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< 大仏(盧舎那仏)、東大寺、奈良、創建752年(頭部17世紀末)、座高15m >
今回は、仏像表現の移り変わりを、代表的な如来座像から読み解きます。
最初に仏像が朝鮮半島から日本に流入したのは6世紀中頃です。
7世紀前半から日本で仏像制作が始まり、鎌倉時代に隆盛を迎えます。
如来とは仏陀(悟った釈迦)を指し、「真理を知る人」を意味する。
如来には釈迦、薬師、阿弥陀、大日、弥勒と盧舎那仏がある。
仏像彫刻が始まる飛鳥時代
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< 釈迦三尊像の如来、法隆寺、奈良、623年、銅造、像高88cm、鞍作止利作 >
日本は統一国家の地固めを終え、大陸から多くを学び始めた時でした。
この像は仏教に基づく政治を行った聖徳太子の菩提をとむらう為に造られた。
この仏像様式は、中国の北魏から朝鮮半島に伝わったものを色濃く残している。
面長な顔、細身、左右対称な衣文、アーモンド型の目、口元のアルカイックスマイルが特徴です。
貴族と仏教の文化が花開いた奈良時代
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< 薬師三尊像の如来、薬師寺、奈良、7世紀初め、銅造、像高2.5m >
日本は唐にならって都を造り、政治制度を整えた。
天皇は全国に国分寺や、国の威信をかけ東大寺の大仏を造った。
この寺は天皇が皇后の病気平癒を祈願し建立された。
ふっくらした頬、切れ長の目、豊かな体躯、細かな衣の襞が特徴です。
この端正で威厳が感じられる作風は、中国の唐の仏像に通じる。
貴族文化が隆盛を迎えた平安時代
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< 阿弥陀如来座像、平等院鳳凰堂、京都、1053年、木造、座高2.8m、定朝作 >
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< 平等院鳳凰堂 >
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< ライトアップ、中央に阿弥陀如来。 http://waoblog.exblog.jp/10771014より >
この時代は、国家統治が天皇家から一貴族家に握られ、やがて中央集権制は衰退していく。
9世紀末、唐が滅び中国の争乱が長引くと、日本は独自の文化を育み始める。
栄華を極めた貴族がまさに極楽浄土を、この寺によって再現しようとした。
仏教の目的は国家の鎮護から貴族の安寧へと移っていた。
おだやかで優美な仏像、飛天をあしらった透かし彫りの光背の派手さが特徴です。
ここに日本独自の表現が完成した。
武士が政権を担い始めた時代。
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< 大日如来座像、円成寺、奈良、1176年、木造、像高1m、運慶作 >
この時代は、政治の激変と共に貨幣経済が急進し、農民や武士が新しい仏教(浄土教、禅宗)に熱狂していく。
一方、国家の支援を失い荒廃し、戦火で消失した寺院と仏像の建立が行われた。
この一翼を担ったのが運慶率いる仏師グループで、新興の武士階級の要望に応えた。
この像は鎌倉時代を代表する運慶最初の作品です。
彼らは平安期の風雅な様式から写実的でダイナミックな造形に変えて行きました。
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< 鎌倉の大仏(阿弥陀如来像)、13世紀、座高12m >
それ以降
仏教は庶民に浸透し続け江戸時代に定着することになる。
仏像の表現形式は伝統を逸脱することがなくなる。
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