ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠

茨城県笠間市。観光と陶芸の町の知られざる宝。穏やかな里山と田園は心の原風景。庭と山川草木、体感する旬の言の葉たち。

久々に水戸城址を歩いた印象等

2018-01-14 09:22:31 | わが里の飯田城址ほか中世城館の記
 正月記事の続き、水戸城址漫遊の追記です。



通学路に復元された、柵町坂下門の前。
ただ今は、すっかり歴史探訪コースの観。



門を過ぎると、水戸藩初代の頼房公像。
実は、公は天下が欲しいとおっしゃった、とかなんとか。
笠間城に石垣が築かれたのも、そんな水戸をお隣から見張るのが目的、との一説を聞いた記憶もございますが。



とにかく、久々の水戸城本丸。
かけ替えられた新・本城橋ですが、手摺は、以前の機能オンリーの鉄柵ではなく。
歴女さん受けしそうな、渋めの欄干付き。



そして。
振り返れば、こんなふうに。
お向かいの旧女子高体育館付近には、もう一つの門も復元。



厳重な安全柵が巡る橋上からは、空堀越しに駅南方面が見えます(反対方向はこちら→先日記事)。
佐竹時代の整備に加え、鉄道開通でさらに掘り下げられた歴史がありますが、既存の地形の特質も活用されているでしょう。
そんな話を、飯田城址にご同行頂いた地質の先生からも伺いましたが、城址の解説につきましては、図説茨城の城郭(→こちら)もお薦め。



アップするとこんな感じで、既に駅南は、完璧な都市空間。
ブログ主現役の頃は、湿地帯にぽつんと、新築の水戸市役所だけが目立ち。
北の那珂川に対するように、城址を囲む千波湖と桜川という、天然の要害を体感できる景観でした。



それでも随所に、往時の遺構は健在。
ケンザイ過去未来、あの人に会ったならという歌がありましたが、夜のピクニック(→一昨年記事)は今なお健在進行形で。
そのゴール地点は、まさに城址の枡形であったことを、ようやくにして思い知ったというわが身の現在。



現実に十年ほど前、校舎正面の記念工事を仰せつかって通っていた際には、意識の外にあり。
枡形の内側に再建された門だけが、記憶に残るのみでした。
その薬医門付近までは、史跡探訪コースのため日中は立ち入りは出来ますので、是非一度お運び下さい。



 さて、この校舎の立つ一帯が、本丸。
ここから水戸駅方向に振り返ったところが一段高く、物見櫓跡らしき高みになっております。
それは、こちらの四角い建物の後方。



ブログ主の一年先輩・あの妹島和代さん設計による合宿所・三代目江山閣の向こう側方面ですが。
そこに立つ先人さんの銅像にご挨拶すべく、久しぶりに裏手に回ってよじ登りましたところ。
なんと、震災で崩落しましたか、像の行方は知れずに、崩れた土台の痕跡のみ(校内に移設された模様)。



およよとしばし無言で歩き、女子高さんを望む昔懐かし土塁に立ちどまり、廃城の風に吹かれつつ。
気になりましたのが目新しい鉄柵ですが、この一角は学校用地的には、ほぼデッドスペースでしょう。
いっそ柵を手前にずらして、土塁上も史跡見学コースとして開放するほうが、街づくりにもプラスと感じます。



 ご提案はほどほどにして、ひとまず本丸地盤に戻り、さらに奥へ向かいましたが。
当時は新築だった体育館が今なお頑張るあの辺りは、本丸とその先・下の丸の段差地点。
右手に回ると、長い下りの坂道です。



その降り口がこちらですが。
幸いにして、高校野球の父・飛田穂洲先生像とサトウハチローさんの碑はご健在。
近ごろは、妹さんこと佐藤愛子さんもご高齢ながら「九十歳何がめでたい」等の著作で、ますます人気沸騰中ですが。



話を戻して、その坂の下。
久々に、下の丸のグランドに立った印象は。
やはり水戸城、規模は大きいです。



さらに進んでこちら、どんづまりから振り返ったところですが。
野球場とサッカーorラグビーグランドが併設できるスペースは、なかなか贅沢。
また、崖を利用した体育館が地形を一段と強調しておりますが、史跡保存の観点からは、曰く言い難し。



ついつい尽きぬ思いに、今日は長い記事にとなりましたが。
ひとまず、現役諸君のご健闘を祈りつつ。



橋を渡って、二の丸に戻り。
左手に水郡線を見下ろしながら、駅に向かって白壁の道を辿りました。



ついでに、あと数枚。
柵町地下歩道をくぐった通学路から、空堀越しに。
振り返って、本丸を見上げるポイントあたり。



さらに下って、水郡線の踏切付近より撮った一枚。
向こうに高みに、先ほどの体育館の丸屋根がよく見えます。
画像の右手の踏切を越えた先には、土曜練習御用達の焼きそば屋さんが二軒あり。



さらにこちらの画像左手には、同じく各種のパンと飲料を供されました照山商店さんが賑いましたが。
ただ今は、穏やかな駐輪スポットと転じておりました。
ブログ主同期一同の節目の年、平成三十年正月の記でございます。
※飯田城址再調査には、今しばらく時間を頂きます。
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