7月上旬、ボタンクサギの堅いつぼみがチラホラと咲き始める
咲くとコロンとした鞠状になる
大学通りでは、春のウグイス、夏のセミが同時合唱中です。
良い気持ちで啼いているウグイスに、
「早く高尾山の山奥にお帰り」と声をかけるのだけれど、
今年もまた大学の雑木林で夏を過ごすのかもしれません。
7上旬から咲き続けていたボタンクサギ(牡丹臭木)。
クサギなんてかわいそうな名前を付けられちゃったのは、
葉と茎が臭いからだそうです。
いつも花しか見ていないので、そんなこととはつゆ知らず。
咲き始めのつぼみは鮮やかな紅色で、
咲くと共に薄紅色の五弁の花を鞠状に密集させます。
中国南部が原産とか、中国南部の雲南にいたとき一度も見たことがありませんでした。
つぼみと満開時の落差が大きくて、つい足を止めたくなる花です。
「君は曲がっていなくていいねぇ」
ところで中国雲南省に滞在していたとき、
あまりに辛い料理が多くて、選べる料理は限られていました。
いつも厨房に入っていって、「不要味精、不要辛椒、油少一点几」と頼んでいました。
それでもなお、直径15㎝ほどの中皿に13、4本の唐辛子が入っていることもザラ。
雲南では、大量の唐辛子とニンニクと油が使われていなければ、料理ではないのでした。
ですから、先のように、
「味の素と唐辛子は使わないで、油は少なめに使ってください」
とオウムのように繰り返していました。
「それじゃ、料理じゃないよ!」という返事が料理人から返ってきたことも。
トマトと卵のスープ、細切りじゃがいものフライパン焼き(干餅洋芋糸)とか、
辛くない料理を覚え、出先ではそれらを真っ先に頼んでいました。
なかでも日本人ならだれでも知っていてあまり辛くない料理、
鶏肉とカシューナッツの炒め物は定番でした。
鶏肉は同じ「鶏肉(jirou ジーロウ)」、
カシューナッツは「腰果(yaoguo ヤオグオ)」だから、至って言いやすいのです。
で、哀しきかな重い腰痛になった私は最近気づきました。
カシューナッツを腰果だなんて、なんてひどい名前を付けたんだろう。
いくらお婆さんの腰のように曲がっているからって・・・。
と、妙に同情している私に笑ってしまうのでした。
ちなみに、鶏肉のカシューナッツ炒めは「腰果鶏丁」と言いやすいので、
言葉が堪能でなく強烈に辛い料理は食べたくない者にとって、至って便利でした。
ひどい腰痛になってしまった私、
「曲がりたくて曲がったわけじゃない。ピーナッツのようにまっすぐの方がいい」
というカシューナッツの心情がひしひしと解るのでした。
とまぁ、妙にカシューナッツに思い入れ強い私。
最近思うのは、“私だって立っていても痛くない時代があったのよね”ということ。
それは生まれてからずっとのことでした。
しかしあるとき突然、ハムストリングスが痛くなり、
これは何ぞと思っているうちに重傷の腰痛となり・・・・。
あぁ、立っているだけで痛いと思わないでいた頃が懐かしい。
腰掛けないと歩けなくなる間欠跛行がなかったいくらでも歩ける頃が懐かしい。
私にもそんな頃があったのよね。
こんなことをふと思う自分が情けないのです。
努力では取り戻せない結果を得てしまったとき、
それがなかったときを懐かしむのと何ら変わらないじゃないの。
もっともっとポジティブに生きなければと痛切に思うカシューナッツでした。
現状を受け止めつつ、それなりに楽しく暮らして行きたい。
腰痛を抱える人がだれでも陥る心境ではないでしょうか。
咲くとコロンとした鞠状になる
大学通りでは、春のウグイス、夏のセミが同時合唱中です。
良い気持ちで啼いているウグイスに、
「早く高尾山の山奥にお帰り」と声をかけるのだけれど、
今年もまた大学の雑木林で夏を過ごすのかもしれません。
7上旬から咲き続けていたボタンクサギ(牡丹臭木)。
クサギなんてかわいそうな名前を付けられちゃったのは、
葉と茎が臭いからだそうです。
いつも花しか見ていないので、そんなこととはつゆ知らず。
咲き始めのつぼみは鮮やかな紅色で、
咲くと共に薄紅色の五弁の花を鞠状に密集させます。
中国南部が原産とか、中国南部の雲南にいたとき一度も見たことがありませんでした。
つぼみと満開時の落差が大きくて、つい足を止めたくなる花です。
「君は曲がっていなくていいねぇ」
ところで中国雲南省に滞在していたとき、
あまりに辛い料理が多くて、選べる料理は限られていました。
いつも厨房に入っていって、「不要味精、不要辛椒、油少一点几」と頼んでいました。
それでもなお、直径15㎝ほどの中皿に13、4本の唐辛子が入っていることもザラ。
雲南では、大量の唐辛子とニンニクと油が使われていなければ、料理ではないのでした。
ですから、先のように、
「味の素と唐辛子は使わないで、油は少なめに使ってください」
とオウムのように繰り返していました。
「それじゃ、料理じゃないよ!」という返事が料理人から返ってきたことも。
トマトと卵のスープ、細切りじゃがいものフライパン焼き(干餅洋芋糸)とか、
辛くない料理を覚え、出先ではそれらを真っ先に頼んでいました。
なかでも日本人ならだれでも知っていてあまり辛くない料理、
鶏肉とカシューナッツの炒め物は定番でした。
鶏肉は同じ「鶏肉(jirou ジーロウ)」、
カシューナッツは「腰果(yaoguo ヤオグオ)」だから、至って言いやすいのです。
で、哀しきかな重い腰痛になった私は最近気づきました。
カシューナッツを腰果だなんて、なんてひどい名前を付けたんだろう。
いくらお婆さんの腰のように曲がっているからって・・・。
と、妙に同情している私に笑ってしまうのでした。
ちなみに、鶏肉のカシューナッツ炒めは「腰果鶏丁」と言いやすいので、
言葉が堪能でなく強烈に辛い料理は食べたくない者にとって、至って便利でした。
ひどい腰痛になってしまった私、
「曲がりたくて曲がったわけじゃない。ピーナッツのようにまっすぐの方がいい」
というカシューナッツの心情がひしひしと解るのでした。
とまぁ、妙にカシューナッツに思い入れ強い私。
最近思うのは、“私だって立っていても痛くない時代があったのよね”ということ。
それは生まれてからずっとのことでした。
しかしあるとき突然、ハムストリングスが痛くなり、
これは何ぞと思っているうちに重傷の腰痛となり・・・・。
あぁ、立っているだけで痛いと思わないでいた頃が懐かしい。
腰掛けないと歩けなくなる間欠跛行がなかったいくらでも歩ける頃が懐かしい。
私にもそんな頃があったのよね。
こんなことをふと思う自分が情けないのです。
努力では取り戻せない結果を得てしまったとき、
それがなかったときを懐かしむのと何ら変わらないじゃないの。
もっともっとポジティブに生きなければと痛切に思うカシューナッツでした。
現状を受け止めつつ、それなりに楽しく暮らして行きたい。
腰痛を抱える人がだれでも陥る心境ではないでしょうか。