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仏像を巡って 21: 仏像と神像の出会い

2015年01月22日 | 連載中 仏像を巡って

< 1. シバ神 >

今回は、インドでの彫像の発展に伴って仏教とヒンドゥー教がどのように関わったかを見ます。
そこには世界の宗教史に共通する不思議があります。


仏教興隆期の彫像




< 2. 石柱に彫られたヤクシー像、バールフット出土、インド、前1世紀初め >
解説: この柵(欄楯)はストゥーパー(仏塔)を囲っていたもので、その柱に民間信仰の神ヤクシー(豊穣の女神)等を守護神として配していた。
これが後に東西南北を守る四天王(毘沙門天、増長天等)になった。
これはインドで神や仏が彫られた最初期のものです。




< 3. 仏伝「梵天勧請」、ガンダーラ出土、パキスタン、1世紀頃 >
解説: 向かって左下にひざまずいて釈迦に合掌する梵天、その反対側に帝釈天。
梵天はバラモン教ではブラフマン神、帝釈天はインドラ神です。
インドラは武勇神で、バラモン教時代には最高神だったが、ヒンドゥー教時代になるとその地位は低くなった。
最古層の仏典に、バラモン教の神々が釈迦に教えを請う様子が「梵天勧請」や「帝釈窟説法」に書かれています。



< 4. 仏三尊像、アヒチャトラー出土、インド、2世紀 >
解説: 向かって左、スカーフを巻いた西域スタイルの金剛杵を持つ像は仏陀を警護している(右は菩薩風)。
これが後に仁王像(東大寺南大門の金剛力士)になる。


仏教興隆期、紀元前1世紀から紀元後2世紀まで
仏像誕生はインド民衆の宗教運動と王朝の文化政策が原動力となり、さらに西方の彫像表現が触媒となり、紀元1から2世紀、急速に発展して行きました。
仏像誕生前にも民間信仰の神像や素朴な土人形は造られていました。
しかし既に千年の歴史を持つバラモン教の神々は、仏像誕生以前には造形されていなかった。

バラモン教の神像が造られ始めたのは、実は図3、4の浮き彫り等が最初なのです。
かつては王家と一体となり隆盛を誇っていたバラモン教が形骸化していく中で、仏教が民衆の心を捉え隆盛していきました。
そこで仏教はバラモン教の神々を経典に取り入れ、後に浮き彫りに表したわけです。
多くはバラモン教の神が釈迦を助け、釈迦に教えを請い、付き従う姿で表されています。
それはバラモン教の神よりも釈迦が優位にあることを示すためでした。


ヒンドゥー教興隆期の彫像




< 5. アジャンター石窟とエローラ石窟 >
上図: アジャンター、第26窟。この石窟群は、前1世紀から7世紀頃まで仏教寺院として次々と掘られていった。
下図: エローラ、第16窟のカイラサナータ寺院(ヒンドゥー教)。この石窟群は初期に仏教、7~9世紀にヒンドゥー教、後にジャイナ教の寺院として発展した。




< 6. シヴァ神とヴィシュヌ神 >
左図: シヴァは仏教では大黒天。エローラ石窟、6世紀後半。
右図: ヴィシュヌは仏教では吉祥天。ウダヤギリ石窟、401年頃。
解説: この時代になると、シヴァとヴィシュヌ、ブラフマーがヒンドゥーの三大神となっていた。
ヒンドゥー神はそれぞれに多くの化身が可能で、右図のヴィシュヌは猪の頭を持ち、悪龍を踏みつけている。
さらにこの神は釈迦にも化身した。


ヒンドゥー教興隆期、紀元後5世紀以降
バラモン教は仏教の隆盛に刺激され、紀元前5世紀頃から民間信仰の神々を積極的に取り入れ変革を遂げた。
一方、仏教は仏像誕生と共に隆盛を迎えたが、やがて衰退を始めた。
やがて紀元5世紀頃にはバラモン教はヒンドゥー教へと生まれ変わり、仏教を凌ぐようになっていた。

それまで仏像の添え物だったヒンドゥー神像は、徐々に単体として目立つ存在になっていった。
やがて各地に作られていた石窟も仏教からヒンドゥー教の寺院へと変わっていった。

その後の展開



< 7. インドラと帝釈天 >
左図: インドでの現在のインドラ図。
右図: 日本の帝釈天(インドラ)。



< 8. 東大寺法華堂 >
解説: 本尊を守護するように外側から2体の四天王、その内側に金剛力士が左右に配されている。


まとめ
ここで印象的なことが二つ起こっていました。
一つは、最初、僧侶達は神や仏を図像表現することに強い抵抗があります。
しかし民衆が明確な象徴を望む中で、外界や競合する宗教の手本を得て図像表現は急速に発展します。

今一つは、競合する宗教同士が、相手の神々を取り込んでいくことです。
今回は明示できませんでしたが、多くは神々と共にその教義も取り入れ、より民衆に応えるようになります。

世界各地の宗教も、このような神仏習合と競合を経て発展して来たのです。



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