愛のつるし一回転飛行機

けん玉姉のけん玉普及活動日記。
2008年秋、転移性乳がん患者となる。
病気のこと、日々の生活なども。

テープおじさんへの究極の祈り

2011年03月18日 | 思い出

「関係ないですよ。わたしがいのろうがいのるまいが。」私はまた、ほとんどのことを忘れて言っていました。「あの・・・今、あまり調子よくないでしょ?」
 
 「なんで分かる?」
 
 「そら、これだけ不景気なんですから。つまり、それは私が祈ってもなにも効果がなかったということですよ。
  つまり、私は関係ないんです。
 
  だいたい、会社は潰れる、おやじは死ぬで、もう最低ですよ。私の人生なんて、どうにもなっちゃいません。神なんかじゃない証拠です。」
  父はせっかく、癌を直せていたのに、その年、風邪か何かのせいで起きた熱病をこじらせ、死去していました。
 
  彼は言いました・・・
 「お、おまえはわざとやってるんだ・・・そういう人生を!」
 
 『そんなバカな・・・』私はもう、何を言っても無駄なことだなと思って笑いました。ついに彼を変えることは出来なかった・・・と
 
 「住所を教えてくれ!」
 
 「駄目ですよ。」これ以上、つきまとわれたらたまらないと思った私はかぶりをふった。
 
 「また、前に付き合っていたあの団体のとこで例のテープとかでやられたらいいじゃないですか」
 
 「あんなもの、効かん! お前が全てだ! だから俺はお前のためにこの近くにまで引っ越したんだ!それなのに!」
 
 「知りませんよ、あなたが勝手にやられたことでしょうが・・・」
 
 結局、最初から最後まで全然、変わらなかったなと思いつつ、これ以上付きまとわれたら、自分のほうが大変なのにやってられんと思って、
 
 「ともかくもう、わたしはなにもできませんから。これでお別れということでお願いします。」
 
  と宣告しましたが、彼はどうでも納得しません。とうとう私は疲れて、ある提案をしました。
 
 「それじゃあ、こう祈りましょう。」
 
 「あなたはこれからずっと死ぬまで幸運に恵まれ続けるでしょう。」
  私は手を振った。
 「ああ、死んじゃいけないか・・」
 
 「ずっとずっと大丈夫だということにしてくれ!」
 
 「そうですね。じゃあ、こう言いましょう。」
  私はまた、あの優しい声になっていました。
 「あなたはいつまでもながく幸せに生き続けるでしょう。とても元気で若く・・・はい!」
  私はさらに手を振りました。
 「さあ、いのりましたよ。これでもう大丈夫です。」
 
 「おお・・・」彼はやっと落ち着いてくれました・・・

向うで、取引所の人たちが数珠なりになって見てるのが分かりました。

 

 

 

 今日の順位は?あなたのクリックでランキング上昇中。
1日1回お願いします~~ポチっと押してください。

広島情報は広島ブログでばっちり

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 会社破綻とバブル崩壊 | トップ | 最後の祈り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思い出」カテゴリの最新記事