もう30年ほど前の事。家族全員で会津を旅行したことがあります。
鶴ヶ城の天守閣に登る予定だったのですが、色々あって到着が大幅に遅れ、登ることが出来ず、ちょっと離れたところから天守閣を見上げるだけで終わってしまったのは
とても残念でした。
ところで、天守閣といえば、江戸城(現・皇居)には天守閣がないことを
御存じですか?
『暴れん坊将軍』などを観ますと、将軍様(松平健)の背後に天守閣の偉容が見えたりしていますが、あれはウソです。吉宗の時代にはすでに天守閣は存在しません。
マツケンさんの後にある天守閣は、実は彦根城のもの、ひこにゃんの城のものなんですね。
江戸城天守閣は、4代将軍・家綱の時代に明暦の大火によって焼け落ち、以後再建されることはありませんでした。
再建計画が立ち上がりかけたのですが、「天守閣など太平の世には無用の長物。そんな金があるなら庶民のために使え!」と進言したのが、会津藩初代藩主・保科正之公でした。
正之公は3代将軍家光の異母弟で、4代将軍家綱の叔父にあたり、この二人の将軍に良く仕え、武断政治から文治政治への転換に尽力した人物です。
玉川上水を掘削して江戸町民の飲み水を確保したり、火除け地や堀を掘るなど、火事への備えに努めた。庶民のための政治を行うことに努めた人物といっていい。
正之公は正室の子ではない自分を重用してくれた将軍家に対し、強い恩義を感じていたのでしょう。その正之公の想い、信念が
会津藩独特の藩風を形作ることに繋がっていく…。
保科正之公の御霊は、磐梯山の近くに鎮座される土津(はにつ)神社に神として祀られています。御神名は「土津霊神」。
磐梯山も見ましたね。猪苗代湖の湖畔越しに眺めた磐梯山の壮麗なる山容。成程これは
「神の山」だと思いましたね。
磐梯山に抱かれし会津の地。その美しき土地に暮らす人々と、その歴史を知るにつけ
その深淵にある「神縁」のごときものを、なにやら感じるような。
不思議な想いに捕らわれざるを得ない。
猪苗代湖と磐梯山
薫兄様のブログにより、少しだけ学ばせていただくにつれ、東北はやはりちがうなぁと、阿保なりにながら感じています。