タイトル ≪3月に他界した父のラストのこと・・・その5。。≫
≪本文≫
『2月の帰省時に 家族会議の結果 ブドウ糖の点滴を再開してもらうように医師にお願いしました。
緩和ケアのあり方(父自身の身体が死にゆく準備をしている訳であるので・・・)を理解し 飲食が出来なくなってももうそれは・・・
と仕方のないことと受けていたつもりでしたが
次男から“何故?点滴をしないの?”“もう延命はしないんだね?”と 何気につぶやかれ
その言葉も無視できないと思ったので 2月12日 昼食の席で 弟家族や長男・次男ともう一度話し合い そうなりました。
医者の経験とデータ的には もう本人の寿命は決まってるので してもしなくても変わらないと思うが ご家族様が納得出来ないのならば・・・
と言うことでした。
この壁にぶち当たった人、家族は多いはずですが 皆さんどうされてるのだろう~~~
でも 私たちからすると 栄養補給のお陰で 少し元気になった父と会話を楽しめたことは とてもとても幸せなことだと思います。
このあと』
きっと、きっと、涙が止まらなくなり もう書けないと思って下書きとして納めたのでしょう~~
文章のラスト「このあと」の後に何が書きたかったか気になりますが
私の記憶では 父の容態としては 昼間にアップしたブログ「あっという間の1年でした。。」の後半の内容につながるのだと思います。
何れにしても 折角書いていたものなので ここでアップしたいと思います。
≪本文≫
『2月の帰省時に 家族会議の結果 ブドウ糖の点滴を再開してもらうように医師にお願いしました。
緩和ケアのあり方(父自身の身体が死にゆく準備をしている訳であるので・・・)を理解し 飲食が出来なくなってももうそれは・・・
と仕方のないことと受けていたつもりでしたが
次男から“何故?点滴をしないの?”“もう延命はしないんだね?”と 何気につぶやかれ
その言葉も無視できないと思ったので 2月12日 昼食の席で 弟家族や長男・次男ともう一度話し合い そうなりました。
医者の経験とデータ的には もう本人の寿命は決まってるので してもしなくても変わらないと思うが ご家族様が納得出来ないのならば・・・
と言うことでした。
この壁にぶち当たった人、家族は多いはずですが 皆さんどうされてるのだろう~~~
でも 私たちからすると 栄養補給のお陰で 少し元気になった父と会話を楽しめたことは とてもとても幸せなことだと思います。
このあと』
きっと、きっと、涙が止まらなくなり もう書けないと思って下書きとして納めたのでしょう~~
文章のラスト「このあと」の後に何が書きたかったか気になりますが
私の記憶では 父の容態としては 昼間にアップしたブログ「あっという間の1年でした。。」の後半の内容につながるのだと思います。
何れにしても 折角書いていたものなので ここでアップしたいと思います。