蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

真説・左甚五郎(1)

2016-01-18 16:59:00 | 日記
 天は猫の上に人を作らず、ネコの下に人を作る、なんてことをもうしますが、ネコと一緒に暮らしてみますとこの言葉が身に染みるのでございます。
 ドアの前にきちんと足を揃えて坐り、ちらっとこっちを見ます。「開けておくれでないかい」と言いたいわけでございます。
時間がきますと、ひとしきり鳴くのですが、私の方がそれにこたえないとだんだんテンションが上がってまいります。「もう、ホントに気が利かない子だね」とでも言いたげな風情が漂ってまいります。うっかりすると、お暇を出されそうな勢いでございます。
 その点、犬てえものは単純ですな。忠犬ハチ公。ご主人様の帰りを待つ、なんて道徳の教科書に載りますよ。警察犬も当然犬なんですが、警察ネコなんてのは金の草鞋を履いても探せっこありません。
 心を奪われるという点では、犬も猫も変わりございません。犬バカ、猫バカなどと世間では申しますが、当人は至極まっとうだと考えているあたりが重症であることは確かでございます。

 「大家さん、大家さん」
 「なんだい、金さんじゃないか、またどうしたんだい」
 「いや、この横町で、物知りっていえば、まず第一に大家さんだ」
 「おや、うれしいことを言ってくれるじゃないか。そこまでおだてるからには何か訊きたいことがあるんじゃないかい」
 「お察しの通り、あるんでさ」
 「なんだいその、知りたいことてえのは」
 「いやね、三日ほど前からうちの家に猫が住み着きやがってね、追うんだけど、出て行ってくれねぇんだよ」
 「ほう、ネコを追い出してほしいってのかい」
 「いやいや、早とちりをしちゃいけないよ、その猫がね、居続けしやがってね、今朝なんか、俺の顔を舐めやがんだよ」
 「ほうほう」
 「で、俺の顔をじーっと見てさ、ぷいっと向こうへ行きやがんの」
 「ほうほう」
 「玄関のところへ行くから、ああやっとのことで出て行きやがんのかな、と思っていたら」
 「思っていたら」
 「ひょいと振り返ってね、流し目送りやがんのよ」
 「猫が流し目かい」
 「それで困ってんだよ」