問わず語りの...

流れに任せて

やっぱりSFがわかってない!

2024-05-27 09:39:47 | 怪獣、特撮

 

映画『ゴジラVSキングギドラ』予告編

 

 

この作品では、23世紀からやってきた未来人が、ゴジラ禍に悩む日本を救ってあげましょうと、終戦直前の南洋の孤島にタイムスリップして、その孤島にいたゴジラザウルス(怪獣ゴジラの基になった恐竜)を、ベーリング海の海の底にワープさせちゃうんです。

 

 

これによって、ゴジラザウルスは昭和29年に米軍が行った核実験の影響を被る事はなくなり、したがってゴジラは現れない。これで日本は万々歳!

 

 

かと思いきや。

 

 

未来人たちの策謀で、ゴジラザウルスの代わりにドラッドという未来のペットを置いていくんです。で、このドラッドが核実験の影響を受けて

 

 

キングギドラになったと。

 

 

で、現代に帰ってきたらアラ大変!ゴジラがパっと消えて、代わりにキングギドラが現れたと。

 

 

えっ?ちょっと待て。そんなわけないじゃん!?

 

 

ゴジラがいた時間軸から、ゴジラがいない、代わりにキングギドラがいる時間軸に移ったわけでしょ?ならば

 

 

昭和29年以降、日本にはずっとキングギドラがいた。キングギドラ禍に悩まされ続けていた。とならなければおかしい!

 

 

これ、SF的発想の基本中の基本です。

 

 

だから当然、人々の記憶にはゴジラはいない。日本人のみならず、世界中の人すべてが

 

 

ゴジラなんて知らない。

 

 

そうなってなければおかしい!

 

 

 

アニメ映画『君の名は』は、その点がちゃんと整理されています。

 

 

隕石の落下から村人たちを救うために奔走した結果。時間軸が書き換えられ、村人は誰一人犠牲にならなった時間軸へと移行します。結果

 

村を救うために奔走した記憶がすべて消える。当然です。村人は助かったのだから、村人を救うための時間を越えた行動など

 

 

「なかった」ことになったから。

 

 

主人公の男女二人も、お互いの記憶をなくしてしまう。でも

 

 

「魂」に刻まれた「想い」だけは消せなかった。だから

 

 

ラストシーンで知らない同士のはずの二人は、互いに惹かれ合う。

 

 

SF要素とラブロマンスの要素が絶妙に融合した傑作ですよ。色々批判もありますが、私はこの『君の名は』

 

 

大好きです。

 

 

それに比べて…。

 

 

いやさ、映画としては面白く作ってあるとは思うのよ。基本、楽しい映画だとは思う。

 

 

ゴジラとメカキングギドラとの、東京都庁での大バトルシーンなどは、特撮の歴史に残る名シーンだと思う。だからねえ…。

 

 

ホント、SFってものを、もうちょっと理解していて欲しかった。

 

 

惜しいんです、本当に、惜しい。

 

 

 

平成VSシリーズって、大体こんな感じ。面白いんだけど、なにかこう、今一つ乗り切れないものが残ってしまう。そんなシリーズ。

 

 

川北紘一特技監督の特撮演出は、文句なしに素晴らしい!だから余計に

 

 

惜しいなあと

 

 

 

思っちゃうのよねえ。

 

 

 

 

 

 

映画『君の名は』予告編

 

 

久しぶりに観たくなってきたなあ。

 

 

 

 

 

 

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麻生司令官、逝く

2024-05-23 04:10:13 | 怪獣、特撮

 

『ゴジラVSデストロイア』予告編 1995

 

 

昨夜アマプラで『ゴジラVSデストロイア』を鑑賞して、改めて「着ぐるみミニチュア特撮は良い、大好き!」と思ってしまった。

 

 

CGも良いですよ。シンゴジもマイゴジも、ギャレゴジもレジェゴジもゴジコンも好きですよ。

 

でもねえ、やっぱり

 

 

ゴジラは着ぐるみ、着ぐるみと言って悪ければ、モンスタースーツ。

 

 

スーツとミニチュアを使った特撮でなければ出せない、独特のリアリティ。

 

そう、そこには確実に、特撮ならではの「リアリティ」が確実にある。

 

 

リアルということの意味を、本物そっくりという意味にしか解釈していない人々が多すぎるんだな。映画における「リアル」というのは、必ずしも「本物そっくり」という意味ではない。そこにあるものは、我々の住む世界とは違う、でもその映画の中では確実に存在する、「現実」なのだ。

 

 

まあ、これは理解するというものではなく、「感じる」ものだといって良く、つまりは

 

 

「センス」の問題なんだな。

 

だからこれは、わからない人には一生わからないもの、なのだろう。

 

 

たぶんね。

 

 

さて、特撮は大変素晴らしい作品ですが、私には昔から納得できない点がこの作品にはある。

 

 

それは、世界線の「捻じれ」というべきもの。

 

 

平成VSシリーズにおけるゴジラは、『ゴジラVSキングギドラ』の中で、23世紀から現代にやってきた未来人によって、南洋の孤島からベーリング海の海の底にワープさせられているんです。つまり

 

 

昭和29年時のアメリカによる核実験の影響は受けていないことになる。ということはつまり

 

怪獣ゴジラは誕生しておらず、日本に上陸することもなかった。ということはつまり、つまり

 

 

芹沢博士による謎の兵器「オキシジェン・デストロイヤー」の使用はなかったことになるわけです。そうですよね。

 

 

間違いないですよね?ところが

 

 

この作品では、使われていないはずのオキシジェン・デストロイヤーが、いなかったはずのゴジラを斃すために使われたことになっており、その影響により

 

 

東京湾の海底に眠っていた古代生物が異常進化を遂げてしまい、デストロイアという怪獣になってしまう。

 

 

ねっ、おかしいでしょ?世界線が完全にずれている。

 

 

脚本を書いたのは、VSキングギドラもVSデストロイアも、どちらも大森一樹氏。大森氏は『ヒポクラテスたち』などの作品でも有名な映画監督であり、『ゴジラVSビオランテ』の監督もしておられる。

 

 

私が思うに、この方はSFというものをまったく理解していない、というか、ある意味SFを舐めているんじゃないかな。

 

 

自分で作った世界線を自分で壊しているんだから、世話ねーよ!

 

 

面白ければ良いというのは、基本はその通りで、この作品もまあまあ良く出来た、それなりに面白い作品ではあると思う。しかしやっていい事には限度というものがあるだろうに。

 

 

こんな風に、シリーズ全体の世界線を簡単にぶち壊すようなやり方は

 

 

私は認められない。

 

 

 

 

 

 

 

平成VSシリーズにて、国連ゴジラ対策センターの軍事部門「G-フォース」の麻生司令官を演じた、中尾彬さんが亡くなられました。

 

 

麻生司令官の存在は、映画に一定の重厚さとリアリティを与えてくれた。好きな役でした。

 

 

ゴジラ作品に多大な貢献をしてくれた、麻生司令官に

 

 

敬礼!

 

 

俳優、中尾彬さんに、感謝と哀悼を込めて

 

 

合掌。

 

 

 

 

 

 

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これだけは観ておきたい。アマプラで観るゴジラ映画9選

2024-05-03 17:36:01 | 怪獣、特撮

Amazon Primeにて、日本のゴジラ・シリーズ全30作品すべての無料配信がスタートしています。

 

 

30作品もあると、どれを観たらよいかわからない、なんて迷っている方もおられるかもしれません。そこで、

 

 

私個人の好みで選んだ、ゴジラ映画9選を発表したいと思います。

 

 

なにかのご参考になれば、幸いです。

 

 

では、まずはコチラから

 

 

 

 

祟り神を祀る神事としてのゴジラ映画3選。

 

 

 

 

 

○『ゴジラ』(1954)

 

○『シン・ゴジラ』(2016)

 

○『ゴジラ-1.0』(2023)

 

 

ゴジラの原点を描いた3本。ゴジラとは核兵器や戦争のメタファーであり、戦争で散った方々の無念、人類によって汚され続ける大自然の怒りの集合体つまり、

 

「祟り神」である。その祟り神を鎮める「神事」こそが、ゴジラ映画なのです。

 

 

だから、人類が誤った道を進む限り、祟り神は何度でも現れるのです。

 

 

それが、ゴジラ。

 

 

 

 

 

怪獣バトルを堪能するゴジラ映画3選

 

 

 

 

○『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)

 

○『ゴジラVSビオランテ』(1989)

 

○『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)

 

 

神事とはつまりは「お祭り」。怪獣バトルはまさしくお祭りなのです。

 

ぶつかり合う怪獣たちのお祭りに、我ら人間も参加しよう。

 

 

 

 

 

 

正義の味方になったゴジラ3選

 

 

 

 

 

 

 

○『ゴジラ対ヘドラ』(1971)

 

○『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972)

 

○『メカゴジラの逆襲』(1975)

 

 

 

ゴジラの本来の姿は祟り神。しかし私が小学生の頃のゴジラは紛れもなく「正義の味方」だったし、私らの世代はそんなゴジラを楽しんでいたのも事実。

 

 

これは言ってみれば、神道が仏教と「神仏習合」することでその命脈を保ったことと同義。こうして「祟り神」神事は守られた。

 

だから、正義のゴジラを、決して否定してはいけない。

 

 

 

 

 

多様性こそがゴジラの魅力。日本のゴジラでさえ色々なものがある。だから

 

ハリウッド・ゴジラがどんなものでろうと、それもまたゴジラなのです。(好き嫌いはあるけどね。それもまた当然の事)

 

 

ゴジラの持つ多様性を認め、楽しみましょう。

 

 

ご参考になりましたなら、これ以上の喜びはありません。

 

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

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バカ映画ではない、「おバカ」映画だ!~『ゴジラXコング 新たなる帝国』に関するちょっとした考察

2024-05-02 03:54:54 | 怪獣、特撮

 

 

 

なんかね、『ゴジラXコング 新たなる帝国』のことを、「令和1のバカ映画」と称する向きもあるようで、その点については

 

 

私も、否定は致しません(笑)。

 

 

頭空っぽにしてなにも考えず、ただただ楽しめばそれで良い。

 

 

でも、敢えて言うならば、これはただの「バカ映画」ではないのです。

 

 

これは

 

 

「おバカ映画」なのです。

 

 

真面目に真剣に「バカ」をやる、これすなわち

 

 

「おバカ」。

 

 

 

まさしくこの映画は、「おバカ」そのもの。

 

 

 

遊びというのは、真面目に真剣にやらなければ面白くない。とは、よく言われることです。

 

 

例えば『大怪獣のあとしまつ』という映画がありますね。あれは、不真面目に適当に遊んだ、つまり怪獣映画というものを

 

 

舐めて撮った映画です。だから

 

 

つまらないのです。酷い、最低な映画なわけです。わかります?

 

 

 

『ゴジラXコング…』を撮ったアダム・ウィンガード監督は、本当に心から真剣に

 

 

真面目に

 

 

バカな映画を撮っている。

 

 

どうすれば面白い怪獣映画になるか、そこを真剣に真面目に考えて撮ってる。だから、例え一見バカに見えようとも、

 

その真面目さが

 

その真剣さが

 

 

 

面白い、とことん面白い「バカ映画」を生み出した。

 

 

その作り方は極めて真っ当であり、ある意味

 

 

「賢い」とさえ言えるのです。

 

 

一見バカだけど実は賢い。これすなわち

 

 

「おバカ」也。

 

 

 

賢いと言えば、この映画には裏テーマとも言うべき深遠なテーマが隠されている、と私は看破しました。

 

 

どんなテーマかって?それはあーた。

 

 

実際に作品を観て、あーた自身で感得して下さいな。

 

 

ヒントは、コングと聾唖の少女、この二人(?)の行動、決断にあり、『新たなる帝国』というタイトルにも、隠されている、と私は視ましたね。

 

 

どうです?私もかなりの「おバカ」でしょ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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映画『ゴジラXコング 新たなる帝国』

2024-05-01 04:08:53 | 怪獣、特撮

 

 

※ネタバレもあると思うよ…って、どっちやねん!(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

いや~っ、た~のしかった~!!!

 

 

 

もうね、頭空っぽにして、ひたすら怪獣バトルの世界を堪能していただきたい。そういう映画です。

 

 

 

誰しもの心の中にいる幼いころの自分。その頃の自分に心が帰っていく、少なくともこの映画を観ている2時間の間は

 

 

”あの頃”の自分に帰れる。

 

 

なーんか、そんな映画だったなあ。

 

 

 

 

全編これ、日本の昭和、平成のゴジラ・シリーズへのリスペクトに満ち溢れてる。これが楽しく

 

 

嬉しい。

 

 

ゴジラの周りをヘリコプターが追尾しているカットとか、昭和、平成の東宝特撮映画でよく見慣れたカットなのですか、そういえば最近のゴジラではなかったなあ、と思って、それを見せてくれたことに思わず会心の笑みを浮かべてしまう。

 

 

アダム・ウィンガード監督。わかってるわー。

 

 

 

本作でのモスラの立ち位置は、完全に『三大怪獣地球最大の決戦』(昭和39年公開)のそれなんだよね。タイマン張ってるゴジラとコングの仲裁に入って共闘を呼び掛ける。

 

 

『三大怪獣…』の時は、ザ・ピーナッツ演じる小美人が”怪獣会議”を通訳していましたけど、さすがに今回はそれは無し。でも、ゴジラやコングが何を考えているのか、観客にちゃんと伝わるんですよね。

 

 

ゴジラやコングに限らず、本作では登場する怪獣たちが今なにを考えているのかが、すべて観客にダイレクトに伝わるように演出されているんです。これが実に見事でした。

 

 

怪獣の”擬人化”を批判する向きもあって、私も基本的にはその考えに賛成ですが

 

 

本作では擬人化までは行っていない感じがします。

 

 

擬人化の一歩手前で抑えている、といった感じかな。

 

 

当然ながら怪獣は喋らない。けれども、ちょっと首をかしげてみたりだとか、目線の動かし方とか、そういったことだけで、彼ら怪獣の考えていることが全部わかるんだな。

 

 

当然表情もないわけなんですが、でもほんの少し、本当にビミョーにほんの少しだけ、表情のようなものがちょこっと顔に浮かんだりするんだ。このビミョーさ加減が

 

 

絶妙!!

 

 

もうね、これだけ見事なものを観せられたら、許す他ないです。ていうか

 

 

喜んで受け入れちゃうよ、あたしゃー。

 

 

 

とにかくね、アダム・ウィンガード監督の怪獣好き、日本の怪獣・特撮映画に対する崇拝に近い感覚を強く感じられた、そんな映画でしたねえ。

 

 

それと、地下世界に住む人間たち。超古代文明の担い手であった人たちの末裔が、皆東洋系の顔立ちをしているのにも、なにか感じ入るものがありましたね。

 

 

まあ、コングと心通わせる聾唖の少女が、東洋系の顔立ちをしているので、それに合わせたのかな、と思いつつ

 

 

かつて日本の特撮映画では、南洋の島民を日本人の役者がメイクを施して演じていたということがあって、そのことへのリスペクトかなと、思ってみたり

 

 

あるいは、超古代文明と日本人と関りについて、この監督にはなにか見識があったのだろうか、とか。色々考えさせてくれましたね。

 

 

そんなことを考えつつも、きっとこの監督は、日本の怪獣映画だけではなく、日本の文化というもの、日本人というものに

 

 

強いリスペクトを、想い抱いているのだろうな。

 

 

きっとね。

 

 

 

まあ、敢えて何か文句を言うとしたら、今回はコングが主役で、ゴジラはサポート役に回っているところかな。

 

 

ゴジラファンの私としてはね、もっとゴジラには活躍して欲しかったなあ、なんてことを思いつつも

 

 

十二分に楽しい、混じりっけなしの、完全怪獣映画でした。

 

 

次の作品は、ゴジラ主役で(笑)お願いしますよ、ウィンガード監督。

 

 

次回作も、監督はあなたで決まりだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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