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戦争の誤謬 16 : 残虐行為 1

2012年10月15日 | 連載完 戦争の誤謬
< 「戦争報道の内幕」表紙 >

今回から、戦争における残虐行為を分析します。

なぜ起きるのか? 誰にでも起きるものなのか? なぜ残虐行為が問題になるのか?

残虐行為の本質を知ることは非常に重要です。


戦争が最も起きにくい状況は相互に信頼感が醸成されている状況です。逆に一方が相手に軽蔑や憎悪の感情を抱いている時は、一触即発状態です(テロなども含めて)。最も素早く生じ強大になる敵対感情は憎悪によるものでしょう。憎悪は相手の暴力や抑圧行為など、またはその誤解から始まり、集団間では往々にしてエスカレートしていきます。この憎悪を最も激しく呼び覚ますものが相手の残虐行為にほかなりません。

この連載の「未開の戦争」において、儀式的な格闘技から始めても、血をみると全村の殺戮が起こってしまいました。「古代ギリシャの戦争」において、フェアプレーな闘争も、やがて年月が経つと、略奪と殺戮が横行する戦争に変貌していきました。「ベトナム戦争 1」において、ソンミ虐殺事件が報道されると、米国民だけでなく世界中が非難し反戦運動が大きく盛り上がり、やがて停戦へと向かう画期となったのです。この三つの事例は、残虐行為が如何に容易に起きやすく、長期化した戦争は理性を麻痺させ、かつその結果起こる悲惨な残虐行為が人々にどれだけ衝撃を与えるかをよく示しています。



< ソンミ村虐殺事件 >
68年のソンミ村虐殺事件に、戦争の虐殺事件の典型をみることが出来る。
この年は、米の正規軍が投入されて8年が経ち、泥沼化する戦争で米は北爆と増派を繰り返していたが、これに対抗して北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線は共同で南ベトナムに攻勢を強め(テト攻勢)、さらに米軍21万の増派をした年であった。米軍はベトナムのゲリラ戦に手を焼いていた。ゲリラはジャングルに潜むだけではなく、小さな農村の住民に紛れていた。そこでジャングルやゲリラ拠点を爆撃し殲滅する「サーチアンドデストロイ」作戦が数年前から実施されていた。

このことがやがて悲劇を生んだ。米陸軍中隊がベトナム中部の小さなソンミ村を急襲した。ここにゲリラ部隊が潜んでいると想定したからである。早朝、ヘリコプター9機で降り立った米兵は、民家と異常音に気がついて逃げ込んだ避難壕を捜査し始めた。逃げようとする者は出るそばから射殺され、避難壕には手榴弾を投げ込み、銃を持たない村民を赤子まで手当たり次第殺害し、少女を輪姦し殺した。またある者は農業用水路に集められ一斉機銃掃射を受けた。

こうして数時間の間に、集落は壊滅し村民504人(男149、妊婦含む女183、乳幼児・子供173人)が虐殺され、死体の山に覆われていたなどで奇跡的に3人のみが生存出来た。この作戦は軍上層部により、ゲリラ掃討作戦として扱われ隠蔽されていたが、翌年、米国雑誌に報じられ世界に知れ渡ることになった。

この事件のポイントは、出撃時点で部隊(中尉)として皆殺しを決めていたこと、この村にゲリラの痕跡が無かったことである。大部隊による攻撃に対して、非力な部隊はゲリラ戦術をジャングルや市街地で行い反撃することになる。これは後に語る南京虐殺事件も同様な結果を招くことになる。

この事件の詳細が下記に語られています。現地の英文パンフレットを翻訳された。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/Son%20My/Part2.htm#2. 戦慄の朝


なぜ米兵がこのように虐殺を行うようになったのだろうか。
彼らの多くは一般市民の志願兵であり、退役者の多くが精神疾患を発症することからみても戦闘の異常体験が影響したと考えられる、志願兵の兵役は13ヶ月と短いのだが。逆に一般社会では鼻つまみ者が、ベトナム従軍で戦争犯罪を起こしたケースもある。その45人の空挺部隊が、7ヶ月間、非武装の村を焼き払い、数百人の住民を虐殺した。兵士達は無抵抗で逃げる農民狩りと残酷さを楽しんでいるように思える。そこには人間の封印された欲望が解放されたかのように錯覚してしまう凄さがある。この事件を米軍犯罪捜査官が調査していたが、2003年、米の地方紙がこれを発掘し報道し、ピュリツァー賞を受賞した。「タイガーフォース」マイケル・サラ共著。



< 「タイガーフォース」表紙 >

当時、報道記者がベトナム戦場での兵士の心情を記している。「戦争報道の内幕」フィリップ・ナイトリー著から抜粋引用。

「GI達は神経が高ぶっており、最初に発見した農夫に発砲した。弾は当たらなかった。次の農夫はそれほど幸運ではなかった。・・・頭部の後ろは吹き飛んでいた。まだ意識があり、哀れな泣き声を低く出し、・・左手で睾丸を守るように強く掴んだまま死んだ。『金玉に食らわせてやった。俺がこいつをやってやったんだ』・・」

「米兵は死体の手足を切断した。ある陸軍大佐は、自分の犬の餌として。死んだベトコンの心臓を欲しがった。首を切断し一列に並べ、それぞれの口に火のついた煙草を差し込んだ。耳はビーズ玉のように糸でつながれた。」

「米兵はベトナム人の死体をゲームのトロフィーのように写真に撮った。・・切断された耳を一つ二つ持ちながら笑う海兵隊員といった写真だ。」

「神父はいつも言ってました。早く片付ければ早く魂は天国に行ける、とね。魂を助ける為に殺してるような感じがしますよ」(神父とは従軍牧師のこと)

「俺たちが動物にするようなこと・・殺したり傷付けたり、叩いたりして何か芸を仕込む、・・・動物並のことをベトナム野郎にもやってるんだ」

一般兵士もやがて無益と思える殺戮を平然と行い、残虐性を見せるが、そこには死の恐怖と同胞の復讐心が狂気を招いているのだろう。恐らくは人種差別や蔑視がさらにその度を増すことになったのだろう。職業軍人ともなると、それは悦楽になっているふしがある。

しかし米軍には幾分、理性的な制御が効いている。ソンミ村事件の時、中隊の下士官が作戦に異論を唱えていたし、たまたま上空通過中、それを発見したヘリコプター操縦者は、救援要請を行い、虐殺行為の妨害を試みている。タイガーフォース事件にように、戦争犯罪の捜査をきちっとやる部隊も存在していた(最後まで出来たかは疑問、ソンミ事件のように)。







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