夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

アメリカ情勢、大統領制、武漢肺炎ウィルス、ガルシン『信号』など

2020年12月09日 | 日記・紀行

 

2020年令和2年12月9日(水)晴れ、無事。

さらに混迷を深めているアメリカ情勢。アメリカ合衆国では、大統領選挙の「選挙不正」などをめぐって、さらに国内の混迷が深まっているようである。選挙の投票で決着がつかなければ、また、大統領選挙の過程において不正が存在したのかどうかが当事者によって訴えられているのなら、その実態が司直の手によって解明され、司法の手で国家元首である大統領を選出するという結果にならざるを得ないのかもしれない。

アメリカ合衆国はそれでも曲がりなりにも「法の支配」を国是とする国家であり、まかり間違っても、かっての南北戦争のような内乱が起きるとは思われない。

要するに、アメリカ合衆国の大統領制は、国家元首を選挙で選出する共和国であるということであり、その意味でも、ヘーゲルの『法の哲学』の§275 君主権 以下を一昨年かに翻訳したときに、君主選挙制度の、共和主義国家体制の欠陥についても触れていたのを思い出す。

ヘーゲルはその論考の中で、「国家の団結の象徴としての君主の意義」と、「君主権の世襲の根拠」を論証したのちに、それにちなんで、その傍証として、君主選挙制、選挙公国の原理的な欠陥について論じていた。君主選挙制、選挙公国とは、アメリカのような大統領制国家、共和制国家体制のことである。

「一つの選挙協定によって、特殊な意志の方向性に国家権力が支配されることになる。そこから、特殊な国家権力が私有財産へと転じ、国家の主権の弱体化と喪失、そして、その結果として国家の内部からの解体と、外からの破壊がもたらされることになる。」

アメリカ大統領制国家の現実においては、共和党と民主党の対立の激化による内部からの解体と、大統領選挙における中国共産党やロシアなどの外国からの干渉などをまねくなど、「外からの破壊」がもたらされることになる。

私もまた、この個所の註解において

「アメリカやロシアなどの大統領制をとる共和国は、君主を選挙で選出するという意味で、ここでヘーゲルのいう「das Wahlreich 」(選挙君主制・選挙公国)にほかならない。ロシアのプーチン大統領やアメリカのトランプ大統領の例に見るように、 悟性推理にすら、 事実に強制されて 大統領制(君主選挙制)が劣悪なものであることを理解している。」と書いていた。

だから「共和制国家論者」であった元東大名誉教授の憲法学者、奥平康弘氏に対して、こうした観点から私は批判していたが、その後数年にして奥平康弘氏はお亡くなりになった。しかし、故奥平氏と同じ立場に立つ憲法学者の樋口陽一氏については、このようなヘーゲルの「国家観」について樋口氏がどのように評価されているのか、それはわからない。

- [§281a[国家の団結を守る君主]]
- [§281b〔君主の世襲制の根拠〕]
- [§281c〔 最悪の制度としての君主選挙制〕]
- [§281 補註〔国家体制における君主と支配者〕]

 

中国武漢風景をテレビで見る。武漢肺炎ウィルスからの社会防衛、防疫に、中国共産党政権下の全体主義国家体制が有利に機能したようである。しかし、この中国発祥の「武漢肺炎ウィルス」が、「アメリカから持ち込まれた」と中国の民衆が主張しはじめているのはいただけない。

小説 ガルシン『信号』を再読する。
私たちの世代の育ちの中では、幼少期にはいまだテレビも存在せず、まして青少年期にもインターネットやスマートフォンなどその片鱗すら見えなかった。だから、室内での子供時代の娯楽といえば、赤胴鈴之助や、鉄腕アトム、鉄人28号などの漫画を読み耽るか、ラジオ放送から聞こえてくる物語や歌謡曲、落語、漫才などだった。また寝床についてから、ジャン ・クリストフや紅楼夢、鉄仮面や大地や、静かなるドン、告白録などの大河小説を少しずつ読み進む楽しみもあった。
今日久しぶりに短編ながら翻訳小説を読んで、少年時代のように小説の世界に純粋に没頭する甘美な時間をすこし思い出した。

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | ヘーゲル『哲学入門』第一章... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・紀行」カテゴリの最新記事