< 1.三角縁神獣鏡、京都、3世紀末の古墳から出土 >
中国の神像と霊獣が浮き出されている。
今回は、神像の前触れについて見ます。
それは紀元前後(漢の時代)から唐の時代に起こりました。
神像の前触れ
古くは、権力者の墓に精緻な青銅器(煮炊きや酒の器など)が副葬されていたが、やがて死者の身の回り品(銅鏡など)や画像石(壁画)、俑(土人形など)に替わっていきました。
やがてそれら副葬品に、文献で神と呼ばれる人物像(西王母など)が表現されるようになりました。
< 2. 銅鏡と画像石 >
銅鏡は戦国時代(前5世紀頃)から始まった化粧用の鏡だが、やがて祭祀の重要な道具となり、たくさん副葬された。
画像石とは、地下の墓室の壁面に線刻された画像のことで、後漢時代に多く造られた。
そこには生前の華やかな場面、車馬行列、饗宴などや、吉兆の図、儒教思想に基づく図、入口や門には神獣、神仙の図が描かれた。
図N、O: 神人龍虎画像鏡、青銅製、直径 19.6cm、後漢中期(後2世紀)。
多くの銅鏡の裏面には単純な模様が施されていたが、後漢中期からこのような神獣鏡が多く作られた。
これは神仙思想を反映し、不老長寿の理想を文様化したものです。
実物Nの裏が鏡面で、その浮き彫りを図示したものが図Oです。
中央上下に西王母、東王父が配され、それぞれ3人ずつの侍神が膝座している。
中央左右に青龍、白虎が対置されている。
後に、これらの神獣鏡(図N、O)はさらに多数の神々で埋め尽くされるようになった。
図P:西王母の画像石、後2世紀。
西王母は頭に髪飾りをいただいた女神で、崑崙山に住む半人半獣であり、不老不死をつかさどる神とされている。
図Q: 漢代の画像石。
龍と虎の上に座す西王母と九尾の狐、三足鳥と動物達が描かれている。
副葬品の人形の変化
< 3.唐三彩、粘土の素焼人形、副葬品、7―8世紀 >
図D: 西域(中央アジア以西)の人々が造形されている。
図E: 女性像。当時の美人はふくよかであった。
図F: 鎮墓獣。墓を守る為に怖い形相をした人獣が造られた。
人形が副葬されるのは、秦の兵馬俑から盛んになったが、唐代になるとカラフルな唐三彩が普及した。
デフォルメされている箇所はあっても、かなり写実的になっています。
これらは死者の冥福を願い、また恐ろしい人獣の像により魔除けを願った。
死者と共に埋葬される像は、来世への信仰にもとづいていた。
まとめ
やがて、人々は死者を敬う為に、供え物を獣の象徴から人間らしい図像で表現するようになった。
しかし、それは死者の安寧や現世の不老長寿を祈願する為のものであった。
唐三彩にしても、像は写実的な市井の人々であり、万能の神ではなかった。
万能の神が出現するには、今一歩の発展が必要だった。
次に続きます。
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