が見える。




< 4.ピレ門を抜けた所2 >
B: 救世主教会。左に高い城壁が見える。
C: オノフリオの大噴水。
このダルマチア地方一帯は水が貴重で、ワインよりも高かった。
そこで15世紀に12km離れた山側から水を引きこの水道施設を造った。




< 5.フランシスコ会修道院 >
D: 回廊の中庭側。この回廊は14世紀のロマネスク様式です。
E: 回廊の壁側。壁画は聖フランチェスコの生涯が描かれている。
F: 中庭。
この回廊に面して、700年も続く薬局があり、見学しました。
現存するヨーロッパで三番目に古い薬局であり、如何にドゥブロブニクが福祉の先進都市だったかがわかる。





< 6. プラツァ通り >
G: 東方向にルジャ広場の鐘楼を望む。
H: 西方向にフランシスコ会修道院の鐘楼を望む。




< 7.ルジャ広場 1 >

I: 鐘楼。
鐘楼の左にある門を抜けると旧港に出ます。

J: スポンザ宮殿。
ここは16世紀に建てられた税関で、12世紀からの貴重な文書が保管されている。
著名な歴史家ブローデルはここの資料にヒントを得て「地中海」を書いたと言われている。




< 8.ルジャ広場 2 >
K: ローラント像と聖ヴラホ教会。
中央の騎士像が、ヨーロッパ都市の自由と独立を象徴するローラント像です。
右腕の肘から手首の長さが、商取引の長さの基準とされていた。
正面の聖人ブラホを祭る教会は1667年の大地震と火災で損傷し、18世紀にバロック様式で再建された。
この地は度々、地震に見舞われ、この大地震で5000名以上が死亡した。
多くの建物は再建されたが、城壁はわずかな被害にとどまった。

L: 西方向にプラツァ通りを望む。




< 9.大聖堂 >
N: 外観。
右側O: 内部。
中央の絵は盛期ルネサンスの巨匠ティツィアーノの「聖母被昇天」です。
彼はベネチア派の代表的画家で、スペインのプラド美術館にもたくさん絵があります。
トレドのグレコは若い頃、ベネチアで絵を学んでいました。
この大聖堂は最初ロマネスク様式であったが、大地震後、バロック様式で再建された。




< 10.大聖堂の前から >

P: 大聖堂前からルジャ広場を望む。
Q: 旧総督邸。
ここは総督が住んだ邸宅で、ドゥブロブニクを中心とするラグーサ共和国の行政府が置かれ、政治の中枢だった。

ここは、さすがに観光客が多く、中国系や韓国の団体客もいました。
ここはアドリア海クルーズの無くてはならない寄港地です。


次回に続きます。











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