心はともに
みなさま こんにちは
漢方専門薬局 環の 裏ブログです。
本編はこちら
2歳一ヶ月 二度目のブログです。
あーかん(お母さん)
おーたん(お父さん)だったのが、
おかーしゃん、おとーしゃん と言えるようになってしまった。
いや、言えるようになった。
そして、「みた、これなに?」と いつも聞いている あおちゃま。
その八割はワタシが知らないもので、
それに対して、どうするかはいろいろ方法や手段があるのでしょうが
分からないと、私が気になってしょうがないので
調べられるものは、一緒に調べて へ~っと言っています。
例えば、眼鏡のレンズとレンズをつなぐ鼻の上に乗る部分とか
答え
ブリッジ っていうんですと。
Q 眼鏡のレンズから耳につながる部分
答え テンプル(つる)
Q 眼鏡のレンズのふち
答え リム
ⓠベッドの足元の板の横についている棒
答え フットボードの一部分
Q お風呂の水道の 温度を調節する部分や シャワーとカランの切り替えレバー
答え 温度調節栓
湯量調整栓
あおちゃん的には、別に名前なんてどうでもいいのかもしれず
その働きが知りたいのかもしれませんが
名前を伝えると、一生懸命 復唱して、もう覚えている。
名前を覚えることで、疑問をもった心を満足させてしまっていいのだろうか?
とも、思う。
本当はそれが、あるのと ないのとでは、どう変わるのか、
体験していく方が面白いのかもしれません。
二歳の今、自我が芽生え、さまざまな欲求が起こってきています。
なるべく、それを汲んでいきたいのですが、
いつの間にか 大人のペースや都合に飲まれているのに気づく。
あるお母さんのサイトを読んで、心打たれたのは
子どもさんが、なんでも宝物に見えて、拾ってくるところで
それがミミズの干からびたのや、ゴミなども、どんどん家にたまり
捨てたいけど捨てずにいる母、宝物を共有できる目線に、私はいたく感動しました。
ゴミや、ましてやミミズの干からびたのなど触ろうものなら
止めてしまう私がいる
子どもの欲求を途中で諦めさせているんですよね。
子どもと同じ目線になる というのは、実はすごい世界を見せてくれるのかもしれない。
この世界がどんなに輝かしいかということを体験させてくれるのかもしれない。
最近、
私は、自分自身の欲求というのが、今、見えなくなっている。
ゆっくり休みたいとか、泳ぎたいとか、何かが欲しいとか、そういう感覚が感じられないことに
気づいたし、人に認めてもらいたいとか そういうのもなくなってきた。
それは、あおちゃんが 私をたくさん認めてくれて、代わりがいない存在、
私という存在価値を肯定的にとらえていることによって、心が満たされたからかもしれない。
人を愛してなんぼって思っていたけれど
人は愛されることで、こんなに心が満たされるのか~っと、驚く。
子どもの母への愛情はとても深く強く、一人の人間の欠けた部分を
どんどん補強してくれる。
だから、母は強くなれるのかもしれない。
***************
夕飯時、変顔をして、私を笑わそうとする。笑
より目か、白目を頑張ってるが、
もう少しで、白目になりそうだ。もう すごくおかしいのだ。
「あおちゃん、その三つ編み可愛いね」というと
「おかーしゃんの髪の毛かわいいね」と言ってくれた。
二歳なのに、気を遣ってくれてるのかな、
同じように言ってみたいだけなのかな。
本当にそう思っているのかな。
そういうことを言いたくなる姿が、面白いな~~~。可愛いな~。
だけど、どんな理由であれ、あおちゃんに言われると 嬉しいんだな~。
日々、アップロードされていくあおちゃんに
驚かされてばかりです。
**********
記録
昼間はほぼ ほぼトイレでおしっこ、うんちになりました。
ときどき、お昼寝起きがトイレに間に合わないことがあるくらい。
そういうときは、ウールの布をしいているので、それがお布団濡れを防御!
ウールは撥水効果があるうえ、通気性もよいという優れもの。
そして、夜中は 神おむつだったのですが
夜中もおしっこが出ると、「デター」と起きるようになって、
起きると、なかなか眠れない。
そんなわけで、朝まで寝られるからこの一ヶ月、紙オムツにしていたのに
まったく意味をなさなくなり、結局 布に戻しました。
そして、
今度は 夜中におしっこが出そうになると「トイレー」と起きるようになり
夜中もトイレでするようになりました。
ただ、夜中2回ほどトイレに行くんですが、そのうち一回は 起きると
なかなか眠れない。
夜中の12時前後は、トイレからもどっても、すぐ眠れるんですが
明け方3時前後のは、目が覚めてしまう。
これもまた、数週間で変わっていくのかなぁ。
みなさま こんにちは
漢方専門薬局 環の 裏ブログです。
本編はこちら
2歳一ヶ月 二度目のブログです。
あーかん(お母さん)
おーたん(お父さん)だったのが、
おかーしゃん、おとーしゃん と言えるようになってしまった。
いや、言えるようになった。
そして、「みた、これなに?」と いつも聞いている あおちゃま。
その八割はワタシが知らないもので、
それに対して、どうするかはいろいろ方法や手段があるのでしょうが
分からないと、私が気になってしょうがないので
調べられるものは、一緒に調べて へ~っと言っています。
例えば、眼鏡のレンズとレンズをつなぐ鼻の上に乗る部分とか
答え
ブリッジ っていうんですと。
Q 眼鏡のレンズから耳につながる部分
答え テンプル(つる)
Q 眼鏡のレンズのふち
答え リム
ⓠベッドの足元の板の横についている棒
答え フットボードの一部分
Q お風呂の水道の 温度を調節する部分や シャワーとカランの切り替えレバー
答え 温度調節栓
湯量調整栓
あおちゃん的には、別に名前なんてどうでもいいのかもしれず
その働きが知りたいのかもしれませんが
名前を伝えると、一生懸命 復唱して、もう覚えている。
名前を覚えることで、疑問をもった心を満足させてしまっていいのだろうか?
とも、思う。
本当はそれが、あるのと ないのとでは、どう変わるのか、
体験していく方が面白いのかもしれません。
二歳の今、自我が芽生え、さまざまな欲求が起こってきています。
なるべく、それを汲んでいきたいのですが、
いつの間にか 大人のペースや都合に飲まれているのに気づく。
あるお母さんのサイトを読んで、心打たれたのは
子どもさんが、なんでも宝物に見えて、拾ってくるところで
それがミミズの干からびたのや、ゴミなども、どんどん家にたまり
捨てたいけど捨てずにいる母、宝物を共有できる目線に、私はいたく感動しました。
ゴミや、ましてやミミズの干からびたのなど触ろうものなら
止めてしまう私がいる
子どもの欲求を途中で諦めさせているんですよね。
子どもと同じ目線になる というのは、実はすごい世界を見せてくれるのかもしれない。
この世界がどんなに輝かしいかということを体験させてくれるのかもしれない。
最近、
私は、自分自身の欲求というのが、今、見えなくなっている。
ゆっくり休みたいとか、泳ぎたいとか、何かが欲しいとか、そういう感覚が感じられないことに
気づいたし、人に認めてもらいたいとか そういうのもなくなってきた。
それは、あおちゃんが 私をたくさん認めてくれて、代わりがいない存在、
私という存在価値を肯定的にとらえていることによって、心が満たされたからかもしれない。
人を愛してなんぼって思っていたけれど
人は愛されることで、こんなに心が満たされるのか~っと、驚く。
子どもの母への愛情はとても深く強く、一人の人間の欠けた部分を
どんどん補強してくれる。
だから、母は強くなれるのかもしれない。
***************
夕飯時、変顔をして、私を笑わそうとする。笑
より目か、白目を頑張ってるが、
もう少しで、白目になりそうだ。もう すごくおかしいのだ。
「あおちゃん、その三つ編み可愛いね」というと
「おかーしゃんの髪の毛かわいいね」と言ってくれた。
二歳なのに、気を遣ってくれてるのかな、
同じように言ってみたいだけなのかな。
本当にそう思っているのかな。
そういうことを言いたくなる姿が、面白いな~~~。可愛いな~。
だけど、どんな理由であれ、あおちゃんに言われると 嬉しいんだな~。
日々、アップロードされていくあおちゃんに
驚かされてばかりです。
**********
記録
昼間はほぼ ほぼトイレでおしっこ、うんちになりました。
ときどき、お昼寝起きがトイレに間に合わないことがあるくらい。
そういうときは、ウールの布をしいているので、それがお布団濡れを防御!
ウールは撥水効果があるうえ、通気性もよいという優れもの。
そして、夜中は 神おむつだったのですが
夜中もおしっこが出ると、「デター」と起きるようになって、
起きると、なかなか眠れない。
そんなわけで、朝まで寝られるからこの一ヶ月、紙オムツにしていたのに
まったく意味をなさなくなり、結局 布に戻しました。
そして、
今度は 夜中におしっこが出そうになると「トイレー」と起きるようになり
夜中もトイレでするようになりました。
ただ、夜中2回ほどトイレに行くんですが、そのうち一回は 起きると
なかなか眠れない。
夜中の12時前後は、トイレからもどっても、すぐ眠れるんですが
明け方3時前後のは、目が覚めてしまう。
これもまた、数週間で変わっていくのかなぁ。