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仏像を巡って 17: 仏像誕生 4

2014年06月08日 | 連載中 仏像を巡って

< 1. サンチーのストゥーパ(仏陀の遺骨を納めた墳墓) >

なぜマトゥラーで仏像が誕生したかを追います。

本連載の「仏像誕生2」で、ガンダーラで仏像が誕生した理由を述べました。
それは各地に造営されていたストゥーパを中心に、釈迦への信仰が沸き起こったからでした。



< 2. クシャーナ朝版図、濃い緑色部分、1~3世紀 >
赤い線は陸上交易路、青線は海上交易路。
黄色枠は紀元前1千年紀前半に栄えた地域、マトゥラーが含まれている。
ピンク枠は紀元前6~5世紀に多くの都市国家が栄え、仏陀が活躍した所。

古代都市マトゥラー
この地はヤムナ川沿いにあり、アーリア人が東方に移動していく中で、紀元1千年紀前半に栄えた地域でした。
したがって多くのヒンドゥー神話がこの地から生まれた。
また、この都市は重要な交易ルートの分岐点でした。
東に行けば仏陀が活躍した都市文明の中心地、西に行けばガンダーラから西方へ抜けた。
南下すればアラビア海からメソポタミアに達した。
前4世紀から前2世紀には仏教やジャイナ教の重要拠点になっていた。
1世紀になると北方の遊牧民によるクシャーナ朝が興り、この地は副都になる。
この王朝の4代目カニシカ王(在位2世紀中頃)は仏教を含む宗教を保護した。

最初に何が起きていたのか
このマトゥラーから500kmほど南にサンチーがある。
ここには紀元前3世紀にアショカ王が建立した代表的なストゥーパ図1が残っている。
それを取り囲む玉垣の門に仏陀の生涯を描いた彫刻が施されている。
これらは建立当初、木造であったが、紀元前後に石像で造り直している。
しかし仏陀は法輪、仏跡、菩提樹、台座などで表現され、未だ人物像として表現されていなかった。



< 3. 仏陀を象徴した図の例 >



< 4. 玉垣の門のヤクシー像、1世紀初め、サンチーのストゥーパ  >
この女性像はヤクシーで、豊穣・多産の女神です。



< 5. ヤクシー像、前2世紀~後1世紀、北インド東部のパトナ >
単体のヤクシー像、男性の土着の神像が紀元前2~1世紀には造られていた。



< 6. 北インドの土偶、右端の像は紀元前3世紀頃か、 パトナ博物館 >
さらに古くは、素朴な土偶の女性像が、紀元前1千年紀中頃から北インド東部(パトナなど)、遅れてマトゥラーを中心にして造られ始めた。


次回は、仏像の誕生をまとめます。



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