昔(むかし)話を…語るとしよう…
あ、もとい、「むさし(武蔵)話」を語るとしよう…
今回語る「むさし(武蔵)話」
は森蘭丸の兄、「森長可」の話
徳川家康・織田信雄との長久手の戦いにおける
秀吉軍の「森長可」
岩崎城の戦いでは丹羽氏重や城を守護する加藤景常を討ち取るなど活躍した森長可
さて、秀吉軍の堀秀政隊は桧ケ根にて陣を構え、香流川を前にして、敵を待ち構え、徳川軍を退却させたものの、徳川軍を退却させ有利にみえた堀秀政の目に飛び込んできたのは、この御旗山でみえた家康の馬印である「金扇」
この御旗山の頂上にある金扇の馬印をみた堀秀政は戦況が決して有利な立場にあるわけではないことを理解し、ここで兵を引き追撃をやめることにした…勝てる訳がないと思ったようで…無駄な討死を避けたのであろう…
一方、桧ケ根の戦いで、堀秀政の勝利を知った秀吉方の池田恒興隊、森長可隊は攻略したばかりの岩崎城を出発し、御旗山へと急いで向かい…堀秀政隊の逃亡を横目で見ながら、御旗山で陣を張った家康と対峙することになる…
森長可隊は池田隊と合流して徳川隊である井伊直政隊と衝突
激しい攻防戦を展開するも、鉄砲攻撃により眉間を射抜かれ、この地で即死したとのこと…
享年27歳…
約2倍生きている私が、なんだか申し訳ない気持ちに…
その場所が、武蔵塚…
けして、宮本武蔵の塚ではなくて
「鬼武蔵」と呼ばれていた森長可が討死した場所であることから…
「武蔵塚」
でも「塚」といってもそこに森長可が眠っている訳ではなく…お墓である訳ではなく、あくまでも、ここで討たれた場所であるとのこと
そこは長久手古戦場公園から西側にある小さな公園の北側に
石碑は、相当な歴史が感じられる石碑です
『森武蔵守長可戦死場』 と刻まれています
こちらの石碑は、ほとんど判読不能…根性だせば読めるでしょうが、読んでると徳川軍のような蚊の大軍が襲い掛かってくる…汗
こちらの案内看板には、いったいなにが描かれていたのでしょう…
山が描かれているようだけど、それは徳川軍のいた御旗山???
時空を超えればここで多くの武士の屍が転がっていたのでしょうね…
そんな公園を歩いたり、ぐるっと廻りを歩いてみたり
そんな武蔵塚の裏手に廻ってみると…この高低差…
ここが高台、丘のようになっていたのでしょうか…案外、森長可隊が陣をはっていた場所かも…
まあ、そんなことは、時空を超えて「むさし(武蔵)」…もとい…時空を超えて、長久手の戦いの行われたとき…今となっては「むかし(昔)」を覗いてみないと、分からないけどね…
「む、刺したのは、どいつだ???」
「む、さしたのは…」
「む、さし…」
そんな森長可の声が聞こえてきそうで…
あっ、実際は刺されたのではなくて、鉄砲で討たれたんですけどね…
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