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徒然なるMama’s Diary

家族とワンちゃん 飲食 健康 そして趣味の事…
その場その時に感じる色々を書き記す

3月に他界した父のラストのこと・・・その4。。

2017年06月25日 | 徒然Diary

写真は 2月25日に 見舞いに言っていた夫が写真を撮り LINEのファミリーグル(家と弟家族のグループ)にアップしてくれたもの。
もちろん動画も届きました。

私は自宅にいて 毎日 父のを案じる日々を送ってましたので 夫や弟からのLINEを通じての 写真に動画、ラインカメラでの通話は 本当にありがたいものでした。

この時期にラインカメラでの通話を数回しましたが 短いモノでしたから どれも鮮明に覚えていて今でも思い出すと涙があふれます


私「今 犬の散歩から帰ってきたところよー。」

父「お前のことやけ ココちゃんを連れまわしよるんやないかー?」

二人で笑いの声

私「ちがうよ~~ 愉しく行ってますよ~~」

私「今日は○○の方へ行ったんよ」

と、父も遊びに来たことがあるので 近所に新しく開発された公園の話をすると 

弟も会話に加わり その辺の話をしました。

そして

「ちゃんと ココちゃんの面倒みてやって~~。。」

「うん、分かった~。。」

涙声が 聞こえないよう 「疲れるから もう切るね、」



今度は 私の夫が対応しての会話

私「分かる?? 私よ?」

うん、うん、と頷く父。

日に日に 声が出なくなっていると夫が報告。

しかし・・・ 

私「今 また 散歩から帰ったところなんよ~」犬をカメラで見せながら「お父さんもCOCOちゃんに会いたいやろ~~?」と言うと

「うん、うん」と頷きながら 自分の持っていたハンドタオルで 「ココ、ココ」とカメラを叩く素振り・・・

そして

父「ちゃんと 面倒みよるんか?? 虐待しよらせんか?? 」と笑いながら 急に元気な声を出す父。。

私「しよらんよ~~」

私に対しては いつもこんな感じで 気を遣わずに どちらかと言うと超 本音。。

その時 母が病室に現れ 父が食欲が無く・・・と話し始めたので

私が「それなら~~」と口を挟むと

『お前は 黙っとけ~~』と心の叫びが聞こえてくるかのように 今度は 私が映るカメラに向かって タオルで何度も叩く始末

一同爆笑で 電話を終えた。


結局 父からの遺言となってしまった。

「ココちゃんの面倒 ちゃんとみてやって。。」


散歩の度に思い出しては 上を見て歩いてます。。

父は ずるいな~ と思います。。

そして この道を 父と一緒に歩くことが出来たら~ と




つづく

3月に他界した父のラストのこと・・・その3。。

2017年06月18日 | 徒然Diary


前回『3月に他界した父のラストのこと・・・その2。。』の続きです。。


上の写真は 2月の11、12日の土日を利用して 親族が続々と 父のお見舞いに駆けつけてくれ 病室のみならずデイリールームも大賑わい。。
父も大喜びで 皆に元気をもらって この土日が”山”なんて医者に言われていたのがウソのの様で看護師さんもビックリしてました。


少し 前後しますが 下の写真は 父の入浴の写真。。(2月10日(金)の15時頃)



私が2月7日の夜に到着してから ビックリするほどに元気になってきた父→ 娘さんが来てくれたので元気になった
長時間は無理だけど 普通に話すし 私からすると 食事を含め栄養補給が多少なりともなされてるから元気になったと・・・単純に。。。そう。。

この入浴の日、最初は 入浴を嫌がっていた父でしたが「明日、明後日と見舞客が来るのに さっぱりしておかないと お客さんに失礼よ!! 」と私が言うと 仕方なく頷いた父。。

半ば 強制的でしたが 入浴も1週間以上ぶりだったとか(母だけだと 無理には言えなかったみたい・・・それにここんところ弱っていたので。。)
しかし 入浴は 大正解でした~

看護師さんが 髭も剃ってくれて 溜まっていた垢が ずるずると取れてました~~
金曜に休みを取って駆けつけた 弟と母と三人で見学→写真撮影&垢を取り

父も皆に囲まれ嬉しそう~~
ニッコリと笑う父の写真のラストだったかもです。。

顔隠してますが ピースして笑ってるんです~~

そうそれで 土、日は 大勢の見舞い客に囲まれ 疲れてるのに「大丈夫」と元気に振舞ってました。。

(私の方は ちょっと まだまだ体調が芳しくない所で またストレスになるようなことを母と弟に言われ 一発アウト
気丈に振舞うも抗生剤を飲み始めました→飲まないと動けなかった。。)

私の家族からは 次男と長男夫婦が来てくれました~
孫のお嫁さんは その頃 妊娠4か月、体調もそんなに良くないのに わざわざ来てくれたのも 父の人柄によるものです。。

また お嫁さんは 音楽をやってる人なので 自分の演奏曲をスマホに録音したものを ベッドの上に横たわる父に聴かせてくれてました~
私も凄く嬉しかったけど父は もっともっと嬉しかったのではないだろうか~

父の姪で私の従姉妹とその母親である義伯母(父からすると義兄嫁)も直方から来てくれて 帰り際に「また来るね~」と言いながら涙してくれた義伯母の顔が忘れられません。

弟の家族に義妹のお父様に 母の姉(伯母)と従兄




こんなに沢山の見舞客が 一遍に集まって 父自身 何か思うことがあったのだろうか?
それとも 単純に 「皆が 応援してくれるので 早く元気にならなければ}と前向きに捉えたのだろうか??

私たちの前では 只管に前向きに「 良くなったら(東京に、直方に、宇部に、大阪に)また行くけ~~・・・」と

この土日が”山”と言われていた父でしたが 私が帰京する15日まで、そしてそれから 一時は ますます元気になり 次に呼ばれる3月上旬まで

今度は 私の夫が介護休暇を取ったり 弟も週末は帰省して LINE・カメラ を使って父と通話したり 父が頑張ってくれたお陰で 思い出が沢山になりました。。



つづく。。




3月に他界した父のラストのこと・・・その2。。

2017年05月30日 | 徒然Diary
1月の話『やっと・・・。。』を読み返して何度も涙が出てきました。。

なかなか 続きが書けませんが 今日は頑張って進めたいと思います


緩和ケア病棟に移ったとは言え 顔色も良いとのこと

TELで話すと まだまだ元気そうにしてるし 血液検査や血圧・心拍数・酸素数など 医者もびっくりするくらい数値が良いらしい。。

本当は 今からでも帰ってずーっと 父の傍に居たかったけど...

とにかく 会いたいと思い次男にも声をかけ 2月11日(土)から二人で行くことに決め飛行機を予約

その話を母にTELしようと思っていたところへ 母からTELがくる。。

2月7日の午前中のこと、


「昨日頃からか? お父さんが 急に寝てばかりになってしまった。今朝、病院に行ったら医者から

『もしかすると 週末までもたないかも? まだ 意識がある内にご家族や会わせたい人がいたら しっかりお別れをさせてあげて下さい』

と言われたけど・・・ 」と


それからは 大騒動~

とりあえず 家族に 私だけが一足先に 帰省する旨を連絡。

週末の帰省に合わせて用意していたので 冷蔵庫の中はまだまだ沢山の食材

→フルーツケーキや卵焼きも焼いて行ってあげる予定だったので 卵が沢山

←そんなどうでもいい話はもっとある~~ カラーリングもまだ行ってなかった


そう まずは LCC で予約の取り直しができるのか? また次男と一緒の予約№なので それを切り離してもらう~~ などなど

急いでるのに なぜか某LCCの担当者とチャットでやり取りする羽目に。

(時間がかかったのは本人確認やらで なんか色々なことを 手打ちでやり面倒臭く、「OK、次は~、」の繰り返しで ちょっと参った だけど親切だったし間に合ったので気にならない話)


とにかく荷物の準備

ある程度行く準備が整い 成田までのアクセスを含め 今日の便で出発が可能と分かったところで予約変更

自分の体調が不安ではあったが 朝からロクなモノも食べずに成田行きのバスに飛び乗り 実家に着いたのが 夜の9時を回ってたと記憶する。

実家に到着して荷物を置いて その足で母と二人で 車で5分ほどの病院に駆けつけた。

病室に入ると 父は直ぐに気づいて目を開けて「分かる?」という問いかけに「分かるよ~」とちゃんと声を出して答えたが

名前を言ってくれないのが気になり「誰か分かる?」とい直すと ちょっと間を置き私を不安にさせた。

そしてゆっくり「うん、○○やろ~」と答えてくれたので 私は「うん。うん。」と頷いた。。

寝てばかりと聞いていたけど 父の顔を見ると 確かにまだまだな気がして ホッとした、

翌朝も8時30頃に病院に行ってみたら 割と起きてる感じ・・・

食欲ないと言うことで ここんところアイスのみ少し と聞いて 私はびっくりした・・・

「寝てばかり~って それ 栄養失調みたいに衰弱してるだけなのではないの??」

ストップしていた エネーボ(栄養補助飲料)を処方してもらう。(しかし 味が苦手だとかで 1缶を数回に分けて飲んだだけで飲まなくなった)

あと 父が好きなリポD も飲ませて とにかく 母に無理やりでもいいから食べたいものを食べさせてとお願いした。

しかし 緩和ケア病棟が配布するリーフレットを読むと 人が死に向かっていく為に 身体が準備を始めること 飲食の量が減り 臓器等の機能が低下して行き・・・ そういうことで延命治療を行わない。と言うようなことが記してあった。

それを読むと 必然に納得してしまい 残された時間をいかに有意義に過ごせばよいのか? だけを考えようと思った。

とは言え 私が来て父も新しい話題に触れ会話も増え 週末まで持つか??なんて心配もないくらい元気になり出された食事も 少しだが手を付けてくれるようになった。。

医者、看護師、リハビリの方が 皆 「娘さんが来たので元気になった」嬉しそうに父に話しかけてくれ

頑張ってくれてる父に感謝する気持ちでいっぱいだった。


細かく書いてしまったので長くなりました。。

 続きは また後日、近いうちに。。

やっと・・・。。

2017年05月20日 | 徒然Diary
3月に他界した父のラストのことを書き留めようと思ってましたが 色々思いがすと それが涙に変わりとてもとても続けて書けるような状態でなく

また 4月に入ると四十九日にの為の帰省の準備(2週間ほど家を空けるので それまでにやらなくてはいけないこと多々でした)もあって気忙しくしており手つかずのままになってました。。

先週の10日に帰京しました。その後もちょっとバタバタしていて やっとやっとそんな気になりました。


父が胃の下辺りの痛みを訴えてるので心配だと母が 私にTELしてきたのが 1月7日の夜。

昼に点滴してもらってる医院に話したみたいだが その時はそこまで深刻でなかった。
時間と共に痛みが増してきた上 今日から3連休なので次の通院は火曜の朝となり心配になったとのこと。

本人でないと何の痛みなのか?また度合いも分からない上 TELだと顔色も表情も見えず心配だけが加速。

単純に食べすぎでの胃痛であって欲しいと思いながら ただ 私が とりあえず「(研修医の長男)○○に聞いてみようか?」と言うと

父は 冗談交じりに嬉しそうに

「いつもすいませんね。心配かけます。○○に診立てをお願いしてもらって~ 宜しくね。。」

とその声を聞いて 少し安心。


結局 1月10日に 大きな病院に即入院することになり その日を最後に父は 実家に戻れなくなってしまった。

胃の下→癌が肝臓に転移していたのだが それがぐいぐいと大きくなり痛みが出てきたようで 栄養補給の点滴の為に通っていた近所の医院も手に負えず回された感じ。

痛み止め(麻薬)の点滴をスタートさせ 一通り検査しているとのこと。

入院している父の携帯にTELすると

「俺 今 ○○(病院の名前)に入院しとるんよ~! お母さんは 家に戻ったけ 家にTELしてみて~」

母にTELしたのではなく父が元気な内に話しをしたかったのでTELした~とは言えず

「うん、入院したんでしょ~ 知ってるよ~」

「痛みはどうお?」

「 痛みが取れれば だいぶ楽よね~ 今度会いに行くから待っててね~」


と涙をこらえて会話した。

母は 父の顔色も良いので まだまだ大丈夫そうと強気だったが 医者から「もう手の施しようがないので 別棟の緩和ケア病棟に移します」と言われ
移されたのが 1月27日。

その頃 ほぼ毎日 父、母とTELしてたと思う。
母が涙ながらにTELしてきた日があった

「医者から
  『もう余命いくばくか? こういう状態になった以上 あと数日かもしれない。今までの経験上 長くもっても3月末までと言うことはない。』
と何回も言われ悲しい。」
と (母が全然信じないので 医者も理解させるのに苦労したと思う)

父が横になっているベッドの横で 涙が止まらなくなりグスグスしていると 父から

「どうしたんね?(風邪ひいたと思った父は)調子悪いなら今日はもう帰ったら?帰っていいよ。。」

電話口で 母が号泣していた。そのことを思い出しながら 今号泣している私。


やはり 書き始めて良かった こういうことは記録として残して置いた方がいい気がする。。
書いてる内に涙が止まらなくなるけど・・・


次は 2月に入ってからの話です。

今年初めてになります。。

2017年04月07日 | 徒然Diary
随分とご無沙汰していました。
過ぎた3か月は 非常にあっと言う間でしたが とても濃い重みのある日々だったと振り返ります。

1月、元旦早々に 我が家に ワンちゃんがやってきました~
   名前は COCO(ココ)ちゃん  ヨークシャーテリア  
   以前 紹介していた 嫁の実家(家業が忙しくなり飼えなくなったので貰って欲しいと言ってた)のワンちゃんです。

   直ぐに懐いてくれて めちゃめちゃ可愛いです。。

   毎日のお散歩が楽しみな私→ COCOを連れまわしてる感は否めません
   1時間はざら、1度だけ お台場まで行ってしまって2時間歩いたことも・・・

   そんな疲れで 具合が悪くなることは 全くありません(私の病の原因は ほぼ100% 攻撃される事でのストレスです

   話 飛びましたが 今後は 時々 COCOの 動画や写真をUPしてゆきたいと思います

   
   
   実家の父のこと。
   
   正月明けから 再入院、今度は治療というより もう余命いくばくか というところまで来ての看取りの為の入院。

   緩和ケア病棟は とても綺麗で 医師・看護師・そのほかのスタッフ共 テキパキで親切。

   また 真冬にもかかわらず 南からの陽が 病室を南国にしてくれ ラストの父にとって最良の環境でした。


   しかしながら 3月13日 20:14、帰らぬ人となってしましました。

   明日以降に 父とのラストのことを 記していこうと思います。