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徒然なるMama’s Diary

家族とワンちゃん 飲食 健康 そして趣味の事…
その場その時に感じる色々を書き記す

書き記していたものが 下書きとして残ってました・・・。。

2018年05月09日 | 徒然Diary
タイトル ≪3月に他界した父のラストのこと・・・その5。。≫


≪本文≫

『2月の帰省時に 家族会議の結果 ブドウ糖の点滴を再開してもらうように医師にお願いしました。

緩和ケアのあり方(父自身の身体が死にゆく準備をしている訳であるので・・・)を理解し 飲食が出来なくなってももうそれは・・・
と仕方のないことと受けていたつもりでしたが 

次男から“何故?点滴をしないの?”“もう延命はしないんだね?”と 何気につぶやかれ
その言葉も無視できないと思ったので 2月12日 昼食の席で 弟家族や長男・次男ともう一度話し合い そうなりました。

医者の経験とデータ的には もう本人の寿命は決まってるので してもしなくても変わらないと思うが ご家族様が納得出来ないのならば・・・
と言うことでした。

この壁にぶち当たった人、家族は多いはずですが 皆さんどうされてるのだろう~~~


でも 私たちからすると 栄養補給のお陰で 少し元気になった父と会話を楽しめたことは とてもとても幸せなことだと思います。

このあと』


きっと、きっと、涙が止まらなくなり もう書けないと思って下書きとして納めたのでしょう~~
文章のラスト「このあと」の後に何が書きたかったか気になりますが 

私の記憶では 父の容態としては 昼間にアップしたブログ「あっという間の1年でした。。」の後半の内容につながるのだと思います。

何れにしても 折角書いていたものなので ここでアップしたいと思います。



あっという間の1年でした。

2018年05月09日 | 徒然Diary
父が他界し1年と2ヶ月が過ぎようとしています。
そして このブログも 1年近く未更新状態のままでした。

もしかしたら もうこのままフェードアウト?? なんて思ってましたが 本日 ふと〈こちらの編集ページ〉を開いてみましたら 
放置状態を反省し 何かしら書こうと思った次第です。。


父の49日を終え 幼馴染とも再会でき 少々ルンルン気分で帰京したのも束の間の1年前のこと
ちょっとした いえ ちょっとどころか 人生初くらいの嫌らしい~~ トラブルに巻き込まれ・・・ (;´д`)トホホホ 

父を亡くした悲しみから 全く立ち直れてないところに よくもまあ~ そんなトラブルを持ち込むものだと
その持ち込んだ連中(→かなり身近な連中)正直 そんなことしてたら、言ってたら 人生いいことないですよ


でも もう今となっては 謝ってきてるし心の優しいapapaさんは 何事もなかったかの様に接しているのです。。

ですので その連中が 誰でどんなイヤ~~~な事件だったかは書かないでおきます。

御浄土の父が 読んで悲しむかもしれませんし

『あ~~ 皆 色々なことがあるのだな~』と思って頂けると助かります~♪

そのトラブルの最中にも 私はそんな事を お首にも出さずに「父のラストのこと」を 涙、涙で綴っていました。
しかし、 ラストのラストの話は トラブルのこともあり 父の本当のラストの場面なので 書き始めると涙 書き始めると

書けませんでした。


と言う訳です。




父のラストの入浴の際 微熱でしたが 医者的には 腫瘍熱とのことでGOサインが

そしてその後 高熱になり 熱が下がらなくなりました。
点滴をして貰ってるのに 尿もでなくなり

その 尿が出ないことを もう体が枯れて行ってるから~ と
看取りの段階を主張していたが

私たちは この急な熱は おかしい?? と。

この熱は どこかしらの感染によるものではないのか?? との問いかけに 
腫瘍から来てると思うが もしかしたら肺炎かも知れないが 調べようがなく 抗生剤を出すにしても・・・ と 

このまま・・・ 安らかに~~ みたいな雰囲気を押し付ける様だった


40度を超える熱が 数日続く中 ある看護師が 父のお腹を押し 残尿があると気づき 

そこでやっと導尿すると 500mlもの濁った尿が出てきた。

細菌により 尿路感染症になっていた。


医者に
「癌で死ぬのは仕方ない、でも この感染が原因で死ぬのは耐えられない

と伝え 抗生物質を点滴してもらう。
薬が効いて 導尿から見える尿は 直ぐに綺麗になる。

熱も格段に下がる。



私たち 素人でも分かるようなことが どうしてプロたちがわからなかったのだろう~?
あくまでも ここは看取りの病院なので その病院に入院して 何か治療を求める家族は なかなかいないようだ。

多分 父と同じ様に感染から発熱するも あくまでも「腫瘍熱です!」 と言われれば 家族はそう認めるしかない訳で。

私たちの方が 医者や看護師にとっては 厄介だったかもしれない・・・ どうせ助かる病ではないのだから。。




熱も少し下がって来たので 父も私たちの問いかけに 頷いたりしてくれたが 日に日に衰弱してるのが分かった。

もう後 余命幾何か??

とっても 辛そうだった。

血圧が とても下がってきたが 昼になると何とか持ち直すを 2回すり返す。

そしてラストの日 3月13日の朝 またまた血圧が下がっていて もう今回は上がることはないかも? と医者に宣告され
私たちは その父の奇跡を信じて 傍にいるしかなかった。


その晩も 母と二人で病室に泊まるつもりで交代で帰宅し身支度を整えて 父の傍らで談笑していた。
父は目を閉じているだけで 耳は聞こえてる、という事だったので 私たちの話は聞こえていたと思う。


話の内容は 父と母の若いころのデートの時の笑えるエピソード
何回聞いても笑える

映画好きの父から映画に誘われるも 当日 父はお金がなく チケットを買わずに映画のポスターの前をウロウロして
母がチケットを買うと付いてきてた~~

中華料理屋さんで チャーハンを注文しソースをかけた父に 

そこの店主が「あんた タメよ! ソースかけたらタメ。。 ちゃんと味付いてる~」 と叱られた話。。等々

父の人柄を称賛しつつ 感謝の言葉も交えて母と仲良く談笑することで 父も安心してくれたに違いない



父が「はっ」と声を上げ

その瞬間 大きな目を見開いて そのまま閉じてしまった。

「お父さん、お父さん、、、」

何度も何度も声をかけたが もう 頷いてくれることはなかった。
時計を見ると 20時15分 だった。。