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原初美術の誕生3: 動産美術の展開

2012年09月29日 | 連載完 原初美術の誕生

< ドイツ、ネーブラのトナカイ角製ビーナス像 >

前回は35000~15000年前に作られた女性像、ビーナス像を見ました。

そこには人類がイメージを膨らまし、手に取ることが出来る像として製作する最初の様子を見ました。

今回は、女性像の多様化と、女性像以外の像を見ます。


上記像は前回紹介したものですが、このビーナス像の見つかった地から西300km離れた同じドイツにゲナスドルフ遺跡がある。

ここで15000年前頃、ライン河添いの平地に集団が冬期だけ数張りのテント生活をしていた。

この遺跡から、線刻で女性が描かれている粘板岩が多く発掘された。ちょうど「原初美術の誕生1」addaura洞窟壁画のタッチに似ている。

その絵は頭と脚は省略され、手と乳房と臀部のみが2本の輪郭線で表現された側面図であり、集団ダンスなどもあった。上述の像と同様に彫刻品は手と乳房も省略されたシンプルなもので、角と粘板岩製の両方があった。



< ユーラシア大陸の後期旧石器時代後半(約18000~13000年前)のビーナス像、「縄文時代のはじまり」小林 謙一著より>

氷河期末期のビーナス像の一覧が上図です。上記ドイツに出現した側面観のビーナス像は、西はフランス西端からウクライナまでの約2400kmの間に分布していた。すべてシンプルな形態では同じであるが、それぞれ個性がある。ここには既に美的感覚、象徴化の文化に多様性が生じている。

さらにおもしろいことに、図中の7マイニンスカヤ(シベリヤ)の土偶だけは、日本の縄文時代創生期の土偶(花輪台など)に似ている、平板の正面型という点で。



< 花輪台の土偶 茨城県、8000年前、高さ5cm、平板だが乳房のみ強調 >



< 代表的な動産美術 >

氷河期、動産美術はビーナス像以外にもたくさん作られた。狩猟動物である馬とバイソンが多く、マンモス、ライオン、鳥、ヤギの彫像や刻線画もあり、単体の彫刻もあれば道具の装飾として柄の一部に彫られていた。

古いものでは35000年前、南西ドイツの洞窟、象牙製馬、図1(長さ6cm)がある。また特異なものとしては32000年前、南ドイツの洞窟、象牙製ライオンマン図2(高さ30cm)が見つかった。これは頭部がライオンで体が人間であり、最古層の擬人化されたもので、ギリシャやエジプト神話などに出てくるキメラやスフィンクスを彷彿とさせる。既に、崇拝したり祈願したりする対象を複合体で架空の像として表現することが行われて始めた。これまではデフォルメや簡略化しているとは言え、必ず現実のものから乖離はしていなかった。もうすぐ人々が望む大きな力を持つ神が誕生してくることになる。

20000年前、フランス、トナカイの骨製投槍器、図3(長さ25cm)がある。投槍器は、槍の飛距離を2倍にしたことにより、氷河期の狩猟に大きな効果をもたらした。他の投槍器の柄には精緻なヤギの彫刻もあった。過去の石器にも対称の美しさや、ビーナス像のように豊穣イメージの象徴化はあったが、一方で道具にあっても、何らかのイメージを付加するようになっていた、それも手間暇をかけて。それは単に美的な表現や装飾なのか、ステイタスシンボル、はたまた祈願を目的としたのかは不明だが、おそらく素朴な表現手段と祈願目的が先立ち、美的な文化様式が定着すると、やがてステイタスシンボルとなりえたのだろう。それがゲナスドルフ遺跡で発見された多くの粘板岩のデッサンから推察出来る。



<投槍器の使用方法 http://ameblo.jp/oldworld/entry-10043367018.html >

35000~25000年前、これら最古層の彫像はドナウ河上中流域と同緯度上の東側にほぼ集中していた。この東西に延びる3000kmの大河は、中近東からの現世人類、稲作農耕の伝播、民族移動の西進、逆にローマ文明とハウスプルグ家の東進の進路となった。

次回から、氷河期ヨーロッパの洞窟絵画を見て行きます。





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