新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

大仏マニアの私…ウン十年ぶりに…「奈良の大仏」に会いに行く!

2024-07-07 00:27:22 | 歴史史跡

さてさて私…

このブログの愛読者ならご存知かも知れないけど

「巨大仏」好きなんですね…


大仏があるという情報をきけば…
…暇を見つけて駆け付ける!!
(すぐに!!じゃないんだ…笑)


過去にも
日本三大仏の一つらしい???
岐阜大仏を始めとして
名古屋大仏
布袋の大仏
刈宿大仏
…と…訪ねては、このブログに書き綴ってきた…

日本三大仏の一つ??正法寺の岐阜大仏!!!

桃巌寺の名古屋大仏

布袋さんと布袋の大仏さん…

B級スポットの聖地…笑…「西尾市」にある常福寺の刈宿大仏に会いに行く!


あれれれ、どこもB級スポット、マニアじゃないと知らない大仏ばかりじゃないか…

自称「大仏マニア」の私…

ここは、大仏界の大谷くん

メジャーなメジャーな「奈良の大仏」も拝観したくなったんだな…

だって、小学生の遠足以来、行ったことがないような…笑

そう、私、B級スポットマニア

人の混みそうなところは実は苦手なのよ…

 

誰しもが知っている

「奈良の大仏」

行ったのは2022年夏…

このときががチャンス、新型コロナウイルス感染症の影響で、外国人、特に、中国人の少なくなってる今がチャンス!!と思って行ってきました…

もちろん、土日に行くような、混雑の怖れのある危険なときには行きません!

有休をとって、ド平日に…

まあ、もちろん参拝、観光客はいましたが、予想どおり空いていました…

 

大仏マニアの私

広い東大寺の境内の中にある

奈良の大仏こと盧舎那仏を安置している大仏殿に向かって、一直線

いやいや、大仏殿の前にどどんと待ち構えるのは

南大門

東大寺の正門で、天平創建時の門は平安時代に大風で倒れたようで、この門は鎌倉時代、建仁3年(1203年)東大寺を復興した重源上人が、新たに宋様式を採り入れた大仏様(だいぶつよう)※(天竺様(てんじくよう)とも呼ばれる)という建築様式を取り入れて再建したものとのこと

屋根裏まで達する大円柱18本は21mもありデカい!デカい!!

高さ25メートルにも及ぶ…お寺の門としては、国内最大だそうな

なんだい?もんくある???

はい、南大門「なんだい、もん」と読みますから…笑

 

外観は2階建てのように見えますが、内部は、ご覧のように吹きぬけ

この南大門の左右には、これまたバカでかい「金剛力士像(仁王像)」

像高はいずれも8.4m弱もあるとか

正面から見て門の左側には阿形像、右側には吽形像が安置

一般的には、これら仁王像の安置方法は右が阿形像で左が吽形像ですが、東大寺はそれと左右反対になっている…
これは東大寺が建てられた天平(奈良)時代の頃には、仁王像の安置の決まりがなかったという説が有力らしい…慌てて作ったから、間違ったのではないかと思ってるのは、私だけ??

これらは鎌倉時代の名仏師である運慶が指揮をとり、快慶らとともに彫り上げたもので、門が完成した後、建仁3年(1203年)にわずか69日間の製作期間で造り上げられたと伝えられているとのこと…

 

門の北側には日本最古の巨大な「狛犬(石獅子)」が

…日本最古の巨大な…と謳っても、このバカでかい「金剛力士像(仁王像)」に圧倒されちゃいますけどね

 

 

そんな南大門をくぐって、大仏殿へと一直線…

とはいかずに…ついつい参道の左右にあるものにも引き寄せられてしまう…

谷川喜六建立慰霊碑

西南の役、戦没者、瀬戸内海に沈没した軍艦千島の殉職者および喜六の父の五十回忌の慰霊法要が東大寺大仏殿で営まれ、それを記念して建立されたそうな

谷川喜六(きろく)さん…私は存じ上げていませんが、きっと奈良では有名な方なんでしょう…なにかの文書に喜六(きろく)…もとい…記録(きろく)されていることでしょう

 

會津八一歌碑

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり」

「ゆったりとして 両手の指を お開きになって 大仏は 天地の空間に広く満ち広がっておられる」 の意

大仏を拝観した感動がめちゃ伝わってきますね

會津八一さんは、奈良の人じゃなかったんだ…会津(福島県)の人でもなくて

新潟の人なんだって…みなさん、ぜひ、ここは、会津ちを…もとい、相槌をお願い…笑

鏡池…緑の樹木が鏡のように映ってる…島には弁財天が祀られています…

そして、そこに棲んでいる「ワタカ」の説明板

「ワタカ」をさわったか??触ってません!触れません…笑

 

ここには「東大寺」の案内解説板


中門(ちゅうもん)

 

兜跋毘沙門天(多聞天)と持国天の説明解説板

中門に向かって右に安置されている

兜跋毘沙門天(多聞天)

兜跋毘沙門天の足元、地天女の肩に乗って、その横には2体の邪鬼が…

中門に向かって左に安置されている持国天
めちゃ怒ってますなあ

足元にいる邪鬼はつぶれていました??

さて、この中門向かって左の発券売り場で、大仏殿と東大寺ミュージアムのセット券を購入して

中門に中に入れば

「奈良の大仏」と呼ばれている
ご本尊「東大寺盧舎那仏像」が鎮座している

大仏殿(正式名称:東大寺金堂)がどどんと…

大仏殿は木造軸組建築としては世界最大の建築物だそう

奈良時代に創建されてから、治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在のこの建物は江戸時代に公慶上人によって再建されたもの

中門そばにある香炉

重そうですな…

中門から大仏殿へと足を進める…ここを歩くのは、小学生の修学旅行以来なんだな…ウン十年ぶり…

大仏殿の手前にある

金銅八角燈籠

奈良時代創建時の燈籠

4面の羽目板で西北面と西南面は、奈良時代のもの、東北面と東南面はレプリカなんだそうな

さあ、いよいよ小学6年生の時以来の…ウン十年ぶりの

「奈良の大仏」こと「東大寺盧舎那仏像」とご対面

 

小学生のときの感想は、デカッ!!!…純粋無垢だった少年の感想はデカッ!!

この歳になっても感想は、デカッ!!!純粋無垢ではない中年の感想はデカッ!だけでは終わりません!!

これを初めて観た人は「なんだ?いぶつ(異物)か…」と絶句してたに違いありません!

もう、きっと拝観するのに大混雑してて「なんだい、ぶつかったやん!」と圧されて痛い思いをした人がいるはず…

いや、これを造った人は「だいぶ、つかれた(疲れた)」に違いないって…

それって、全部、くだらんオヤジギャグの連発やないか!!

その、しょーもないオヤジギャグ、待った!!と言ってるような…

盧舎那仏像
銅でできた仏像としては世界最大…像の高さは約14.7m、
基壇の周囲は70m

使われた金は400㎏以上、水銀は、2.5t

金は、陸奥をはじめ、日本全国から献上されたとか

頭部は江戸時代、体部の大部分は鎌倉時代の補修…
でも、台座の蓮弁部と左大腿部の一部には、建立当時の天平時代(奈良時代)のものも残っているそうな

 

大仏の横には、

大仏蓮弁・蓮華蔵世界図の原寸模型

華蔵世界は、盧舎那仏がまだ菩薩だった頃に、長い時間をかけ、みずからの実践によって美しく飾った世界

本尊の盧舎那仏像(奈良の大仏)の台座には上向きの蓮弁と下向きの蓮弁がそれぞれ28枚ずつある…その一つ一つには、釈迦像や蓮華蔵世界などが毛彫りされているとのこと

「奈良の大仏」を造ろうと思ったきっかけが綴られている説明解説板

「東大寺の歴史-8世紀の日本」

 

大仏の制作が開始されたのは西暦745年…聖武天皇によって…

大流行していた感染症である天然痘

そのほかにも、天平時代は旱魃・飢饉が続いたり、734年には大地震で大きな被害があったり、社会が不安にさらされた時代であったようで
聖武天皇による東大寺大仏の造立には、こうした社会不安を取り除き、国を安定させたいという願いが背景にあったよう…

この国家あげての事業には、当時庶民に仏教を教えていた行基が、先頭に立って工事を進めていたが、完成を見ることなく、亡くなってしまったとのこと

となれば、新型コロナウイルス感染症で苦しむ今こそ、アベ総理の国葬よりも大仏設立を??

大仏殿の鴟尾

一瞬、金のシャチホコと見間違えちゃった

鴟尾とは、宮殿や仏殿などの瓦葺き屋根のてっぺんに、シャチホコと同じく大棟両端にのる飾りのこと

二つの鴟尾の間の距離と参道の幅が同じであることを、たぶん…スタッフのおじさん??に教えてもらいました

 

さてさて、大仏殿には「奈良の大仏」以外にも巨大仏がいっぱい…

盧舎那仏像の左右の脇に鎮座する

脇侍、虚空蔵菩薩像


盧舎那仏の脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩が一般的だが、
この奈良の大仏こと盧舎那仏像の脇侍は虚空蔵菩薩と如意輪観音

 

 

虚空蔵菩薩像と盧舎那仏像と

ライトが反射しているだけですが、実に神々しくみえますなあ

そんな虚空蔵菩薩像の背中

ちょいと驚いたのは、このハシゴの急なこと

足を踏み外したら大変なことに…身体のいたるところを、だいぶ、ぶった(大仏った)ことになるでしょう…

東大寺の記録によれば、脇侍の虚空蔵菩薩・如意輪観音と四天王像は運慶らによって造立されたものだったというが、1567年の松永久秀の兵火によって焼失してしまったらしい…

現在の脇侍と四天王像は、江戸時代の大仏殿再興の際に作られたそう


でも、廣目天と多聞天は完成したが、持国天と増長天は頭部のみが残され未完成のままだったとのことで

 

そんな増長天さまは頭部のみ

明らかに…何で首だけやねんって申していそう

一方、全身のある廣目天

増長天に向かって

「しゃーないやないか…」と言ってそう

創建当初の伽藍の様子を復原したジオラマ


大仏殿は、大仏の鋳造が終わった後の758年に完成
現在のものよりも大きく、七重塔が東西にあったよう

中に大仏が鎮座しているようにみえるめちゃ精巧なジオラマ

鎌倉時代再建の2代目・大仏殿のジオラマ
平安時代末期の1181年、平重衡などの南都焼討によって大仏殿は焼失
その後、僧・重源の尽力により、1185年に後白河天皇も出席した大仏開眼法要が行われ、1190年に大仏殿が再建
1195年に行われた落慶法要では、源頼朝なども参加したとか

ジオラマの大仏殿の中の「大仏」

江戸時代再建の3代目・大仏殿のジオラマ
戦国時代に入ると1567年に松永久秀軍の戦火により大仏殿は再度焼失…


その後、僧・公慶上人の尽力などによって大仏殿の建設が始まり、1709年に落慶
これが現在の大仏殿…

 

こうやって、門を閉じても、大仏様のお顔だけは拝めるような造りになっているのかな

 

そして、じゃじゃーん!!

奈良の大仏の背中を拝む…

う~ん、背中から滲み出ていますよね…

だいぶ、つかれて(疲れて)いる様子が…

 

全身のある

多聞天さま

脇侍、「奈良の大仏」の脇におられる

如意輪観音像

大仏殿には一本だけ穴があいている柱があって
その穴は、大仏の鼻の穴と同じ大きさで、中をくぐると無病息災のご利益があると言われている「柱の穴」

さて、小学生のときに体験して以来、ここは童心に返って、「奈良の大仏」の柱の穴くぐりに挑戦したいなと思っていたら…

新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、中止…

 

これは、やはり新型コロナウイルス感染症を抑えるために、大仏を造るしかないよね…聖武(しょうむ)天皇さまに問えば

しょうむないなあ(しょうがないなあ)」という声が聞こえてきたような…聞こえていなかったような

 

さて、ぐるっと、大仏殿の中を一周して、再度「奈良の大仏」さまとご対面

 

さて、大仏殿をぐるっと一周して、大仏殿をでて

大仏殿を見上げ、おお、江戸時代のもの…江戸時代のものといったように、古の風を感じて

視線を下ろしたところにおられたのは、

賓頭盧尊者像
患っている箇所と同じ部分を撫でると治るという「撫仏」なんだけど…

これまた新型コロナウイルス感染症のせいで…

折角、腰を、脹脛を、上がらなくなった肩を…ボケ防止で頭を撫でようと思ったのに…

帰り道に手水舎と遭遇

参道を一方通行にしたので、参拝後に出合うことになってしまった手水舎

井戸水を利用しているよう…今はどうかわからないけど

 

再度、大仏殿をみあげて

一言「さよう奈良」(小学生か!)

ド平日…空いててよかった

また、今回の参拝と同じように…ウン十年後に再会したいものです…

ってどんだけ、生きる気やねん!



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