▽ 白いシートでおおわれた部分が撤去工事中の建物
江川町交差点のビルに囲まれた
多分、戦後ずっとあったと思われる木造建物の一画が
取り壊しの工事をしていました。
静岡駅から江川町交差点を経て
市役所・県庁方向に伸びる御幸通(みゆきどおり)は
昭和の始め(1931年)に建設されたもので
幅員は15間(27m)で当時の地方都市としては
かなり広い道路であったことでしょう。
戦後は都市計画の見直しで
幅員を30mに拡幅することとされたようです。
(下図の赤線の部分)
したがって
現在撤去が進む木造建物がある土地は
大部分が拡幅用地にかかることになります。
撤去工事が進められているということは
半世紀も実施されなかった拡幅に
部分的にせよ、やっと手がつけられるということでしょうか。
もしそうだとしたら
道路の拡幅自体は歓迎すべきことでしょう。
ただ、都市計画では
最終的には外堀の一部も埋立て拡幅することになっているようで
個人的にはそれが一番気がかりです。
数メートル程度お堀を狭めたところで
大して変わらないからいいのではという見方も
あるかもしれませんが
1925年の安西線(1962年廃止された路面電車)開業の折
軌道用地を確保するためすでに外堀は狭められています。
現状でも景観を維持できるぎりぎりの堀の幅ですので
なんとしても堀を埋めることだけは回避してほしいと願っています。
▽ ※=撤去工事中の建物 赤線=幅員を広げるため後退予定の部分。
(しずおか信用や電電ビルは初めから後退して建てられている。)
江川町交差点のビルに囲まれた
多分、戦後ずっとあったと思われる木造建物の一画が
取り壊しの工事をしていました。
静岡駅から江川町交差点を経て
市役所・県庁方向に伸びる御幸通(みゆきどおり)は
昭和の始め(1931年)に建設されたもので
幅員は15間(27m)で当時の地方都市としては
かなり広い道路であったことでしょう。
戦後は都市計画の見直しで
幅員を30mに拡幅することとされたようです。
(下図の赤線の部分)
したがって
現在撤去が進む木造建物がある土地は
大部分が拡幅用地にかかることになります。
撤去工事が進められているということは
半世紀も実施されなかった拡幅に
部分的にせよ、やっと手がつけられるということでしょうか。
もしそうだとしたら
道路の拡幅自体は歓迎すべきことでしょう。
ただ、都市計画では
最終的には外堀の一部も埋立て拡幅することになっているようで
個人的にはそれが一番気がかりです。
数メートル程度お堀を狭めたところで
大して変わらないからいいのではという見方も
あるかもしれませんが
1925年の安西線(1962年廃止された路面電車)開業の折
軌道用地を確保するためすでに外堀は狭められています。
現状でも景観を維持できるぎりぎりの堀の幅ですので
なんとしても堀を埋めることだけは回避してほしいと願っています。
▽ ※=撤去工事中の建物 赤線=幅員を広げるため後退予定の部分。
(しずおか信用や電電ビルは初めから後退して建てられている。)