明けましておめでとうございます(2)
正月の記事がとんでもない方向にそれてしまいましたが、もう少し続けます。
昨年の秋に、アメリカの証券会社リーマンブラザースの倒産に端を発して金融危機が全世界に波及しました。あれほど大きな収益を上げていたトヨタ自動車も一転して赤字予想を発表するなど、それ以降に世界の経済状況が一変しているようです。アメリカのそうした金融資本主義の動揺にも左右されることのない経済構造を、本当はわが日本国において造り上げてゆくべきなのでしょうが、対米従属国家の日本には、それは困難な課題であるようです。国民にその自覚はありませんし、指導者にもほとんど問題意識もなく、あっても、その努力すら怠っています。その付けが回ってきているというべきでしょう。国家も政府も多くの国民もそれぞれきびしい局面に立ち至っているようです。その打開は困難ですが、一人一人が何とか立ち向かって行くしかないようです。
年末年始の報道によると、東京の日比谷公園では、民間のボランティアが「派遣社員村」を開き、また、そのテントが足りないとかの理由で、桝添要一厚生労働大臣や大村副大臣などに、食料や住居など追加の要請をしていました。しかし、本当に必要なことは彼らが働いて暮らすことのできる「仕事」でしょう。もし、日本が本当のキリスト教国家、キリスト教の政府であるならば、民間のボランティアの要請を待つまでもなく、住む場所も食べるものもなく年を越さざるをえない人々のために、すでに中央政府も地方政府も十分な対策を講じていたはずです。またその事実は日本の現在の地方政府や中央政府の民主化がどれほど進んでいるかの尺度でもあります。
日本の国においても遅かれ早かれ、中央政府、地方政府ともに民主化されてゆくはずです。そのことによって2008年末の日本のように、住居や食料もなく年を越さざるを得ない人々もいなくなる時がくるでしょう。ただ、そうした時代の早く訪れることを期待したいものです。
今後の20年、50年の日本のさしあたっての課題として、具体的にはどのようなことが考えられるでしょうか。次のような目的を追求してゆくべきだと思います。
まず、日本において「道州制国家」の実現を全国民的な自覚的な運動としてゆくことです。そして現在のような東京の一極集中を分解して、それぞれの地方が政治と行政の権限を確かなものにして「地方主権」を確立することです。現在のように、中央官僚たちが全国の行政を一律に規制することによって生まれる役人利権という弊害が国家の癌になっている現状を改革してゆくことです。これを目的意識として国家の指導的位置にある人たちがもっと強烈にリーダーシップを取ることです。
現在の日本では、大企業の本社のほとんどが東京に一局集中しています。そのために、地震や戦争などの災害に脆弱な国家になり、また、交通渋滞などによるエネルギー消費や経済活動における無駄、不効率、環境破壊などの多くの問題が生じています。日本国におけるこの中央集権的な東京一局集中を破壊してゆくことが解決の根本的な方向になることは明らかです。またそれによって、新宿歌舞伎町に見られるような、退廃的な都市構造も解消してゆくでしょう。
中央集権的な上意下達式の、儒教的な官尊民卑の不効率な行政が、封建政治の遙か昔からの名残として現在も日本に残存しています。日本国民の意識と国家の制度もまだ事実として半封建社会にあると思います。地方の行政に自立性や主体性は育っていません。これを「道州国家」を実現してゆくことで解決してゆくことが鍵になります。歓楽街なども完全には無くならないかもしれませんが、「道州国家」によって「地方主権」を確立することで、少なくとも東京の歌舞伎町に代表されるような巨大な現代のソドムとゴモラのようなその醜い容貌はその様相を変えてゆくことでしょう。
しかし、たとえ「地方主権」が日本に実現したとしても、現在のような江戸時代のちょんまげの跡を残したままの日本人の意識では、衆愚民主主義になるだけかもしれません。今も「裏金問題」や労働組合の「闇専従」、地方行政の「情報公開」の不徹底、地方議会と議員などによるお手盛り行政、知事や市長、自治体議員などを選ぶ地方選挙の投票率のあまりの低さなど、地方行政の現状は、中央政府以上にひどく、とても「民主主義」の体をなしているとは言えないと思います。
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