夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ロゴス(ho logos)・概念・弁証法

2009年01月23日 | 概念論

 

ロゴス(ho logos)・概念・弁証法

新約聖書のヨハネ書の第一章の冒頭に、「はじめに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった。言はこの世の存在する前からあり、言は神であり、言ははじめには神と共にあり、すべてのものが言(ロゴス)に由って神に造られた。被造物のなかで言によって造られなかったものは一つとしてなかった」(ヨハネ書1:1~3)と語られている。

そしてヨハネ書の福音書記者が「すべてのものが言(ho logos)に由って神に造られた」と語っているように、イエスの誕生そのものも、十字架上の死もまさに宇宙的な必然性(ロゴス=言、ことば)をもって現象したのである。

そうであるから、もし現実にイエスが救世主でないとすれば、我々人類はふたたび救世主を待たなければならないことになる。しかし、歴史的にはすでに絶対的な必然性をもってイエスはベツレヘムに生まれ、ゴルゴダの丘で十字架に架けられて死んだ。だから、もう人類は救世主の出現を新たに待つ必要はない。ただ、イエスを救世主と認めることのできないユダヤ人だけが、いつまでも空しく待望し続けているだけである。宇宙的な必然性と呼ぶか、ロゴスと呼ぶかはとにかく、絶対的な必然性をもってイエスはこの世に現象し、神との宥和を実現したのである。

そして、イエスの誕生は歴史的にも「神の国」がこの世に現れる端緒でもあった。イエスは何よりも「時は満ちて神の国は近い」(マルコ書1:15)ということばで伝道をはじめた。「時は満ちて」というのは、春が来て初めて櫻が咲くように、また、胎児が母胎のなかで十ヶ月近く生育してから初めて産み出されるように、生誕のための「必然的な条件が揃って」という意味である。この時以来、「神の国の訪れという喜ばしい知らせが告げられ、誰もがその中へ押し入ろうとしている」(ルカ書16:16)

二〇〇九年の初頭に就任したバラク・オバマ、アメリカ新大統領は、リンカーン第十六代大統領が就任の宣誓式で使った聖書を博物館の中から持ち出して、自分もそれに手を置いて宣誓した。このようにアメリカの建国も、この「神の国」の到来の知らせとは無関係ではない。歴史的にもアメリカという国は聖書の上に立脚する国であり、イエスが「まず神の国を求めよ」と命じていることと無関係ではない。そして、新旧の相違はあるけれども、いずれも聖書の基礎の上に立脚した国家という点では、イスラエルも米国と共通する

そして、新約聖書におけるロゴスの思想を近代において「概念」として捉えなおしたのがヘーゲルだった。ヘーゲルにおいては「概念」とは、マルクスが解したような人間の頭脳による観念的な生産物ではなく、ヨハネ書のロゴス(ho logos)のように、万物を産み出す魂のようなものである。それは鉄の必然性の法則性をもつものであり、宗教的には神の摂理とも呼ばれるものである。そして、その法則性は「弁証法」として、プラトン以来の高貴な哲学として近代においてヘーゲルによって復活されたものである。言(ことば、ロゴス=ho logos)は「概念」でもあり、理性であり、弁証法でもあり、かつ、光であり命でもある。それらは同一物のそれぞれの属性である。わたしたちはこれを知り学ぶことによって、永遠の命を得ることができるとされるものである。

 

 

 


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